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アンノウン・デスティニィ 第17話「アンノウン・ベイビー(5)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第17話:アンノウン・ベイビー(5)

【日付不明、つくば市・卵子・精子バンクラボ・人工子宮器格納庫】
「あははは」とつぜん笑い声がふってきた。「それで隠れてるつもり?」
 ほの暗い巨大な空間を慎重に見まわす。体育館の2階ギャラリーのような場所に誰かいる。
「ああ、そっか。あんたたちには明かりが要るんだっけ」
 甲高い声のまわりだけぼおっと弱い光が灯る。
 緑のひだスカートに半袖のセーラー服の女子学生が闇に浮かびあがった。彼女自身が発光しているみたいだ。遠くてはっきりとはわからないが、背中になにか飾りのついたリュックを背負っているようにみえる。およそこの場に似つかわしくない人物。
 アスカは白衣の前からそっと手をいれ、右太ももをさぐる。
「リボルバーじゃ、とどかないわよ」
 アスカは人工子宮器の列の影に身をひそめている。彼女のいる位置からは10メートル以上は離れていて見えないはずだ。それなのに、まだ抜きもしていない銃のグリップに手をかけたことが、いやそれどころか、その銃がリボルバーであることが、なぜわかる?
「撃ってみる? はずしたら跳弾が人工子宮器にあたるかもね。そしたら、せっかくの命がおじゃん」
 彼女のいうとおりだ。こんな場所で発砲などできない。そもそも危険人物なのかも不明だ。見学に来ただけの学生なのかも。あるいは、透みたいなずば抜けた天才で、高校生にしてすでにラボの研究員かもしれない。リボルバーの先を床に向け、相手の位置をたしかめようと、柱の陰から顔をだした瞬間だった。
「いいこと教えてあげる」と目の前に少女の顔がぬっと現れた。
 驚きのあまりアスカはのけぞり倒れそうになる。2階から滑空してきたのだろうか。少女の体は床から浮いていて、すとんと体勢を立て直す。
「あんたの探してる人物は、もうここにはいない」
 アスカの驚きように、くすくすと笑い、こんどはすーっと滑るように舞いあがり右奥の2階ギャラリーに降り立つ。先ほどとは場所が90度異なる。
「えっ!」
 アスカは自らの口から漏れた驚嘆が、少女の発言に対するものなのか、彼女が飛んだことへのものなのか自分でもわからなかった。
「どうして、そんなことがわかるの」
「だって、視えるんだもん」
 視える? 透の未来透視能力みたいに?
「扉を出て右に行くと光の回廊がある。そこにいるわよ」
「あなたは、だれ?」
 アスカの質問には、ふふん、と鼻を鳴らしただけで答えない。
「きょうは、ちょっと顔を拝みにきただけだから、またね。急がないと捕り逃がすわよ」
 それだけいうと、蛍のような光ごと闇に消えた。
 幻を見ていたのだろうか。飛べることや消えたことをのぞいても、ふしぎな少女だった。口調は理知的でたぶん頭もいい。けど、行動にはどこか幼さも見え隠れする。あたしをからかって楽しんでいるだけかもしれないけど。犯人はすでにここにはいない。それはアスカも感じる。行方を見失った今、彼女のいうことが嘘でも事態は同じ。ならば賭けてみようか。迷ってる時間などない。
「キョウカ、どこにいる?」格納庫を出ながらインカムで呼びかける。
「アスカ、あんたこそ、どこ? なんども呼びかけたのよ」
「聞こえてなかった」
 あそこは通信も遮断しているのか。
「あたしは、C棟の2階にいる」キョウカが返答する。
「C棟ってどこ?」
「エントランスホール左側の棟」
「グッジョブ、キョウカ。2階の回廊で挟み撃ちよ」
「作戦はわかるように説明して」キョウカの声がとがる。
「犯人は2階のガラスの回廊に向かってる。あたしはC棟の向かいの棟にいるから、回廊で挟み撃ちにしたい。中心のエスカレーター棟までに捕捉しなければ、十字路で曲がられちゃうし、エスカレーターに乗ってしまう可能性もある。急いで」
「了解」キョウカの応答を耳朶がとらえると、アスカは走りだした。
 廊下の先で白衣の裾がひるがえる。あそこか。今度こそぜったいに捕まえる。
 
 廊下を曲がったところで、5月の明るい光の中に歩み出る背をとらえた。
 C棟のほうから駆けてくるキョウカの姿がみえた。
 とうとう捕まえられる――昂揚を確信にかえようとしたときだった。
 男がさっと屈んだ。
 ――何? 
 アスカの足が一瞬ひるむ。その隙を狙っていたのか、ジュラルミンケースがリノリウムの床を滑り、アスカの足を直撃した。ケースの軌跡を低い姿勢でうかがっていた男は、一瞬ぴくっとしたようにみえた。慣性の法則にひきずられアスカは前のめりに倒れる。寸前で意識とは無関係に体が勝手に反応しくるりと前転する。さっと顔をあげる。そのひょうしに髪が手にひっかかり、ウィッグがはずれ金髪がほどける。キョウカが向こう側からダッシュするのがみえた。アスカも立ちあがり前傾姿勢でスパートする。
 男はジュラルミンケースがアスカの足を引き留めたことで、追いつかれる前に十字路を曲がれるとでも踏んだのだろうか。走らずに大股で進むとエスカレーター塔まであと数メートルで立ち止まった。また腕時計を確認するしぐさをみせる。
 5月の陽光がガラスに反射して一瞬、まぶしくきらめく。
 男は右手を高くつきあげ、バイバイするように手を振る。
 アスカは手を伸ばす。
 まだ数メートルある。
 届かない。
 光のなかに――男はまた消えた。

 アスカとキョウカが全速力で、男の消えた位置に駆け寄る。
 ふたりは抱きあう形で互いを受けとめる。呼吸が整うまでしばらくそうしていた。
「あたしたち、また越鏡した?」キョウカがアスカの肩に手をおき、体を離しながら問う。アスカもきょろきょろと周囲を見まわす。
「ねえ、犯人はどこ?」
 男の気配はない。
 アスカは左脚に目をやる。傷はふたつ。さっき車で越鏡したときについた傷より増えていない。
「キョウカ、脚をみせて。傷はできてない?」
「傷?」そういえば、とキョウカが右脚をアスカに向ける。「車で越鏡したときに痛みが走った」キョウカの右足首に割れたガラスでこすったような傷痕ができていた。血はもう固まっている。
「今は? 今、痛みはあった?」
 キョウカは首を振る。
「じゃ、やっぱり、あたしたちは鏡を越えられなかったみたい」
「それって、犯人を捕り逃がしちゃったってこと?」
 アスカは無言でその場にへたりこみ、うなだれる。
「アスカ、ジュラルミンケース!」
 キョウカが廊下の向こうを指さす。
 そうだ、すっかり忘れていた。あたしが追っていたのは、男じゃなくジュラルミンケースのなかの透との受精卵だ。
 アスカの足を直撃したケースが、廊下の向こうに転がっていた。アスカはまろぶように駆け寄る。横転しているケースを抱きかかえて頬ずりする。
「開けてみたら」キョウカがうながす。
 アスカはリノリウムの床にケースを置くと、前面の2つのフックをはずし、慎重に蓋を開ける。キョウカも顔を近づける。
 銀色に光るジュラルミンケースのなかには、「ノゾミ」と印字された紙が一枚入っているだけだった。

(to be continued)

第18話に続く。

 


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