あくまでもクリスチャン_クリス_

あくまでもクリスチャン「エピローグ」



あくまでもクリスチャン

著者
小野 大介


エピローグ


「あのう、なにぶん貧乏な教会なもので、こんなものしか……」

 穴だらけになり、そのうえ、煤をかぶって真っ黒になったルシェルの服や漆黒のマントをその手に抱え、クリスは、着替えを終えたルシェルの姿に目をやった。聖職服を身にまとったルシェルの姿を……。

「ああ、良かった。大きさはちょうどいいみたいですね」

 ルシェルが着たのはお師匠様とやらの聖職服だった。ルシェルは長身で、足も長くて、スタイルもいい。サイズが合うかどうか心配だったが、さほど問題はなかった。ちょっとだけ、袖や裾が短いが、元々ゆったりしているから、さほど気にするほどでもない。

 クリスはホッとしていた。

「今日中に洗濯しちゃいますので、しばらく我慢してくださいね」

 クリスは抱えていたルシェルの衣服を大きな十字架の下に置くと、どこからか二本のホウキを持ってきた。

「あの、よかったらでいいんですが、聖堂の掃除を手伝っていただけませんか? 朝までにはここを片付けなきゃいけなくて。村の方々が拝礼に来られるんです」

 クリスは聖堂を見渡し、ルシェルの顔色を窺った。

「ああ……」

 ルシェルはなんとも覇気のない返事をすると、すっと手を伸ばした。

「良かった! ありがとうございます! じゃあ、僕は入り口の方から掃いていきますので、ルシェルさんはここをお願いしますね!」

 一本のホウキをルシェルに手渡し、クリスはもう一本のホウキを抱えながら、駆け足で入り口へと向かった。笑顔でこちらに手を振るクリスの姿が見える。クリスは、長椅子を一つ起こし、ホウキで床を掃き始めた。そんなクリスの姿を横目に眺めていたルシェルは、何気なく、手にしていたホウキに目を落とした。使い古されたホウキだ。いつから使っているのか、長さはバラバラ。先はあらぬ方向に折れ曲がっている。

「……」

 ルシェルは何を思ったのか、ホウキを器用にくるりと回し、柄の頭を床に突き立てながら、どこかで見たようなポーズを取ってみせた。片手を差し伸べて、マントの代わりに服の裾を翻す。そして――

「我が名は、ルシェルファウスト。魔界の大公爵なるぞ……!」

 そう言うと、ルシェルは、ニヤリと微笑んでみせた。

「ハアァ~~……」

 そうかと思えば、大きな溜め息を一つ。ルシェルはひどくうなだれてしまった。そして、何を思ったのか、手にしていたホウキを逆さに持ち替えて、床を掃き始めた。

「なぜだ? どうして、こんなことに……?」

 ルシェルは長椅子を一つ一つ丁寧に起こし、床に散乱している弾丸や、砕けたガラスの破片などをホウキで一箇所に集めながら、どうしてこうなってしまったのかを考えていた。

 確かに、やり過ぎた面はある。物置部屋が火事になったのは、あの花火が原因だろう。あれだけ飛び散ったのだから、そのうちの一つが、ホコリにまみれ、紙や木など、非常に燃えやすい物があり、なおかつ燃えやすい環境にあった物置部屋に入ってしまったというのにも合点がいく。しかし、納得はできない。

「黒魔術の真髄が記されてあるという黒の書を燃やすとは、悪魔としてどうだ……」

 またうなだれるルシェル。けれど、その手はしっかりと掃除に励んでいる。

「悪魔が……魔界の大公爵が……黒の書を……ん?」

 ルシェルはふと、あることに気がついた。頭の片隅に何かが引っかかったのだ。

「あのガキ――クリスは、どうしてこの俺様を召喚できたんだ……?」

 手を止めて、ルシェルは横目にチラリとクリスを見やった。クリスは、真面目に聖堂の掃除に励んでいる。長椅子を一つ一つ起こしては、その下を丁寧に掃いていた。

「待てよ……? 黒の書があったとしても、いくら神父といえど、一介の子供に過ぎないクリスに、俺様のような特上級の悪魔を呼び出せるものだろうか……?」

 眉間にシワを作り、立てかけたホウキに寄りかかり、ルシェルは、じっとクリスの姿を眺めていた。いくら見てもただの子供だ。価値のありそうな魂をもっているだけのただの人間である。

 いろいろと思考を巡らせてはみるものの、その答えはいっこうに浮かんでこない。ルシェルは、ちょっと苛立ち、頭を搔いた。

「!?」

 そのとき、ルシェルはハッとして、素早く後ろを振り返った。そして辺りを見渡す。

「……?」

 背後から視線を感じたのだが、誰もいない。何度も確認したが、やはりいない。あるのは、目の前の大きな十字架だけだ。

(気のせい、だったのか?)

 眉を顰め、また前を向こうとした時、ふと、目が十字架に向けられた。そして目が合った。十字架に磔にされている男と……。

「……まさか、な」

 ルシェルは馬鹿馬鹿しいと言いたげに、ふっと鼻で笑った。そして、前へと向き直り、クリスへ目をやった。クリスはさきほどと同じように、長椅子を一つ起こしては、その下を掃き、また一つ起こしては、その下を掃くという動作を繰り返していた。

「クリス! そんな掃除の仕方では夜が明けるぞ! まずは長椅子をすべて起こせ!」

 ホウキで床をぴしゃりと叩き、ルシェルは声を張り上げた。聖堂に彼の声が響く。

「すっ、すみません!」

 続いて、クリスの声が聖堂に響いた。

 ルシェルはホウキを肩に担ぎ、クリスの元へと歩み寄った。ホウキを、さも、指し棒のように扱い、事細かく、掃除の手順を指示する。そんな彼の頭ごなしの命令に、クリスは文句一つ言わず、聖堂を走り回っていた。

 クリスの顔は笑顔だった。大変ではあるが、ルシェルが掃除を手伝ってくれているのが嬉しいのだろう。

 しかしルシェルは違う。そんな可愛らしい思いとは裏腹に、ルシェルは、このあまりにも情けない現実から、なんでもいいからただ逃れたかっただけなのだ。悪魔だというのに、魔界の大公爵だというのに、自分はいま、聖職服を身にまとい、どこかもわからぬ一村の古ぼけた教会の大聖堂を掃除しているのだから。

 悪魔なのに、そう、まるで聖職者のように。


【完】


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