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アンノウン・デスティニィ 第20話「ノゾミ(1)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第21話:ノゾミ(1)

【2036年5月11日夜、鏡の裏、つくば市・実験林アジト】
 「長い一日で疲れただろ。今夜はこんくらいにしとくか」
 瑛士はアラタと地下道から事務所に戻っていった。アラタはキョウカたちの失踪以来、つくば駅前のアパートには帰らず、事務所で暮らしている。
 
「まあた、そんな顔してる」
 長い髪をタオルドライしながらシャワーから戻ってきたキョウカが、アスカの額を小突く。
「どうせ、あたしのせいでやっかいごとに巻き込んじゃったとか、考えてんでしょ」
 キョウカとアスカはもとが一心同体なだけに、あうんの呼吸よりもずっとなだらかに考えていることや想いが伝わる。
「はははは、そんなことないよ」とアスカは空笑いし、「そうだ」とベッドにかけていた腰を浮かす。
「人工子宮器の格納庫でふしぎな少女にあった。セーラー服姿で、たぶん女子高生ぐらい。体が蛍みたいにぼんやりと光って、コウモリの羽みたいなのがついたリュックを背負ってて飛んだのよ。写真に撮ってるはず」
 ブローチに細工してるカメラからマイクロSDを抜き取りタブレットにセットする。
「へええ、そんな子がいたの」
 キョウカもドライヤーを吹きつけながらのぞく。
「あれ? 写ってない。光量が足りなかった?」
 そんなはずはない。薄闇に整然と並ぶ子宮器のなかで現れては消える泡まではっきりと写っていたのだから。ふたりで顔を見あわせる。
 
【2036年5月12日、鏡の裏、つくば市・実験林アジト】
「お嬢さんたち、おはようさん」
 瑛士が朝食の材料を入れた箱を肩にかついでアラタと、地下道から通ってきた。今朝は俺が当番だ、と下手な口笛をふきながら、オムレツとカリカリベーコンとサラダの朝食を作る。どうやら山際調査事務所は男性陣のほうが料理はうまい。
 瑛士がオムレツを焼いているかたわらで、アラタが豆を挽き、サイフォンをセットしている。こぽこぽと音をたてはじめると、コーヒーの薫りがたちまちに広がる。向こうの世界のシンちゃんも一時期、ネルドリップやサイフォンにはまって、豆の挽きかたからお湯の温度まで検証していたっけ。思い出してアスカは目尻に浮いたひと粒を指の第二関節でぬぐう。
 典型的な朝食の皿がテーブルに並べられると、4人が席につく。非日常のなかの日常が流れる。
「たった一年でさあ」とキョウカがオムレツをフォークでつつきながらいう。「『卵子・精子バンクラボ』ができてんのに、びっくりした。たしか去年の今ごろっていうか、あたしたちにとっては昨日なんだけど、そんときはまだ参院で審議中だったでしょ」
「あっさり参院通過して少子化特別措置法が6月に成立したんだよ」
 瑛士はトーストをかじる。盛大にパンくずをこぼしている。
「ラボの建設が急ピッチで進められ2月に完成した。およそ8カ月の突貫工事さ。可決まえから工事に手をつけてたんじゃねえかって噂だ。ハコものより中身のシステムのほうが肝心だろ」
「おそらくだけどな」と瑛士がフォークの背で皿をたたきながら続ける。
「人工子宮器を開発したメーカーが数年前から長塚大臣にアプローチしてたんじゃねえか。長塚が最大派閥の数を武器に立法化をごり押しした。少子化に対する抜本的対策なんて、わかりやすく国民にアピールできるからな。将来の日本のためとかなんとか、聞こえのいい言葉を並べりゃいいんだから」
「そういえば、長塚が百年の大計だって言ってた」
 アスカが人工子宮器の格納庫で耳にした言葉を紹介する。
「百年の大計ねえ。大義名分のまえでは命も頭数か。へどが出そうだな」と吐き捨てる。
「法律が施行されりゃあ、メーカーには継続的に巨額の利益が舞い込む。巨大な利権が生れる。水面下でシステム自体は完成してて、あとはハコに設置するだけだったんだろ」
 工場のように整然とレーンを流れていく受精卵の列。巨大な格納庫に整列するアクリル筒で孵化される胎児たち。愛情どころか感情すら与えられない。あたしも親の愛を知らない。でも、あたしには植物図鑑をくれた太田さんや14歳から庇護してくれてる山際がいた。
「おかわりは?」
 アラタがコーヒーサーバーをテーブルに置いて座り直すと、
「この一年、これと格闘してました」とシャツの内側にネックレスのようにさげている透のUSBを取り出す。
「一年かけて、ようやく次の越鏡の正確な場所と時間がわかりました」
「やるじゃん」キョウカがアラタの背をたたく。
「で、気づいたことがあるんです」
 アラタがアスカを凝視する。
「これは日向透にとってのロードマップだったんじゃないかと」
「どういうこと?」アスカが首をかしげる。
「まだ解けてないんですけど。おそらく越鏡はあと2回。その1回があす5月13日です。つまり、あと2回で日向透の目的は完遂する」
「それは……次でも犯人を捕まえられなくて、その次でということ?」
 自らの思考を整理するようにたずねる。
「彼には未来透視能力があるって言ってましたよね」
 アスカはうなずく。
「5月8日にアスカさんたちが受精卵盗難画像を見ることを、その能力で視たんじゃないかとも」
 確認するアラタにアスカが答える。
「シンちゃんがそう推測してた」
「ぼくが天才の思考を解読するなんておこがましいけど」と前置きしてからアラタは続けた。
「5月8日の場面を透視した日向透は、受精卵がいつ盗まれるか調べた。鏡が開く座標を計算して5月3日をはじきだす。けど、彼はそれを関係者に伝え盗難を阻止しようとしなかった。なぜか。情報の漏洩を疑ったんだと思います。情報漏洩者を特定できない以上、自らが犯人を確保しようと考えたのではないか。ところが、同日朝に研究室の爆発炎上事故で彼自身が亡くなる。日向は慎重を期すタイプなんですよね。研究者だから実験の失敗を考慮し対策をたてるのは基本だと思います。当然、次善の策も立てていた」
「それが、このUSBの内容?」アスカが指さす。
 うなずきながらアラタが胸のUSBに手をおく。
「あるいは次善の策じゃなくて、これがもとの計画だった」
「どういうこと?」
「5月8日にアスカさんたちが盗難を確認する。この事実はくつがえせないと考え、そこから奪還計画をスタートさせたとしたら」
「直近で鏡の開く日を探す」キョウカが答える。
「そうです。それが5月10日15時51分。次に彼がなにを透視して、どんな計画を立てたのかはわかりません。でも、このUSBに保存されている計算式から導かれる日時にその場所に赴き、何かをしようとしていた。犯人から受精卵を奪還するためなのか。あるいは別の目的なのか」
「別の目的?」アスカがオウム返しで訊く。
「わからないんですよ、どうして日向透がそこまで受精卵に執着したのかが」
 アスカがけげんな顔をする。
「アスカさんも日向が亡くなるまで受精卵に興味なかったんですよね。彼も同じだったんじゃないでしょうか」
 あっ、とアスカは両手で口を押さえる。
「アスカさんとの受精卵だからというなら、ふつうにセックスして子をもうければいい。体外受精なんて不妊治療で試みるものじゃないですか。日向透の受精卵が欲しい第三者が執着するならわかるけど」
「なるほどな」と瑛士が同意する。
「日向透って答えが視えるんでしょ。なんで、わざわざ数式なの」
 キョウカがもっともな点を指摘すると瑛士が、
「計画がばれること、足がつくことをおそれたんじゃねえか」と応えた。
「自由意志での越鏡は禁止されてますからね」アラタが同意する。
「でもさあ、アスカに送ってきたってことは、自分が失敗したらアスカに計画を代行して欲しいってことでしょ。計算が解けなきゃ、できないじゃん」
「迷っていたんじゃないでしょうか」アラタが考えこむようにしていう。
「迷っていた?」アスカがオウム返しする。
「犯人の追跡とか工作とかは、アスカさんやぼくたちがプロです。その協力は喉から手が出るほど欲しかった。けど、巻き込むことにも抵抗があった」
「人は愛する者ができると強くもなるけど、臆病にもなるんだよ」
 瑛士が珍しくいいことを言う。
「アスカさんの世界のぼく、つまりシンを、日向は信頼してたんでしょ」
 アスカが大きくうなずく。
「だから、努力すればぼくやシンに解ける数式にしてあるんです、巧妙に。時間かかっちゃいましたけどね」
「へえ、そんな小細工までできるんだ」キョウカが妙な感心をする。
「ふたりは越鏡を体験してるからわかると思うけど。鏡が開くには光のエネルギーが必要です。だからラボの光の回廊も、曇りでは発動しない。ということは、天候まで計算にいれなきゃいけない。ぼくなんか考えるだけで頭が爆発する。そういう複雑な要素が絡みあってるのをうまく隠して正解へと導くようにしてあった」
「光と鏡界の関係で気づいたんだがな」瑛士がテーブルに肘をつく。手は無意識に煙草を探しているが、ここにはない。あきらめた手が空中でひらひら踊っている。
「黒龍会のやつらが、なんで鏡の開く場所と時間を知りえたかっていう疑問点があっただろ。ふつうに考えりゃ、鏡界部の内通者が情報を流してるのが一番妥当な線なんだが。黒龍会の本拠地の黒河市は、アムール川を挟んでロシアと接する国境の街だ。国境、つまりは境界さ。アムール川は別名、黒竜江といってな。黒龍の鱗のように川面が黒く光ってんだとよ。ひょっとするとそれが鏡の現象を昔から引き起こしてたのかもしんねえ。だから、あいつらは経験則で鏡の開く場所や時間を割り出してんのかもな」
「それと」と瑛士はさらに続ける。「アラタの話からすると、鏡が開く場所を割り出すには天候も考慮した複雑怪奇な計算が必要ってことだよな。鏡界部も、越鏡した事実を把握することはできても、鏡がいつどこで開くかを予測することまではできてねえんじゃ」
「あと」とアラタが追加する。
「時間がミラーナンバーになってるんです」
「ミラーナンバー? 何それ」
 キョウカがコーヒーをカップにつぎながら訊く。
「アスカさんが越鏡したのが、15時51分で1551。ふたりが昨日ワープした正確な時間はこの一年で割り出せて、13時31分でした。1551と1331。なにか気づきませんか」
「あ、まん中で対称になってる」アスカが気づく。
「鏡に写したみたい」キョウカも目を丸くする。
「へえ、時間も鏡仕様か」瑛士が感心する。
「で、次にUSBが示しているのが、2036年5月13日の12時21分。すなわち1221、これもミラーナンバーです。アスカさん、どうしますか」
「もちろん、行くわよ。透の目的を知るために」
「あたしもね」
 キョウカがショッピングに付きあうぐらいの気軽さでいう。
「ひとつまずい報告がある」と瑛士が顔をしかめる。
「『フォレストみやま』での件だがな、遺体は3体しかなかったそうだ」
「嘘!」アスカとキョウカが、驚愕の叫びを同時にあげる。
「一人逃げたってこと?」
「まあ、そうなるな。用心しろよ」

(to be continued)

第21話に続く。

 


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