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『オールド・クロック・カフェ』6杯め「はじまりの時計」(2)

第1話は、こちらから、どうぞ。

<あらすじ>
クリスマス用のもみの木を届けてくれた亜希は、カラーコーディネーター1級の資格をとり、母親との関係を取り戻していた。その亜希が、「お母さんとどうぞ」と顔見世のチケットを2枚くれた。

<登場人物>
桂子‥‥‥‥カフェ店主
亜希‥‥‥‥店舗コーディネーター・1杯め「ピンクの空」主人公
祖父‥‥‥‥カフェの前店主
万季‥‥‥‥桂子の母
泰郎‥‥‥‥カフェの常連・ガラス工芸作家

✻ ✻ ✻ Suspicious Shadow ✻ ✻ ✻

 ランチの客がひけたあとテーブルを片付けていて窓辺で不審な影が動いたのに気づいた。カサッと落ち葉を踏む音がする。
 またか、と桂子は顔をあげる。
 ケトルを火にかけると、からからから、と格子戸の開く音がした。
「いらっしゃ……あ、おじいちゃん」
 祖父が「よっ」と手をあげて入ってきた。
「ちょうどランチのお客様がひけたところよ」
「なかなかの人気やてな」
 十月から限定十八食でランチメニューをはじめた。
 それまではサンドイッチしか用意しておらず、日替わりランチがあったらなあ、と常連さんに請われていた。ひとりで切り盛りしているので注文のたびに作るメニューは難しい。温めるだけでよくて日替わりにできるものはないかと考え、キッシュランチを思いついた。大皿にキッシュとサラダと箸休めを一品盛る。ポタージュスープとドリンクを付けて千円にした。キッシュは前の晩に三台焼いておく。一台を六等分にするので十八食。オーダーが入ると、キッシュとスープを温めればすむ。これまでは祖父から継いだことをなぞっていただけだったが、自分の色を足したくなったのだ。
 ツリーをモミの木にしたのも、そのひとつ。
「ほんもののモミの木か、ええなあ」
「亜希さんにお願いしたの」
 祖父は後ろ手を組んでツリーを見あげる。
「おじいちゃん、今日はどの時計のメンテナンス?」
 尋ねながら桂子は祖父のために京番茶を火にかける。コンロのカチッという音が小さく響く。
 祖父は戸口を振り返り「やれやれ」とため息をつく。半開きの格子戸を寒風がかたかたと叩いていた。
「早よ入らんかい」
 戸の向こうに声をかけると、ベージュのトレンチコートに大きな丸いサングラス、頭にスカーフを巻いたひと昔前の女優のような恰好の女性がうつむきかげんで入ってきた。
「おかあ……さん」
 桂子の声におずおずと顔をあげた母の万季は、冬に似合わないサングラスをかけたまま「ごめんやで」と何に謝っているのか湯気に消えてしまいそうな声で謝罪の言葉をもらす。
 桂子の胸に小さな棘がちくりと刺さる。
 さっきの不審な影は、やはり母だったのか。
 初めてその影に気づいたのは、店を継いで三日めの昼前だった。泰郎が帰り、桂子は客のいない時間をどう使えばよいのかわからずにいた。冬の陽は弱くだるまストーブの温もりが窓を白く曇らせている。店の奥の壁中央に鎮座する置床式の古時計を磨こうとひざまずいて、結露で曇ったガラス越しに影が揺れたような気がした。カサッと枯れ葉を踏む音がする。桂子は時計を拭いていた布巾を握りしめ立ちあがる。足音を立てぬよう壁伝いに表庭側の窓へ近づいた。ざりっ、玉砂利を踏みしめて去っていくトレンチコートの裾が風に巻きあげられるのが見えた。
 不審な影は毎日現れた。やがて週に数度になり、しだいに間隔があき一年が過ぎるころにはごくまれにしか見かけなくなっていた。おびえたのは最初の一度だけですぐに影の主は母とわかった。
 このあたりは昔からの京雀がかしましい。
「あれ万季ちゃんやろ」
「けったいな恰好しとってやったな」
「冬やのにサングラスかけてスカーフ真知子巻きにしてなあ」
「なんぞ用事やったんか、桂ちゃん」
 桂子が黒板メニューを椅子に立て掛けながら首を振ると、おばさん連中は箒を持ったまま顔を見合わせる。母は変装をしているつもりでも噂の種をまいていただけだった。
 
「おまえもひとつ飾ったらどうや」
 モミの木の前で佇む母に祖父がうながす。
「これ」母は亜希が飾った時計のオーナメントを指さす。
「お母さんと寺町の骨董屋さんで見つけたやつよ」
「まだ、あったんやね」
 言いながらサングラスをはずす。笑ってないのに目尻に皺が寄っていた。

(to be continued)

第3話に続く。


 

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