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子から見る親、親から見る子

さて、前回から「家族」について考え始めています。

▼ 「当たり前」を見直してみる

人それぞれ「家族」に関する「当たり前」がありますよね。ネット上などで親子の悩みを目にしたりもしますが、「親なんだから」「子なんだから」こうするのが当たり前の押し付け合いがあって悩みになっていたり、メンタルのお仕事をしていると、結構な頻度で根っこに親子関係の思いがある、それが行動を止めているものになっている、ということがあったりもします。

子どもの立場としても、今や年齢を重ねて随分大人になっているはずなのに、それでも、親に対する期待が実は手放せていなかったりするケースもよくあります。

いずれも、それがダメということではなくて、結構な割合で、人ってそういうものを持ち合わせているものなんだな、というかんじです。

で、自分で「当たり前」と思っていることは空気みたいなもので気づきづらいことではあるのですが、改めて、私は何を無意識に当たり前だと思っているのかを見直し、そして、ちょっと他人と出し合ってみたりなんかすると、違いを感じられたりしておもしろいと思うんです。

▼ 役割に紐付いているもの

結局、自分は「家族」というラベルの中の、「子ども」「親」という役割に関してどういう意味付けをしているか、ということです。その役割を説明するときに「べき」という言葉も使われるかもしれません。もう一度いいますが、正しいとか正しくないとかは、ここでは重要ではありません。例えばこんなのはいかがでしょう。

・親は子どもを守るものだ
・親は間違ってはいけない
・親は子にきちんとした教育を受けさせるものだ
・親は子どもの可能性を広げる関わりをするものだ
・母親は子どもに無条件の愛を与える存在だ
・家族は父親と母親と両方が揃っているものだ
・子どもは親の言うことを聞くものだ
・子どもは親の面倒を見るものだ
・子どもは親の所有物だ
・親子は仲良くあるものだ
・親子は理解しあえるものだ

こんなものは出したらキリがありませんが、どうでしょう?文言を見て、イラッとするものもあるかもしれません。そうだそうだと納得するものもあるかもしれません。他にどんなものが思い浮かびますか?

▼ 家族っていったいどういう関係なんだろう?

この無意識になっている「当たり前」に気づくだけでもなにか変化があるかもしれません。さらに、今回の場では、改めて気づいた「当たり前」を意識的に脇に置いて考えてみたいこともあります。

自分が考える、親の役割、子どもの役割、これまで何も疑問に思っていなかった「家族ってこういうものでしょ」という自分の当たり前を脇において、一人の人間として、彼ら彼女らを見ていくとどうなるのでしょう。

当たり前に、生まれたときからそばにいて、毎日一緒にいて、自分の世話をしてくれていて、親だと思っているけれどまっさらな気持ちで、

「家族っていったいどういう関係なんだろう?」
「この人はいったい誰なんだろう?」

ということを、改めて疑問に思ってみるのです。

ここはむしろ、14歳という年齢だからこそ、その考えがうまくいくのかもしれません。池田さんは言います。

親から見ても、君が生まれたから君の親になったのであって、はじめから君の親としていたわけではない。

『14歳からの哲学』

この言葉を大人の私が受け取ると「何を当たり前のことを」と思います。自分が子供を産んでいたとしたら、それ以前の自分の人生を知っています。

でも、14歳…自分の人生くらいまではようやく認識しているけれど、いっぱいいっぱいで、自分が生まれる前に親に人生があったことがすっかり抜け落ちていて
自分に何が与えられるのかが大事で、親が個人であること、親以外の役割があることの認識がなかったことにハッとします。

親は親だとしか思っていなかったけれど、彼ら彼女らにもそれぞれの人生がある…?

親を一個人として、彼ら彼女らの人生にどれだけ思いを巡らせてきただろうか?大人になった今だからこそ、彼ら彼女らの人生について多くのものが見えるようになってきているかもしれません。

「家族」ってどういう関係なんでしょうね?
「親」ってなんなんでしょう?

引き続き、考えてみたいと思います。

(文責:森本)

追伸。

11月の対話会について

対話会に先立って、少し話をしてみました。

参考図書など


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