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アラフォー母、ダメな部分を積極的に子へ晒す

おはようございます^^
新学年、新学期、新クラス。
情報が山盛りで、家がとっちらかる兆し。。。あわわわ。
子ども達が学校へ行っている時間は、とてもとても貴重かもしれない。
本当に何をしても自由だけど、YouTubeをごろごろ見てる場合じゃ無い!
と、昨年までの自分を悔い、改めようと思いました。反省。


「あなたのお話を聴くだけ」活動(改1)。

今後の「あなたのお話を聴くだけ」活動をちょこっっとだけ。
自分の家族と生活圏内の方々のお話を聴くことに専念します。
当たり前なんだけど、意外と聴いてないかもと、思うことがありまして。
遠い他人より、近くの他人の話を聴くのも、また修行。
むしろ、苦行かもしれない。だからこそ、やってみる。

何より、小さい頃の私は母に振り向いてほしかった、話を聴いて欲しかった、と強い思いがあったので、自分の家族の声を私が聴かねば誰が聴く!?
ということで、浮き足立たず、干渉しすぎず、放置しすぎず、周囲に関わることを始めます。
活動を始めるきっかけ、経緯、熱い思いは変わらないです。
下記noteをご覧いただけると嬉しいです。

母こそだらしなくても良い

周囲を見渡すと、素敵なお母さんばかり。
おしゃれで、可愛いor美しい、若々しく、メイクもバッチシ。
家のドアを開けて一歩出たら、装いは美しくあるべき。
美容には抜かりなくあるべき。
シミ、シワ、白髪はあるまじき。隠すべし。
人前では、ちゃんとすべき。
これ、私にとっては、とてつもなく息苦しい世界でした…。

私が共働きの時代は仕事のためやむなし、装ってました。
働くことを辞めてからも、子ども達の送迎で、当たり前に装ってました。
知らず知らずのうちに、だんだん気持ちが塞ぎ込み、できるだけ出なくて良いように、引きこもるようになりました。

SNSも、キラキラしすぎていて、なんだか自分に劣等感。
でも、気にすれば気にするほど見ちゃう。
YouTubeも見ちゃう。
ゲームもしちゃう。
だから、アンインストールしたのに、またインストールしてる自分がいる。
うじうじ、グルグルを繰り返していました。

今振り返って思うのは、楽になりたかった。
役割とか、人としてという部分をサボりたかった。
堂々とサボって楽になれば良いんだけれど、うじうじ。
結局、自分を苦しめていました。
ある時、ふと「もう、いいんじゃない?」と思いました。

『自分を親から解放していいんじゃない?』

何かというと、実は全ての『すべき』が『親の観念』だったんです。
私がいつも家を出る時、どこからともなく『すべき』の声が届く。
実際に声が聞こえるのでは無いけれど、なんとなく私に絡まっていました。
誰かに監視されているような気がする。
実際にカメラがあるわけでは無いけれど、なんとなく見られている。
「あ、私、このままの姿で外に出ては行けない」
と、気付けば出不精になっていました。
それが自分の首を絞めていたのだと、気付きました。

そういえば、母はいつも他者と比較していました。
息をするように、うわごとのように、他者との比較を
私は聞かされていました。
内容は「自分はダメだ」「あんたはダメだ」といった否定的なもの。
私の引きこもりは、長年刷り込まれた親の言動へ抵抗していたようです。
私は結婚して、とっくに家を出ているのにね。

引きこもってYouTubeを見あさっていた時、
「たとえ、服(下着)に穴があいていても、髪がボサボサで、
 顔がボロボロで、眉の手入れしてなくても、 
 子どもと一緒にいるお母さんの姿が美しい。大丈夫大丈夫」
とおっしゃる佐藤亮子さんの言葉がしみました。
「そっか、そうだよねぇ」
と、本当にほっとして、私の心が軽くなり、救われました。

それからいろいろあり、
少しずつ「まぁ、いっか」と思えるようになる事も増え。
カウンセリングに少し通い、本の原稿も書るようになり。
家を出るのが億劫なら、人を招き入れたらいいかと、
家を定期的に掃除するようになり。
学友を招いて自宅でカフェタイムをするようになり。
今の私は選択的ノーメイクで、服装もほぼ一緒の毎日で出歩いています。
私的には最大3パターンくらいで、苦手なファッションは省エネに。
肌の手入れは、日焼け止めと泡洗顔と基礎化粧だけに。
なんなら、外出がない日は、一日中パジャマで家事をし、家の中をうろうろ、ゴロゴロ、忙しくしています。

母親って、子どもから見たら基本最強で、スーパーウーマンの存在。
生まれたての時は眠い目をこすって、ずっと要望に応えてくれる。
気付けば子どもより先に起きて、後に寝てずっと起きてるし。
お弁当も美味しいし、ご飯も出てくるし、好みも知っているし。
病気の時は他を捨てでも付き添ってくれる。
書いてみて改めて思います。母は最強ですよね。
世の中で母以外にこんなに自分に尽くしてくれる人いないですよね。
これってどの国でもそんなイメージが強いような気が、私はしています。

だからこそ、
「へー、お母さんでも最強じゃない時もあるんだ」
というだらしない母、マイナスイメージの母がリアルに居た方が、
世の母様方は生きやすくなるのではないかなーと思っています。
なにより『私が生きやすい』、これが大事な気がします。
だから、私の子ども達からそのイメージを刷り込んでいます。
いいじゃんね。ダラダラしてる母。
だらだらが月2~3日x12ヶ月でも、1年で1ヶ月前後くらいですよ。
ダラダラする母、初めは勇気が要りましたけどね。
最初の一歩は踏み出せたので、頑張らない私を続けてみます。

今日も愛のある穏やかな一日となりますように~^^
最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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