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【堕落編】ASD・ADHDの半生記

幼少期〜高校卒業までを記した前回の記事はこちら。
※読まなくても特に問題はありません。

前回の冒頭にも書いたが、ただ出来事を羅列するだけだと冗長になってしまうので、その反省を活かせたらと思う。
あんなに長い、個人的過ぎる記事なんて誰も読まないだろうと思っていたが、想像以上に♡を貰えて驚いている。ありがとうございます。
(追記)出来事の羅列を避けたのに、結局1万文字超えてしまった。暇潰しになれば幸いである。

本記事は、一部、反社会的な内容や、一般的な倫理観とはかけ離れた内容を含む。念の為断っておくが、発達障害者の全てが後述する様な特徴を持ってる訳では決して無い。苦しみを抱えながらも、真面目に懸命に生きている方達がほとんどである。
以下の内容は、飽くまでも「水川純という人間×タガが外れた期間×発達障害」(アニメ版ハンタみたいな書き方すな)という最悪の化学変化によって起こった事象の記録である、という事を強調しておきたい。


コミュニケーションとかいう無理ゲー(1)

大学進学後、現在に至るまで苦しみ続けている他者とのコミュニケーション。
女子校時代も、「友達の友達」になると途端に話せなくなったりと、振り返ればその兆しはあったが、単なる人見知りなのだと思っていた。友人相手には問題無く、それなりに喋る方である。
大学生になってからも、学部の人と話せないのは人見知りが原因だと思っていた。必修科目は、学部内で20名程度のクラスに分けられた。周りはすぐ仲良くなっていたが、私は誰とも仲良くなれなかった。「自分は多くの人と何かが違う。何かが欠けている」と感じ始めた。

考えてみれば、昔からそうだった。今はすっかりオワコン化したmixiの紹介文にも「変わってるけど面白い子」とよく書かれていた。しかし、女子校に居た子達は皆んな個性が強く、自分の性格も「数ある個性の内の一つ」として肯定的に受け入れられていた。
「①女子校 ②自由な校風 ③中高一貫校」という3つの要素が絡み合い、その様な土壌が出来上がったのだと推測する。3つの要素について詳述するが、共学の環境については、共学出身の友人から聞いた話だけをベースにしているので、「そんな事無いよ」と思われるかも知れないが、大目に見て頂きたい。

①女子校
共学には、最低でも男と女という2種類の性別がある。異性でも友人関係は成立すると私は考えているが、それとは別にモテる/モテないという概念が存在する。こういった「性的魅力」という点での他者からの評価は、女子校では"ほぼ"存在しない(同性愛者等、セクシャルマイノリティの人も居るので)。
或いは、こういったモテる/モテないに参加しない場合──つまり「共学だったが、異性とは会話をしなかった」という人も居る。「それなら女子校と同じじゃん」と思われるだろうが、男子生徒が居る分、必然的に関わる女子の人数も減る。女子校だとそれが起こりづらい。

②自由な校風
私の学年は、総勢200名以上の生徒が居た。つまり、200通り以上の性格の女子が存在した。大別すれば、ギャル、サブカル女子、バンギャ、ガリ勉、漫画オタク、アニメオタク、ジャニオタ、ドルオタ、等居たのだが、スクールカーストは存在しなかったと言って差し支え無い。少なくとも私の体感ではそうだった。

所謂陽キャ、隠キャの違いはあった。しかし、陽キャだからと言ってクラスの人気者だったとは限らない。逆に言えば、他の学校では隠キャ扱いされただろう人物が、クラスの人気者になる事もあった。
私が中学生くらいの頃から、恐らく『涼宮ハルヒ』シリーズの爆発的ヒットや、それに乗じたマーケティングにより、オタク文化は一つのコンテンツとして市民権を得つつあった。それにより、少し前までであれば迫害されていたであろうオタク達も、肩身の狭い思いをせずに済んだ(現在は、日本経済を支える重要なカルチャーの一つになり、大人が「漫画やアニメが好き」と公言しても何も恥ずかしく無い時代になった。凄い事である)。

①と重なる部分だが、身近に恋愛感情を抱く対象が居ない事で、二次元のキャラクターを好きになったり、カップリングに萌えたりして、結果オタクになる例が後を立たなかった。「陽キャだけどオタク」という子もかなり居た。
また、アニメや漫画に限らず、"オタク的"な子が多かった。皆んな何かしら、自分の趣味嗜好を突き詰め、拘りを持っていた。

③中高一貫校
中学入学当初は群雄割拠の戦国時代だったが、上記の通り、カーストが出来たり、特定の誰かが天下統一する事態は起こらなかった。
だから、席が隣同士になれば、オタクとギャルでも仲良くなったし、サブカル女子が流行りのJ POP好きな子と一緒にお弁当を食べる間柄になる事もあった。すぐ側に異文化があり、多種多様な考え方があるのは当たり前だった。

そうして色んな個性が尊重されつつも、6年間あるので、学年全体にある種の"ノリ"が形成される。私の学年は、とにかく「笑える」事が全てだった。
高校生くらいになるとどんどん振り切れて、不謹慎ネタすらも笑いになっていた。初期のダウンタウン的なキツさと、鳥肌実的な不謹慎さがあった。自分が冗談ばかり言う様になったのと、アスペルガーでも冗談が理解出来るのは、こういった環境に身を置いていたからだと思う。
何でも笑いにして良い"ノリ"というのは、私の性格にも合っていた。自分の個性をネタに出来たのは有り難かった。「変わっていて面白い」という風に周りは受け取ってくれた。"ノリ""文法"とも換言出来る。その"文法"に則ってさえ居れば、コミュニティ内のどんな人とでも会話が成立するのである。

しかし、大学では違った。変わっている事で引かれたり、言葉がキツく、思った事を率直に述べるせいで、怖い人だと思われてしまった。共通の"文法"も無い為、会話のリズム、流れ、使われる語彙──何もかもが違う言語体系であると感じた。使っているのは同じ日本語でありながら、その人自身のパーソナリティも、伝えようとしている情報も、理解出来ないのだ。
学部内で友達を作るのは早々に諦め、とある創作系のサークルに入った。そう言えば前回の記事には書かなかったが、協調性が無かったので、6年間帰宅部だった。学校のクラス以外の組織に所属するのは、初めての経験だった。

サークル内では、学部と比べて積極的に友達を作ろうとする姿勢が各々にあったし、昼休みや空きコマ等は部室に集まって、創作活動に専念したり、テレビゲームに興じたり、飲み会をしたり、交流の場が多く設けられた。
変わった先輩も居たし、人数がそれ程多くなかった事もあり(各学年10名足らず)、私の存在も受け入れられた。それでも変わり者枠である事は変わりなかったが。
サークルの人達は徐々に「そういう子なんだ」と理解を示してくれたものの、「破天荒」「ファンキー」「笑いのツボが変」「毒舌」と評される事が多く、これまで通り"素の自分"を表に出すのは良くない、難しいと感じる様になった。慣れない相手とのコミュニケーションの仕方が分からず、共通する"文法"も最初の2年くらいは形成されないので、息苦しさを覚えた。

コミュニケーションとかいう無理ゲー(2)

自分は発達障害なのでは?と疑い初めてから、どんな点で会話に困難さを感じるのか、意識してみた。
大きく分けて、3つある。そして、これらは特に親しくない相手──初対面の人、会社の先輩、美容師等──に当て嵌まる。

まず1つ目。相手の情報が無い。
これは誰しもそうなのだが、自分にとってこの点は、会話をするに当たって大きな障壁に感じる。その人が何が好きで何が嫌いか、どういう思想を持っているのか、どこまで冗談を言っても良いのか、自分の思っている事をどの程度明かして良いのか、といった判断が出来ないので、言葉や話題を物凄く選んでしまう。
自分が流行に詳しく無く、世間一般の"オタク"では無い人からは知られていない嗜好が多い、というのも遠因だろう。ほとんど唯一の無難な話題が少年漫画である。少年漫画は私と世間を繋ぐ鎹である。

2つ目。会話のテンポが速い。
アスペルガーは、好きな話題をバーっと一方的に早口で話す、というイメージを持たれがちだが、私は全く当て嵌まらない。
頭の中に様々な情報が飛び交い、その中から適当な物を選択・抽出し、適切な文章に組み立て、口語に変換する、という作業に骨を折る。大学生くらいから、この感覚を「脳と口が繋がっていない」と表現している。元来、話し方もゆっくりで、あまり抑揚が無い。
定型発達の人々は、ある話題が振られたら、それに対しすぐに言葉や表情でレスポンスをする。頭の中に無駄な情報が飛び交っていないのだと思う。

3人以上の会話になると、自分が言葉を見つけ出す前に話題が進んでしまうので、ついていくだけでやっとである。かと言って、自分と相手2人の会話も、慣れない相手だと「テンポを維持しなきゃ」「興味が無い話題でも付いていかなきゃ」と焦るあまり、その時パッと思いついた意味の無い嘘を吐いてしまうという謎の癖がある。

例えば、前の勤め先で、隣の席の人と好きな音楽の話題になった。その人は、ONE OK ROCKやRADWIMPS等、比較的流行り物の音楽が好きだと話してくれた。「水川さんはどんな音楽聴くの?」と訊かれる。"オタク"では無い人でも知っている音楽の情報を探し始める。しかし、明らかに彼女が知らないであろうミュージシャンの名前が次から次へと邪魔して来る。

別に、好きなミュージシャン答えて、それについて説明すれば良いじゃん、とも思う。他人に限ってはそれで構わない。現に、私はONE OK ROCKもRADWIMPSも名前しか知らない。
しかし、つまらない話題になってしまっては申し訳無いし、説明するのにも言葉を探す作業が生じる。

そうこうしている間に「熟考」レベルの時間になってしまう。慌てて「う〜ん、色々聴くんで難しいですね」等と誤魔化す。すると、その人は恐らく私の見た目や年齢から判断したのだろう、「K POPとか好き?」と訊くので、「あ、好きです!」と100%の嘘を吐いてしまった。という事があった。


こんな感じで、思いつくだけでも

・学生時代は陸上部だった←本当は帰宅部
・千葉県在住←本当は都内
・服は原宿の古着屋で買う←本当はネット
・休みの日はよく出掛ける←本当はベッドの上
・夏フェスに興味がある←無い

等の何の意味も無い嘘を言って来た。助けて下さい。

友人として接している人は、ある程度その人の情報があるので、その情報と共通性のある話題を提示出来る。
また、友人となる可能性のある人物は、ビジネスライクな関係とは異なり、パーソナルな部分にも多少踏み込める為、話題や回答の敷居が下がる。

これらが最も悪影響を及ぼすのが、採用面接である。経歴や志望動機等、一般的な質問は答えられるのだが、たまにある斜め上からの質問には滅法弱い。
頭の中に漂う情報の群れ、しかも面接という場だから敷居は高く、100%の嘘も吐けない。言葉遣いは丁寧且つ分かり易く、声のトーンも高めに抑揚を付け、笑顔で明るい感じも出さねばならない(私は表情が乏しく、声はかなり低い)。不自然なくらいの間が過ぎる。

一度、斜め上の、心理テストの様な質問ばかり続く会社があった。大抵の面接は30分ちょっとで終わるが、そこでは2時間以上掛かった。
「すごく考えながら、正確に応えようとしますね」と面接担当者に言われたくらいである。恐らく、こういう会社は答えの内容より、コミュニケーション能力を見ているのだと思う。熟考する様子が「真面目」と捉えられたらしく、何故か受かったが。

私は、現にこうしてブログを書いている様に、脳内の情報を文字として出力するのは困難を感じない。鶏が先か卵が先かと言う問題でもあるが、いくらでも加筆・修正出来る文字での出力方法に慣れてしまったせいで、会話という不可逆的な行為に対する苦手意識を強めている気がする。
同じ文字でのやり取りでも、LINEやメールでのやり取りは、会話よりマシだが、ブログに比べるとハードルが高い。それは、加筆・修正が出来ず、会話に近いテンポを求められるからかも知れない。

3つ目。ここまでの流れで察しがつくと思うが、「質問される事」「自分の話をする事」が苦手である。
他愛の無い日常会話に於ける質問と言うのは、講義でも討論でも情報戦でも無い。「何と無く」で答えれば良い。それは分かって居るのに、実際の場だと「正確に答えなくてはならない」と言う意識が働く。
また、よく男性がネタにする様な「この前こういう事があって、そしたらこうなって、私はこう思ったんだよね」と言うオチの無い自分語りも出来ない。長い口語文を即興で作る能力も無ければ、出来事から要点となる情報を抽出する能力も無い。

それが原因なのか、子供の頃から話し好きな人と仲良くなる事が多い。その中には、好きな話を一方的に喋り続けるアスペルガーっぽい人も居た。よく話してくれる人なら、相槌を打てば良かったり、話している間に自分の考えをまとめたり出来る。
但し、興味の持てない相手や話題だと、とにかく退屈で、全く頭に入って来ないので一切会話が成り立たない。

忘れ物、失くし物が多い

昔からそうだったが、単純に大雑把なだけだと思っていた。教科書やノートを忘れるのはしょっちゅうだったので、小学生の途中から、全科目の教科書とノート、問題集を毎日持って登下校していた。

大学生になってから、指定の通学鞄が無くなった為、鞄を変えたり、遊びに行くのに不要な物(教材や筆記用具)を出したりする度に、何かしら忘れ物・失くし物をする事が目立った。一軒家に住んでいた時は鍵が無く、暗証番号を入力するオートロックタイプだったが、両親の離婚後に引越したマンションは普通の鍵で施錠するタイプだったので、何本も鍵を失くした。
定期券もよく失くした。飯田橋にある忘れ物センターに何度足を運んだだろう。

会社員になってからも、重要な書類やカードキー等を紛失し、始末書を書かされた事もあった。
職場の机周りはそこまで雑然としていなかったが、どこに閉まったか忘れてしまう、確認せずシュレッダーに掛けてしまう、誤って別の場所にファイリングしてしまう、といったケースが多かった。

先延ばし癖

やらなくてはならない事、緊急性の高いもの程、先延ばしにしてしまう。例えば掃除、支払い関係、役所関係。
身分証が保険証しか無いので、否が応でもマイナンバーカードを作らざるを得ないのだが、ここ数年先延ばしにし続けている。一度、発行するところまで漕ぎ着けたのだが、2年近く受け取りに行かず、その内に引越しをしてしまった。また新しく申請し直さなければならない。面倒臭い。

電気とガス料金は口座引き落としなのでまだ何とかなったが、水道料金は確か銀行に行って口座引き落としの申請をせねばならず、それが一度も出来なかった。払込票が届いても放置してしまい、督促状すらも放置し、何度も水道が止まり掛けた。
仕事でも、報連相を先延ばしにしてしまい、重大なミスに発展してしまう事があった。

基本的に、やりたい事には即取り組めるのだが、必ずしもそうでは無い。やりたい事の中でも、着手出来るのは「目の前にあるやりたい事」だけである。
例えば、好きな海外ミュージシャンが来日公演すると知っても、気付いたらチケット販売日が過ぎていたり、気になっていた美術展の会期がいつの間にか終了していたり、ハマっている漫画のグッズ情報を「後で調べよう」と思ってそのまま忘れてしまったり。
何なら今も、期間限定で配信されている舞台版『弱虫ペダル』(通称ペダステ)を観たいのに、この記事にかかりきりになっている。

嫌いになった訳でも、飽きた訳でも無いのだ。ただ、目の前に他のやりたい事があると、そちらに集中してしまうのだ。…と、意味も無く言い訳をしてみるが、「やらなくてはならない事を先延ばしにしてしまう」のも、「優先度を付けられず、やりたい事ですら後回しににしてしまう」のも、どちらも結局、最大の被害者は自分である。

コンサータを処方されたが、先延ばし癖がダイレクトに改善された気はしない。ただ、集中力が高まり、脳の回転が速くなった感覚はある。脳内にかかった霧が晴れた感じ。
朝起きて、洗顔し、歯を磨き、化粧をして、電車に乗り、職場に向かう──業務開始以前に、この時点で頭が疲れ、すぐ眠くなっていたが、コンサータを服用し始め、1日中起きていられる様になった。以前は「3時間起きて3時間寝る」という生活リズムが一番合っていると感じ、仕事中もよく抗い難い眠気(歩きながら寝るレベル)に襲われていたが、この薬があれば大丈夫だと思う。
結果、今までは「1日1つの事が出来たら良い」だったのが、「1日にやれる事の数が増えた」と感じている。

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