見出し画像

家族を廃止せよ!

 「家族を廃止する」これは大袈裟に言っているのではない! 大真面目である。近代以降に現れた「家族」は核家族を主体とするきわめて少人数で血縁主義的な共同体である。つまり、「パパ、ママ、ボク」の水入らずな関係性(あるいはその中に犬の「ポチ」を入れたいなら入れてもいい)、これが近代家族の典型的な姿である。ぶっちゃけ、私はこれを廃止したい! なぜか? 以下に3つの理由をあげていく。

 第一に、「つまらない!」。私はまさに「パパ、ママ、ボク」の3人家族だったが(ポチはいない)、子供の頃は家族の時間が退屈だった。親との話題もないし、一緒に遊ぶこともあまりなかった。遊んでいても、やはり学校の友達と遊んでいるほうが楽しかった。
 特にキツかったのは家族旅行だ。子供なので観光にはあまり興味がないし、かといって一緒に遊ぶ友達や兄弟はいない。だから一人でゲームをして遊んでいるしかなかった。泊まりに来ている他の家の子供が兄弟同士じゃれ合っているのを見ると、実際はいいことばかりではないのだろうが、羨ましいと思ったものだった。
 こういうと、単に兄弟が欲しかっただけではないかと思われるかもしれない。兄弟が欲しかったことは事実だが、兄弟がいれば万事解決というわけでもない。

退屈だった家族旅行!
 

 第二に、「愛情が重い!」。これも一人っ子特有の問題かもしれないが、親からの愛情が一点に注がれて重たく感じるのである。愛されないよりは愛されたほうがいいとは思うが、その愛はまるで繭のような、外界から隔絶された閉塞感があった。つまり、逃げ場がなく、風通しが悪いのである。 
 私の家は外のコミュニティと関わる機会がほとんどなかったので、私は家以外だと学校にしか行き場所がなかった。だから家にいてもつまらないから学校には休まず通ったし、友達の家に行っても自分の家に帰りたくなかった。友達を家に呼んでも帰ってほしくなかった。それくらい家族は「重かった」。私の家の場合はなかったが、この家族の閉塞感が家庭内暴力を生むのではないだろうか。

誰か~半分背負ってくれ~


 第三に、「介護や死と向き合うのがしんどい!」。年老いた親を持つ子にとって誰しもが避けては通れない道、それは介護である。私の場合は一人っ子なので、自分ひとりで全てを背負わなければならず、尚更重みのある問題だ(考えたくない)。そして、その延長線上にあるのが、「死」である。
 私はどうも死というものをひどく忌避する心性があるらしい。祖父が死んだとき私は小学4年生だったが棺桶に入った亡骸を見るのがものすごく恐ろしかった。見たくなかったのに見させられて、しばらくトラウマのように目に焼き付いた。今でも覚えている。
 要するに、死と向き合うことができないのだ。ましてや、自分の親の死ともなれば、(ここまで家族を否定しておきながらなんだが)一応それなり愛着もあるので受けとめがたいものがあることだろう。

オレ、喪主やりたくね~よ!

 ここまで、私の個人的な経験から、家族を廃止すべき理由を3つあげた。では、私は家族に代わり何を求めているのか。それは「一定の規模を持った共同体」である。イメージとしては、コミューンのようなものかもしれない。数十人規模の共同体。地縁や血縁に縛られる必要はなく、大勢の老若男女が共同生活を送るような共同体が家族に代わるものとしてあってもいいのではないだろうか。
 そこでは、自分と年の近い者も沢山いるため退屈しないだろうし、親のような立場の大人が大勢いて、それぞれから子供達は愛情を受けるため(子供は村の子!)愛情の重みを感じることもない。また、老人の世話は共同体のメンバー全員で見るので一人に負担がかかることはない。そして、誰かの死もメンバー全員で弔うので悲しみを一人で背負う必要もない。喜びも悲しみもみんなで分かち合えばいいのである。
 もちろん、いいことずくめではない。共同生活を送るのだから自分勝手な行動は慎まなければならないし、人間同士なので何かを巡って対立することもあるだろう。私は個人主義者だし、他人とのイザコザも御免なので実際にそういう場に身を置いたら耐えられなくなるかもしれない。しかし、閉鎖的で息苦しかった家族のことを思うとこういう共同体に憧れを抱くものである。

👆こんなカンジで、沢山の人と共同生活を送れば家族の息苦しさはなくなりそうだ。

 長々と書いてきたが、たぶん、こんなコミューンのような共同体を現代日本に作り出すのはほとんど不可能だろう。したがって、より現実的な提案をして本稿を閉じたい。私が子供の頃息苦しかったのは、つまるところ学校に行っている時以外は閉じられた家族の中にしかいられないという閉塞感だ。だったら、たとえば共同保育のような仕組みのなかで、複数の家族が関わり合っていけばよいのではないだろうか。
 だめライフの元祖、だめ連界隈では「沈没家族」という共同保育の場があった。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という考えのもと始められたものである。そこでは母子数名が共同生活を送り、だめ連メンバーや多摩川でテント生活を送る若者など、外部から様々な人たちが子守りに参加したという。
 このように、近代的な核家族によらない家族の在り方が先人によって実践されてきた。もはや家族のみならず日本社会自体が「沈没」に向かっている今、制度疲労を起こす近代家族から解き放たれた、新しい家族の在り方を再び考えるべきなのかもしれない。そして、その使命をだめライフは帯びている気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?