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釣り人語源考 謎の「和邇」(上)

古事記や日本書紀などに出てくる「和邇わに」とはいったい何物なのか。
サメの別名とされる「ワニ」の由来は、語源の界隈を超えて日本の民俗学・歴史学・言語学・生物学の学者たちの大論争を巻き起こし、江戸時代から現代まで結論が出ていない。
各地の口伝に登場する「和邇・鰐・鰐魚」の正体は軟骨魚類サメで間違いないのか、それとも爬虫類ワニなのか。
いろいろ調査してみよう。

どっちなんだい?

広島県備北地域…三次市や庄原市などでは「ワニの料理」が郷土料理となっている。
ワニとはサメの事で、身に多く含まれるアンモニアが腐敗を防ぐ効果があるので、山間部に鮮魚で運んでも傷まず、「ワニの刺身」として珍重された。
「山奥でも刺身が食べたい」という日本人の願望はとても強い。
これらのサメは島根県大田市の五十猛いそたけなどが主な漁港で、江戸時代後半から昭和までネズミザメやアオザメなど20種ほどが市場に集まり広島の山間部へと行商人が運んだ記録が残っている。
中国地方山間部でいう「ワニ」は、出雲や石見、隠岐の島での方言が「サメを”ワニ”とよぶ」に基づいて付けられたようだ。

「ワニの刺身」

昔話でとても有名な「因幡いなば白兎しろうさぎ」は、古事記に出てくる「稻羽之素菟いなばのしろうさぎ」という説話の抜き出しとなっている。
大穴牟遲神おおあなむぢのかみの兄弟神達(八十神やそがみ)が八上比賣やがみひめに求婚しようと出かけた時、オオアナムヂは八十神に荷物持ちとされ従者のように扱われた。
遅れたオオアナムヂが稻羽の気多に通りかかると一匹の赤裸になったウサギが泣いている。
どうかしたのかと尋ねると、「私は隠岐の島にいました。気多に渡ろうと思いましたが方法がありません。そこで”和邇わに”をだまして、『私とあなたたち一族とを比べてどちらが多いでしょうか。私が数えるので隠岐から気多まで一列に並んでください。』と言って和邇の背中を数えるふりをして渡りましたが、最後に『お前たちは騙されたのさ』と言ったところたちまち捕まり皮をむかれてしまい、悲観して泣いていました。するとそこに通りかかった八十神に『塩水に浸かって、山の上で日に当たり風に吹かれておけば治る』と言われました。その通りにすると皮膚が破れ赤く腫れ、痛くて泣いていたのです。」
オオアナムヂは「すぐに水門の水でよく洗い、そこに生えるガマの穂の花粉に転がり皮膚に付ければ、すぐに良くなる。」
ウサギは「ありがとうございます。親切な貴方は姫神と結婚できるでしょう。」と予言した。
…というお話しだ。

サメ説だな…

「因幡の白兎」に登場する「和邇わに」をはじめ、日本書紀にある「海幸山幸」の話に登場する「豊玉姫とよたまひめ」の正体の「八尋大熊鰐やひろおおくまわに」など、和邇・鰐は魚類のサメなのか爬虫類のワニなのかで大論争となっていて結論は出ていない。
軟骨魚サメ説を主張する学者たちは「日本に爬虫類ワニは生息しない」と非常にシンプルな根拠だ。
「サメの古代の別名が「わに」で、山陰地方に方言として残った。」というのが主張である。
海幸山幸の説話に登場する、「一尋和邇ひとひろわにが後に佐比持神さひもちのかみと呼ばれた」という箇所を、鋭い歯を持つサメを表していると説明している。
更に「サメを神格化し信仰した”海洋族”が日本各地にいて、その中に”和邇氏”がいる。海洋神であるサメの娘と天空の神が婚姻して王族が誕生した神話を伝えている。」と非常に説得力のある説を展開している。和邇氏は最も天皇家に妃を出した氏族として知られる。

軟骨魚サメ

いっぽう爬虫類ワニ説を主張する学者は、インドネシアなど東南アジア諸国に「爬虫類ワニが騙されて小動物(マメジカ・サル)が海や川を渡る」説話があって、これらが日本神話の『因幡の白兎』の元となったのは間違いないと言う。
虎や象など、日本に生息しない動物であっても日本人は皮や牙を交易によって手にしていたし、支那大陸や朝鮮半島からの人々の伝聞によって姿形は大まかながら知っていた、と様々な学者たちが主張する。
平安時代の事典『倭名類聚抄』に「鰐 麻果切韻に云はく、鰐〈音はがく、和邇(わに)〉はすっぽんに似て四つ足有り、くちばしの長さ三尺、はなはするどき歯もち、虎及び大鹿の水を渡るとき鰐之を撃ち皆中ばに断むといふ。」
東南アジアのイリエワニかまたは長江のヨウスコウワニを「鱗を持つ大きな顎の巨大な爬虫類」だと平安時代以降の日本人は知っていたのは確実だ。
しかし日本神話が形成される古代に、爬虫類ワニの事を古代日本人は知っていたかは疑問が残る。縄文時代ごろ東南アジアから移動してきたグループが爬虫類ワニの記憶を残し先祖神として信仰してきたから、と学者たちは主張している。

爬虫類ワニ

『出雲国風土記』の仁多郡の説話に、和邇が玉日女命たまひめのみことを慕って川を遡上したので「恋山したひやま」の由来だとある。場所は現在「おに舌震したぶるい」と呼ばれる斐伊川水系の渓谷で、「和邇わにしたぶる」がなまったものだ。かなり上流まで和邇が遡っていることになる。
また『肥前国風土記』の佐嘉郡の条には、海の神である「鰐魚わに」が小魚を多く従えつつ川を遡上し、世田姫よたひめの元へ通う話が収録されている。場所は佐賀市の嘉瀬川の川上峡にある與止日女よどひめ神社である。祀られているのは豊玉姫とよたまひめである。
香川県木田郡にある主祭神が豊玉姫の神社は「和邇賀波わにかわ神社」といい、社伝によると豊玉姫が和邇に乗って川を遡り、この地に上陸したという。日本書紀では海神の娘の豊玉姫は亀に乗って地上の世界に行き、八尋大熊鰐やひろおおくまわに、または竜となってうごめきながら出産したと記している。
島根県出雲市別所町の「鰐淵寺がくえんじ」は、594年創建とされる古刹である。推古天皇の眼病を治すため信濃の智春上人がここにある「浮浪の滝」で祈っていたところ仏器を滝壷に落としてしまった。すると「わにざめ」がこれを咥えて浮かび上がり、無事に祈禱が行われ眼病が平癒したことで建立されたとある。
更には全国に「鰐+淵・滝」の地名が残っている。
広島県東広島市造賀に「鰐淵の滝」があり沼田川水系の造賀川が賀茂台地を浸食するフロントにある滝となっている。『芸藩通誌』に「鰐渕瀧、豊田郡戸野村」とある。
島根県浜田市後野町に「鰐滝・鰐の尾滝」がある。鰐滝は木材会社の私有地にあり許可を受けて見学することになるが、その上流の鰐の尾滝へは道がなく山道を登り渓流を降る専門の装備が必要なので一般人では見ることができない。
長崎県五島列島の福江島には「鰐川」が、熊本県熊本市には「鰐瀬」がある。

姫神に会いに来た和邇

…謎の「和邇」(中)へつづく


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