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現在と過去のあわにいざなわれる——倉橋由美子『暗い旅』【書評】

拝啓

昼間であれば、窓を開けていてもゆったり読書できる季節になりました。それで積読タワーから1冊、手に取ろうとしたところ、奥から緋色の箱に見つめられました。それは初めて手に入れた「全集」である『倉橋由美子全作品』。いつか読みたいとあなたが言っていたのを思い出し、倉橋由美子の初長編『暗い旅』をそっと引き寄せてみました。

『倉橋由美子全作品』第3巻

以前にも触れたように、『暗い旅』は二人称小説です。主人公は大学院生である「あなた」。同じ大学院に通っている恋人のミチヲを「あなた」は「かれ」と呼びます。2人が同じことをするときは「あなたがたは…」となります。

物語は、何の前触れもなくミチヲが失踪してから1週間たち、二人が初めて出会った鎌倉の海岸を「あなた」が訪れるところから始まります。講義前に待ち合わせるいつもの喫茶店に、ミチヲはなかなか現れない。彼が行きそうなところや下宿を探してみても、まったく見あたらない。一縷の望みをかけて鎌倉に足を運んだものの、空振りにおわります。

翌日、二人の思い出の地である京都に「あなた」は向かいます。特急の車窓から過ぎゆく光景を眺めつつ、「あなた」とミチヲはどのように出会い、お互いをどのように考え、愛し合っていたのか、ミチヲはなぜ失踪したのか。断章的に綴られる回想と自問自答。その車中で、かつて母親の妹の夫だった大学講師の佐伯と偶然に出会い、誘われるがままに京都で一夜をともにします。翌朝、「あなた」が目覚めたときには、佐伯はもういない。物語は、そんな2月の水曜日から金曜日までの3日間を描きます。

このように書くと、どこか凡庸な小説に思えるでしょう。倉橋由美子は、愚かな欲望や情けなさを競い合う告白文学や、思想やイデオロギーのあり方が作品の価値を決めるといった文学観を徹底的に嫌い、「なにを書くか」よりも「いかに書くか」を重んじていました。主人公と作者を重ね合わせることの多い一人称の「わたし」ではなく、二人称の「あなた」を用いたのは、作者が読者を遠隔操作するためだといいます。

あなたはこれまでのように作者から一方的にある物語を語りきかされるかわりに、小説のなかに招待され、参加することになるでしょう。そこであなたはいろんなことを考え、あなたの過去をおもいだしながら行動していくことになります。

「作者からあなたに」『暗い旅』河出文庫、p244

東京から京都へ向う第二部では、「あなたは○○○する」といった現在形の断章と、「あなたはかれに○○した」といった過去形の断章がちりばめられます。過ぎゆく沿線の風景を物憂げな表情で眺めつつ、実は心ここにあらずで、かれとの日々を思い出し、悔やみ、その不在を嘆く姿が、描写に頼らずとも真に迫ってきます。

とはいえ、「あなた」とミチヲの恋人関係は、どこか現実離れしていて、むしろ醜悪です。愛し合っているから、いつも理解し合える。お互いの意志を少しずつ出し合い、共同管理するという契約なのです。相手の要求があれば何でも話す。お互いの告白を信じるかどうかは自由。二人は、息の合った共演者だというのです。それぞれが別の相手と寝たとしても。

あなたがたの《危険な関係》、完全な了解のもとで、嫉妬なしに、つまりあなたがたのことばではまったくraisonnableにつづけてきた関係のなかに、実は破滅の原因がひそんでいたのではなかったか? あなたがたは合意のうえで裏切り合っていたのではなかったか……なんのために……裏切りながら裏切らないということを証明するために。

『暗い旅』河出文庫、p153

「あなた」も作者もフランス文学を専攻していたことで、ときおりフランス語の単語や短文が舞い込み、フランスの作家や文学も「かれ」との議論にあがり、知性と異質さが交じり合っています。いまでこそ当たり前のように目にする性愛の表現も、1961年の発表当時は過激だったに違いありません。倉橋由美子については唯一といっていいムック『KAWADE 道の手帖 倉橋由美子 夢幻の毒想』には、リアルタイムで読んだ作家や批評家が、とても興奮したり、恥ずかしくなったりした思い出も語られています。

『KAWADE 道の手帖 倉橋由美子 夢幻の毒想』
古書でしか入手できませんが、必読です。

それらも含めて、倉橋由美子は「いかに書くか」を追求しています。詩作はせず、むしろ漢詩を好んた倉橋由美子に、詩情という言葉は似つかわしくありません。しかし、考え抜かれ、磨き上げられ、ぴたりと「きまっている」言葉で醜い観念や毒を吐く文章は、十分に現実を相対化し、批評性もあり、読んでいてしびれるのです。

『聖少女』新潮文庫

前述のムックでは、本作よりも、長編第二作である『聖少女』を先に読み、衝撃を受けた人が多いようです。私もそうです。ただ、倉橋由美子の「なにを書くか」よりも「いかに書くか」という味わいは、『暗い旅』のほうが深いように思います。では『倉橋由美子全作品』に収録されているほかの作品はどうなのだろう。ああ、こうして積読タワーは低くならずに、さらに倉橋由美子を再読したくなる。

偏愛の条件にはいろいろありますが、形式的なことをあげてみると、それはまず再読できるということです。二度目に読む時に、いい人、好きな人と再会するのに似た懐かしさがあって、相手の魅力も一段と増したように思われる。そういうものが偏愛できる作品です。

倉橋由美子「偏愛文学館」講談社文庫、p156

いまこそ倉橋由美子を読んでみたい。あなたの背中を押す手紙になればうれしいです。

敬具

既視の海

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