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パリ, 1983年6月9日(写真8枚) 〜 モロッコ人移民と会った記念, Hindi Zahra 聴こう ♫

1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ 〜 ここまでを振り返る

まずは 振り返る

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間違えた, これは「見返り美人」だった。

仕切り直し。

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間違えた, これは「ミカエル美人」だった。

知る人ぞ知る, 拙者なんか競馬やったことないし興味もないのに知ってる, フランス人騎手ミカエル・ミシェル(Mickaëlle Michel)。たったいま調べたんだけど(笑), 2018年にフランス国内で72勝してフランスでの女性騎手年間最多勝記録を樹立, 2019年8月に初来日して8月25日には早くもJRA(日本中央競馬会)公式戦初勝利するなど活躍, 日本でも大人気の騎手となったものの, 2020年以降はまだ憎っくきコロナのために来日できず。

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Michelle 〜 The Beatles ♫

なんで ミシェル かって? あなた, 前章 ミシェルてないのか? 苦しいな(笑), 見てないのか? 

Michelle is a given name, originally a variant of Michèle, the French feminine form of Michel, derived from the Hebrew name Michael meaning "Who is like God?". It is now extensively used in English-speaking as well as French-speaking countries, partly influenced by the Beatles song of the same name. It is also a surname. https://en.wikipedia.org/wiki/Michelle_(name)  
People having the name Mickaëlle are in general originating from Francehttps://themeaningofthename.com/mickaelle-2/

Mickaëlle Michel を紹介したではありませんか, 前章で。

ではでは, フランス語歌詞が含まれることも印象的だった, 1965年のビートルズの歌, 「ミカエル・ミシェル」, じゃなかった, 「ミシェル」♫

Michelle 〜 from The Beatles' 1965 album "Rubber Soul"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語とフランス語による歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

♫ ♫ ♫

真面目に振り返ろう!

1983年4月26日, 横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー2泊3日の旅でユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行の始まり始まり, ナホトカで1泊, 列車でハバロフスクに出て1泊, ハバロフスクからは3泊4日シベリア鉄道の旅, イルクーツク1泊後に再びシベリア鉄道の旅こんどは4泊5日, モスクワに着いて2泊3日, その後はヨーロッパの旅開始(当時のロシアはソ連だったから, モスクワ含めてヨーロッパにいる感じがしなかった), フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマークにそれぞれ滞在, ドイツ(当時は西ドイツ!)に入ってハンブルク, ボンに滞在, その後は当時まだ公式にはアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領地だった西ベルリンに滞在, 東ドイツの東ベルリンには西ベルリンから日帰りの旅, その後, ベルリンを発ってケルン経由, ケルンからの夜行列車に乗って, フランス・パリに着いたのが 1983年6月3日の朝6時半頃。

パリには 6月12日まで 10日間滞在したけれど, 美しくて, 汚なくて, 綺麗で, 汚れていて, 荘厳で, 無愛想で, 綺麗な人がいて, 隙あらば他人の物を掠め取ろうとする輩がいて, 愉快な人がいて, ピストルを持った喧嘩好きがいて, まぁ何というか, 刺激だらけの「花の都」であった。

パリでは当時フランス国内でも大人気だった「戦場のメリークリスマス」を封切り4日目の映画館で観たり,

ノートルダム大「聖」堂 を観た日のその翌日には, 「性」なる通り サン・ドニ通りに野次馬根性で冷やかし歩き(歩いただけだよ)に出掛けたり, 

パリ滞在5日目にして, パリから日帰り「ヴェルサイユ」旅行, 貧乏旅行バックパッカーには何だか似合わないヴェルサイユ宮殿を見物。

パリ, 1983年6月8日 〜 滞在6日目, ルーヴル美術館のインド系フランス人係員との珍妙な問答

世界で最も「権威」がありそうで, 荘厳で, 超絶有名で, 優秀な美術評論家の間でも「権威」大好きのエラソーな評論家の間でもめっちゃ評判が高い「世界に名立たる美術館」, ルーヴルの館内の ひとりの 係員の, ひとりの(でも他の人にも同じことやってるな, 間違いなく)入場者との, 珍妙なやり取り。旅日記捲らずとも 38年経った今でも鮮明に憶えていて, いまだ, 笑える話なのだった。

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パリ, 1983年6月9日 〜 滞在7日目(写真8枚)

写真の前に, 旅日記, 殴り書きメモ。

間違えた, 「あしたのジョー」だ, これは。

仕切り直し, 旅日記, 殴り書きメモは以下。なぜ「正月に会おう」だったのかは謎。筆者は正月はまだユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅の途中の予定でいたし(実際, 正月はインドのヴァーラーナシー, 旧ベナレスで, ガンガー, ガンジス川を「拝み」ながら過ごした), 「小ぐりサン」は日本を発って筆者と逆方向, インド方面からヨーロッパにやって来た人だった。「小ぐりサン」, またインドに戻るという計画でもあったかな。細かいところ, 今は忘れてる。

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ここから, 写真。

1) 何年か前にスキャンした, 1983年6月9日 の写真, 写真曲がってる, スキャン下手だった, 勘弁。

これって, チュイルリー公園 だったかな。

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2) 遥か彼方に凱旋門。

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3) 近づいて来た。

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4) 凱旋門(書かなくても分かるか, 笑)

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5) 「凱旋門」前, オー・シャンゼリゼ ♫

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6) ノートルダム大聖堂, 1983年6月9日。約36年後, 2019年4月15日夜に大規模火災が発生し, 尖塔などを焼失, 翌16日午前に消火活動により鎮火。再建がんばろう!

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ところで, これまでの note 投稿で何度か書いている通りにですね, 上の写真の左下に写っている女性が, 誰あろう, あのお方は紛れもない, 筆者の当時のフランス人ガールフレンドです,
https://youtu.be/hpw4nmdHk1s
〇〇だから我慢 (Patience) してね, 銃と薔薇。

7) 美し過ぎる, アレクサンドル3世橋 ♫(なんてタイトルの歌はない)

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8) さてさて, これが, 筆者が泊まっていたパリの安宿, 1泊, 当時のレートで日本円に換算して1,000円程度, 安宿ながら名前ばかりは立派で, (その名前には!)荘厳な趣さえあった, Hotel Henry IV の筆者の部屋であります。

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このホテルって ... だいぶ上の方でもリンク貼り付けた以下 note 投稿に書いたことをあらためて下に載せておくと,

ホテル・ヘンリーIV ってすっげ高そうな名前のホテルだけど, しっかしバックパッカーとカタカナ英語で呼ばれる日本の貧乏旅行者がそんな高いホテル泊まるはずがない。40フランス・フランというのは, 当時の為替でおおよそ 1,000円程度だったものと記憶している。中東やアジアでは 1泊日本円にして 200円とかそれ以下とかも泊まったりしたけれど, ここは一応「花の都」パリ, あの宿はおそらく当時のパリで最も安い部類ではあったと思う。
ホテル・ヘンリーIV」という大それた命名とは裏腹に, 何階建てだったかとりあえず忘れたけれどまぁ 3, 4階程度の建物だっただろうか, それはかな〜り古びた, 鄙びた(大都会パリに在りながら「鄙びた」風情の)建物で, ホテルらしくない玄関を入っていきなり狭いスペースの左側に木机のフロントがあってそこにいるスタッフ二人はアルジェリアからの移民(移民だったか二世とかだったか区別は記憶にないが), うち一人はおっさん, もう一人は普段は気がよさそうだが短気でケンカ好きで手に包帯を巻いていてピストルも持っていて, 掃除のおばさんはモロッコ人(移民だったか二世とかだったか区別は記憶にないが)の二人で(この辺りのことはほとんど頭で記憶しているけれど後日 [6月10日] の日記にも詳しく書いてある), そして泊まった部屋では一度, ネズミが出た(笑)。

というわけで, 以下がその  [6月10日] の日記

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というわけで, この Hotel Henry IV の部屋, なかなかに汚ない部屋だったんだけど, いやそれは部屋だけじゃなくて, そのホテル周辺も「花の都」パリという形容とはだいぶかけ離れた場所で, まぁ有り体に言えば「汚なかった」。

近所のバーに飲みに行っても客がピストル見せたりして、治安も決していいところではなかっただろう。でもまぁ刺激的で, 面白いところではあったのだった, しかし住みたい感じではないな, あくまでも旅人には面白い場所だった, という感じ。

結局, 宿が嫌だったわけではないが, 滞在1週間でそろそろパリを出ようと思っていたところ, 6月9日の夜になって気が変わり, もう少しパリにいようという気になって(結局さらに3日間いて, 6月12日にパリを発ってスイス・ジュネーヴに向かった), でも気分転換で宿は変えようということで, 6月10日からの 2泊3日は別の宿に泊まっていた。

Encore: 「あしたはどっちだ」, あしたのジョー(尾藤イサオ), 作詞は寺山修司だったのだ ♫

アンコールは "Encore", フランス語であります。前の章で既にこの歌 載せてるんだから, だから, アンコール

それはさておき, そういうわけで (直前の章の最後の方を参照いただきたい, 面倒くさくなければ, 笑), 1983年6月9日の夜は, 「あした」はパリを出るのか, パリにもう少しいるのか, パリにもう少しいるとしても気分転換で宿は変えるのか, 変えないのか ... ってなわけで, 

今からちょうど 38年前の今日の夜は, そんな「あしたはどっちだ」的な夜だったのだ。

作詞:寺山修司 作曲・編曲:八木正生

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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歌詞の最後は, あしたはどっちだ  〜 「あしたはどっちだ」的な旅 note, 続けます。

Bonus track 1: Stand Up 〜 Hindi Zahra ♫

今日の note 投稿, タイトルに「モロッコ人移民と会った記念, Hindi Zahra 聴こう ♫」って入れたけど, 前の前の章のところで書いたように, 1983年6月3日から泊まっていたパリの安宿, しかし名前は立派な Hotel Henry IV で, ほぼ毎日のようにモロッコ人移民と会っていたのだ。生まれて初めて会ったモロッコ人(と認識したモロッコ人)だったんだと思うけど, その後の中東(トルコ, シリア, ヨルダン, イスラエルはともかくとしてパレスチナ, いやイスラエルでもモロッコからのユダヤ系移民と顔を合わせたりしたかも, そしてエジプトなど)の旅でも, モロッコ人とは何回か会っていたかな。後年, 日本の職場で仕事を通じてモロッコ人と会う機会が少しあったけれど, 兎にも角にも, あのパリの宿で会ったモロッコ人女性たちが, 生まれて初めて会ったモロッコ人

Hindi Zahraモロッコ人のミュージシャン(シンガーで楽器も演奏する)で女優だけど, サイトによっては Franco-Moroccan と書いてあるところもあって, 国籍はいまモロッコだけなのかフランスとの二重国籍か分からないけれど, とにかくモロッコ生まれ, 今はフランスで活動しているのかな。

モロッコ生まれと言ってもアラブ人ではなく, 北アフリカの先住民族「アマーズィーグ」(「ベルベル人」)の出身。

サッカー界のスーパースター, ジネディーヌ・ジダンも, 彼はフランス・マルセイユ生まれながら, 両親はアルジェリア出身で, かつアラブ人ではなく, 上記の民族に属する。

Hindi Zahra について Wikipedia から引いておくと,

Hindi Zahra (Tamazight: ⵀⵉⵏⴷⵉ ⵣⴰⵀⵕⴰ, Arabic: هندي زهرة, born 20 January 1979 in Khouribga, Morocco) is a Moroccan singer and actress. When coming up with a stage name, she simply inverted her birth name. Her songs are mostly in English but some lyrics as in the song "Imik Si Mik" are in the Berber language.
Influenced by singers like Cheikha Rimitti, Hindi Zahra has drawn comparisons with Beth Gibbons of Portishead, Billie Holiday, Patti Smith, and Norah Jones.
Zahra was raised by her Moroccan mother, a dancer and actress, in Khouribga, Morocco. At the age of fifteen, she left school and moved to Paris to live with her father, who had been a soldier. At age 18 she worked at the Louvre.

なんと(と驚くこともないか), 18歳の頃は ルーヴル美術館 で働いていたんだ。

Zahra wrote her first lyrics and melodies. She is a self-taught multi-instrumentalist. By 2005 she had written about 50 songs of which Beautiful Tango, Oursoul, Try, and Stand Up were first released on the EP Hindi Zahra in 2009 and eleven songs were recorded on Hindi Zahra's first album which was released in January 2010 at the Jazz label Blue Note Records. The video to the opening song Beautiful Tango was made by French director Tony Gatlif. The song Stand Up was chosen for a commercial campaign by Western Union. In June 2010 she collaborated with French musician Blundetto on his debut album Bad Bad Things. In November 2010, Hindi Zahra won the Prix Constantin for Best Album. In February 2011, she won the Victoires de la Musique award for the best World music album.

Stand UpHindi Zahra

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

Bonus track 2: Beautiful Tango 〜 Hindi Zahra ♫

Hindi Zahra については, 詳しくは Bonus track 1 のところで。

以下のミュージック・ヴィデオ, イメージに使われてるのはもしかして, イタリア人の女優でモデルの Monica Bellucci モニカ・ベルッチさんかも .. わりと似てるんだけど, でも違うかな。

Beautiful Tango 〜 Hindi Zahra (Tamazight: ⵀⵉⵏⴷⵉ ⵣⴰⵀⵕⴰ, Arabic: هندي زهرة, born January 20, 1979 in Khouribga, Morocco), a Moroccan singer and actress

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

Bonus track 3: Beautiful Tango LIVE 〜 Hindi Zahra ♫

Hindi Zahra については, 詳しくは Bonus track 1 のところで。

Beautiful Tango LIVE 〜 Hindi Zahra (Tamazight: ⵀⵉⵏⴷⵉ ⵣⴰⵀⵕⴰ, Arabic: هندي زهرة, born January 20, 1979 in Khouribga, Morocco), a Moroccan singer and actress

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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