マガジンのカバー画像

まだ見ぬあなたにきっと伝わると信じて綴るラブレター

74
森香がライブフライヤーをSNSにアップするときの飾り文です。 ただ流れ、消えてゆくのがもったいなくて、妻が拾い集めました。
運営しているクリエイター

記事一覧

えーな、いいだ、いーな、と良き言葉のラインが中央高速沿線につながっている。強調の表現に否定語を使うとインパクトは強くなる。
これ以上の幸せはない!みたいな。
一方否定する表現はグサグサ刺さる。それを感動と感じる場合も多い。でも何か違うなと思う。
えーな、いいだ、いーな、奇跡の道だ

うたの旅を始めてから、いつか生まれ故郷で歌いたいと願って2018年にようやく実現した。わしのオムツを変えたおばあちゃんが何人も現れて驚いた。今度は大好きな人たちの故郷に歌いに行けるなんて。うたの旅を続けていて本当によかったと思う。(枕崎市、nutmegとのライブ)

人生は加算されていくのはいくのか、減算されていくのか、どっちなんだろう。現実はままならないもので手の下しようもない、受け入れるしかない。でも受け入れた後はこっちのものだ。それをどう捉えるかは自由だ。命を削った分、人生は加算されていくんだと伝えるのが年長者の仕事だ。

若い人たちの表現のトーンの柔らかさや洗練具合を出してみたいとトライしてみるが、うまくいかない。そこを個性というのかもしれないけれど、ビートルズもストーンズも俺たちもそれぐらいは出来るぜと流行りのスタイルで作品を作っている。それがすごいと思うし真似したいところだ。悔しいが。

秋吉台を知ったのは小学校の教科書ではなかったかなあ。カルスト台地という名前。鍾乳洞もその時知った思う。昨年初めてその地を訪れた。その不思議な様相になんとも言えない興奮を覚えた。知ると見るではこんなにも違うのだなあ。否応なしに目の前に広がるもの、抗えない。旅というものを知った。

静かにご縁は繋がっていく。少し離れざるを得ない時期があったとしてもきっといつか再会できるはず。巡り巡ってまた会える。そう思って流れに乗っていくのだよ。

修行は、悟りをめざして心身浄化を習い修めること、仏道に努めること、学問や技芸を磨くため、努力して学ぶことなどを意味する。Wikipediaより。特に高知は「歌小屋の2階」でのライブはその意味が強いのかな。いや、歌うこと自体そんな感じかもだ。

耶馬溪という地名をライブで配っているスケジュール表に入れておくと九州の人はみんな反応する。岡山の牛窓や中部地方の恵那峡やあまり観光してない私でも少しは気になる。少し気になってるとこには移住してる人も多くいるようで、今までにないムーブメントが起きたりしている。興味深い。

奄美の島唄は島の人々の生活から生まれたそうだ。サトウキビを作らされ貧しさまで強要されてもうたうことでなんとか生き延びた。うたの様式は自由で発生も表現も自由で哀愁を帯びている。前回マヤスコでのライブ後に若い唄者の女性がお迎えの歌を歌ってくれた。長い旅の中でも初めての経験。

先輩!!
みんないなくなっちゃって寂しいねえ。今となってはどんどん貴重になってくる先輩との共演。どんどん丸くなっていく先輩。どんどん小さくなっていく先輩。でもまだ見せてくれる向上心、そして伸び代。
行け行け先輩!!後輩なんぞ踏み潰し!わしらはまだ春、踏まれて強くなる季節だ。

初長崎は原爆忌だった。前日熊本で歌い、完全に導かれた気持ちでファンの方に長崎まで送ってもらった。愛知県から広島・長崎へ向かっていた音楽仲間と合流し、爆心地公園で歌って、夜は福岡で歌う為に午後一番で列車に乗った。色んな出会いや別れを経験したが、今も長崎に向かえることに感謝している。

素晴らしい歌い手を発見した時の嬉しくて悔しい複雑な気持ち、これは正直になれない言葉が頭をぐるぐるして大変なのよ。旅していると発見してもらえることが多くいいしれぬ喜びがある。発見してくれた人が素晴らしい歌い手だともうなんか制御不能。
そんなライブが作れる時の嬉しさと言ったら、ねぇ。

船に乗るのが好きだ。うっすらとしか見えなかった対岸がだんだんはっきり見えてくる。波を感じ、力強いスクリューとエンジンの振動を感じ、ゆったりといえど時速40キロの風を感じるのはとても心地良い。風速10メートルくらいだな。次の場所に向かっている感覚が好きなのかな?

伊賀の皆様には以前からめっちゃ応援していただいてる。ありがとうございます。
ハリウッド映画は桃太郎の焼き直しではないかと思ってるのだが、仲間探しから問題解決へとストーリーが動く。わしは今どこにいるのか?力弱さのせいでまだまだ仲間集めの段階だと思う。もっと愛を持って仲間の所に。