コラム「あなたは目玉焼きになにをかけますか?」
私にとっておばあさんというのは生まれた時から一緒に住んでいてそばにいるのが当たり前の存在でした。
怒ると少し怖くてやかましい。
凄く元気で毎日畑仕事をしている。
とても優しくて笑うと良い笑顔になる。
全部毎日見れていて、特別でもなんでもない存在でした。
だからこそおばあさんが弱ってきた時に「あれ?」と思いました。
いつまでも生きてそうで誰よりも元気なおばあさんが弱ってきているんだろう、と。
そんなおばあさんが亡くなったのは私が成人してから少ししてからでした。
今思えば一人前になるまで待っていてくれたのかもと思います、私自身は今でも一人前とは言えない気がしますが。
葬儀の用意などで慌ただしい時、私は亡くなったおばあさんに「本人は寝ているだけだからいい気なものだ」と言ったりもしていました。
けれど今なら分かります、あの時私はおばあさんに対してではなく本当はあの状況に文句が言いたかったのだと。
毎日当たり前のように会話していたおばあさんともう話せない。
いつも見れていたおばあさんの笑顔が見られない。
もうおばあさんは起きてこない。
この状況が気に入らなかったのだと今なら分かります、本当にその時には気付けない物があるのだと学びました。
そんなおばあさんは私にとって。
いつでも私の心の中にいて、どういう時にどういうことを言うのか分かるからなんの問題もない人で。
でも、やっぱりもう会えないし見ることもできないから少し寂しくて。
なのに、あの世に行った当人は「儂が死んだ事なんてたいしたことじゃない」と笑いながら言っているはずだから少し腹立たしい。
そして誰よりも人のために頑張っていた私が一番尊敬する人、それが私のおばあさんです。
記憶は消えていくかもしれませんが想いは今も変わらないままです。
ではまた
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