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アドバイスを 「妬み」と言われた話(12/17)

少しフィクションを混ぜながら話をします

先日、「原発被災地域に調査に入って創作する」という趣旨のアーティスト達のプレゼンテーションを聞いた

原発の復興地域は「ふくしま12市町村」と括られ扱われることが多い。しかし取材などで取り上げられるのはほとんどが沿岸部の町だ。12市町村の中でも報道の格差が根強くある。「いつものところに、いつも取材が集まる」という問題だ

その会に参加したほとんどの作家が、海辺周辺の、物理的に原発に近い場所をリサーチする計画だった。調査候補地として、インターネットでよく見る地名ばかり並ぶ。ここでも同様の課題が根強く起きていた

そこで「被災地域は他にもある。ビジュアルの強いところばかりリサーチするのはいかがなものか?他の地域にも人は住んで生活を営んでいるが、取材しないのか?」という趣旨の発言をした

すると福島出身だという参加者の一人がこう言った。「福島は地域ごとに仲が悪い。あなたの発言は、他の地域が妬ましいだけの、古い福島県民の発言に聞こえる」と怒られてしまった

今回はアートの文脈での事業だ。これまでの報道の再生産ではなく、新しい視点を探して活動して欲しいという意図だったが、「妬み」という言葉に簡単にまとめられてしまった。

うまく意図が伝えられなかった事は非常に残念だったが、しばらく考えていると、何か腑に落ちるようなものがあった。それは「何かを主張した相手」に対して「相手の精神状態のせいにして黙らせる論法」が、この場所の「普通」だったんだろうなぁという事

報道されない地域は存在しないのか

それを考えたところで何かが解決するわけじゃないけれど、地域性の一部として理解しておく必要はあるかもしれないと、少し反省したと同時に、自分もそういったものに飲み込まれないように気をつけようと思った

地域でのアート活動は、いい作品を作るだけでは片手落ちだと思っている。人々の生活の営みの中に入り込みながら、そういう悪習も少しずつ変えていったりしながら、未来をつくるための多様性を確保する事もアートの仕事なのかもしれないと、改めて思いました

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