大岡大介「モデル 雅子 を追う旅」

映画「モデル 雅子 を追う旅」監督・プロデューサー。妻の雅子の他界を契機に私費で制作。…

大岡大介「モデル 雅子 を追う旅」

映画「モデル 雅子 を追う旅」監督・プロデューサー。妻の雅子の他界を契機に私費で制作。2019年7月26日(金)〜アップリンク吉祥寺で公開。普段は会社員。このために動画撮影・編集に習熟、現在も勉強しながら動画制作に取り組んでいる。そもそも映画大好き。

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  • モデル 雅子 を追う旅

    「モデル 雅子 を追う旅」がんで他界したモデル雅子の半生を追ったドキュメンタリー映画。監督を務めた夫の大岡大介が、映画では描ききれなかった事柄や裏話を書いてゆきます。

最近の記事

雨の日に、素麺。

雨が降っている。 引っ越したばかりで、まだこのあたりの路線には慣れない。とはいえ、小さな電車が走る、空が高い町だ。線路沿いに、少し店が並ぶ。線路の向こうに、軽くサッカーでもできそうな昔ながらの原っぱがある。食料品、服、本、飲食店などなど、少ないけれど必要十分な陣容の駅前店舗たち。「この出汁ポン酢買ってきて」と雅子に言われたものと、すりゴマ、大葉、などを買って、線路の踏切を渡って、ビニ傘さして雨に打たれながら帰る。 帰宅したその家は、小さなキューブ状の家が数軒、テラスのよう

    • 横浜で再スタート。

      「モデル 雅子 を追う旅」を7/26(金)に公開して、はや一ヶ月半が経った。 作り始めたときは「東京のどこかミニシアターで1週間出来れば御の字」と思っていた。かと言って、プロのモデルを扱う映画なのだから、構えもプロでなければならない。かつて映画製作ビジネスを手掛けていたので、幸いにもある程度のカンは働いた。 それで一心に作り、口説き、巻き込み、ご理解ご協力を頂いて、映画「モデル 雅子 を追う旅」は封切られ、なんと当初の思いを遥かに超えて走り続けた。アップリンク吉祥寺で5週

      • 雅子 vs 太陽。

        2019年7月20日土曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開6日前。 どんよりした天気が続いて太陽が恋しい。 夏生まれの雅子も、梅雨の最中はふさぎがちだったように思う。 「肌はイイんだけどねー」 と言いつつ頬っぺを指でうにうにしながら、 晴れない空を見上げていたこともある。 しかし梅雨が明けると、毎度雅子の奮闘が始まった。 屋上のオリーブに水をやる、と言って上がっていく雅子。 ついていくと、デカい帽子にサングラスに使い古しの長袖シャツ。 もちろん軍手も履いている。

        • オリーブのこと。

          2019年7月16日火曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開10日前。 雅子と二人で今の住処に住み始めたのは、2007年の3月末。 とりあえずリビングと寝室を大きく空けて、 荷物の箱を、書庫にする部屋と僕の仕事部屋に押し込みつつ、 少しずつ片付けていく。 それもそこそこ見えてきた5月くらいに、 どちらからともなく「屋上になんか植えたいね」と言い出した。 常緑樹で手入れが雑でも育ってくれるのがいいな、 と漠然と思いながら、二子玉川の園芸店に行ってみる。 3階建てくらいの

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        • モデル 雅子 を追う旅
          18本

        記事

          2006年のこと(冬)

          ↑ 二人で引っ越した新居の屋上から、もう1年経った冬の景色。 この頃は、まだ富士山が彼方に見えていた。 2019年7月8日月曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開18日前。 そんなことで、ちゃんと紙も出し、共同生活が始まった。 それなりに睦み合い、それなりに放っておき、 それなりに諍ったりもしながら、まあまあの距離感だったと思う。 雅子はどう思っていただろう。 思い返せば、その時期はまだ、 僕はあまり気配りができていた方では無かったかもしれない。 これからどんな生活

          「男と女」

          2019年7月5日金曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開21日前。 雅子が筆頭に挙げる、お気に入りの映画だ。 あらためて、自宅で観た。 この年齢になって、 一本作ったあとだからこそ、 気づくことが山程ある。 映画記録係の女・アンヌ。 レーシングドライバーのジャン=ルイ。 シーンごとにカラーとセピアが入れ替わる手法も、寄りからぐーっと引くカメラワークも、ほんの一瞬インサートしては逃げるカットワークも、時代を超えてモダンだ。 ドーヴィルの潟と海と空、その光と陰、波と

          2006年のこと(秋)

          2019年7月2日火曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開22日前。 イタリアから帰ってきて、夏のど真ん中をどう過ごしていたのか、あまり記憶にない。多分、僕自身はそれなりに忙しくしていたんだと思う。確か「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」の公開が2006年10月28日。その宣伝作りを頑張っていたのは確かだ。 一方で、きっと雅子も忙しくしていたんだと思う。こちらに転がり込んでくる、引っ越しの準備があったからだ。一人暮らしにしてはちょっと広めの部屋にしていて良かった。

          2006年のこと(夏)

          2019年6月29日土曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開27日前。 前回に書いたようなことになったので、 「夏休み取ったら旅行に行こう!」となった。 色々検討した。 パリ。「夏行っても、どこも休みだよ」 トルコ。「うーん、なんか」 バリ島。「だから日焼けはさあ」 などなど悶着あった。 今にして思えば雅子は、 彼女の趣向が合うどの行き先が、 僕に合っているのかを考えていたと思う。 パリが大好きなはずなのに、その時はNGだった。 雅子はきっと「今の大介にパリの良さは分

          2006年のこと(初夏)

          2019年6月23日日曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開33日前。 2006年の3月に試写会で出会い、フランス映画祭に通った。 フランス映画祭も終わって、けれどちょいちょい会い続けた。 日記もブログもつける暇など無かったので、 何月何日に何をどうしていたかなどの記録はない。 でも覚えていることはまあまあある。 街場の映画館でも一緒に映画を観るようになった。 たしか最初に観たのは「寝ずの番」。 僕には珍しく、映画が始まってほんの2、3分遅れて劇場に走り込んだ。 小さ

          2006年のこと(春)

          2019年6月20日木曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開36日前。 僕が雅子と出会ったのは、2006年の3月初旬。 僕が35歳の時分。僕はその前年1月に離婚していた。 「しばらく恋愛とか結婚とかいいわ」と思いつつ、 焦ることもなくボンヤリしていた。 会社では映画製作の仕事をしていて、その縁で試写会ハガキが度々舞い込んでくる。フラリとその試写会にお邪魔したら、「そんな隅っこにいないで、こっちいらっしゃいよ!」500人くらい入る劇場の端から端まで伝わるような大声で、そ

          大事な習慣。

          2019年6月18日火曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開38日前。 取材を受けていて、 「雅子さんが美を保つためにしていた特別なことは?」 などと訊かれる。 「特別なこと」と言われても判らない。 特に高価な化粧品を使っていたわけでもなく、 毎日高価なエステに通っていたわけでもない。 強いていうなら「習慣」だろう。 できるだけ歩く。 朝食にヨーグルトと果物を必ず摂る。 夜20時以降は食べない。 食べ過ぎた次の日や、大きなビューティ仕事の前は、 「調整」として食事を

          文句があるなら、降りてこい。

          2019年6月16日日曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開40日前。 有り難いことに、何件か、 映画についての取材をして頂くことができた。 中には自宅まで来てくださっての取材もあった。 みな土足で踏み込むなどということはなく、 誠意に満ちて一所懸命だった。 本当にありがとうございます。 今後も、この映画を観て頂くために、 できるだけ取材にお応えできればと思っている。 そんな中、ちょっと思い出したことがある。 「知らないことはそっとしておくほうが良いですよ」という人

          文句があるなら、降りてこい。

          距離感、だいじ。

          2019年6月13日木曜日。映画「モデル 雅子 を追う旅」公開43日前。 先輩との親交をベースに、 「NPO法人スーパーダディ協会」に寄せてもらっている。 僕の役目は主に、動画収録担当だ。 「NPO法人スーパーダディ協会」 そのスーパーダディ協会が、今夜 「フウフゲンカシンポジウム シブヤ 2019」を開催した。 「2018」は昨年10月に開催され、 僕はその動画収録を担当した。 その内容がまあ凄かった。 濃厚な議論、リアルな体験談、膝を打つ発見、 動画を編集しててもど

          雅子と吉祥寺、少しだけ。

          2019年6月12日水曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開44日前。 季節外れの桜の写真。撮ったのは2011年4月10日。 分かる人には分かるだろう。 井の頭公園の池の桜だ。吉祥寺なのだ。 この映画の封切劇場「アップリンク吉祥寺」。 雅子が生きている間にはなかった劇場。 けれどアップリンクさん自体には、雅子は縁深い。 その所以は、映画本編に描いてある。 雅子といえば「銀座」「青山」「恵比寿」とか言う人は色々いる。 その人が頻繁に通った場所、 その人の雰囲気や思い出

          雅子と吉祥寺、少しだけ。

          相手を透かして見える世界。

          ↑は2012年のフランス映画祭。雅子が足繁く通っていた。雅子の大好きな、得意分野。一緒に観れた作品も何本かある。 2019年6月11日火曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開45日前。 昨日は書けなかったので、今日もう1回書く。 ありがたいことに、昨日・今日と続けて、 メディアの方々に取材をして頂けました。 どなたにも優しく丁寧に対応して頂いて、心から感謝します。 これからも出来る限りご対応します。 映画「モデル 雅子 を追う旅」について、 雅子のこと、夫婦生活のこ

          相手を透かして見える世界。

          晴れ女、日傘の女。

          2019年6月11日火曜日。 映画「モデル 雅子 を追う旅」公開45日前。 昨日まで降ってた雨が止み、 今朝はすっきり晴れた。 雅子にまつわる雨の思い出は…と昨夜考えていたのだが、 酔っていたからかあまり思い出せなかった。 「わたしは晴れ女だからね」 と言っていたような気がする。 そう。雅子といえば「日傘」だ。 毎年3月から10月いっぱいまで、 昼間の外出時には必ず日傘を差していた。 目が紫外線を受けて肌に色素を出すという話を聞いてから、 夏の外出時にはサングラスも常用