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【読書】田沼意次の時代

歴史を勉強してると、時々「この人、必要以上に悪く書かれてるな〜」と思う人物に出くわす。

そんな悪く言われる人物の筆頭として、江戸時代中期の政治家「田沼意次」が挙げられるだろう。

田沼意次は、江戸幕府将軍、9代徳川家重と10代徳川家治の時代の政治家だ。側用人と老中を歴任し、その時代の政治の中心にいた。
一般的には、賄賂政治の権化として悪名高い人物でもある。

そんな田沼意次についての有名な書籍である「田沼意次の時代」(大石慎三郎 著)を読んだ。

田沼意次の時代

本書籍は、江戸時代研究の第一人者であった大石慎三郎先生の代表的な著作の一つであり、他の江戸時代の書籍を読んでいると、必ず引用される本でもある。

「読んでみたいな〜」と大分前から思っていたが、今回初めて読んだ。

1. 偏った資料

本書の内容について、個人的な理解を以下に示す。

田沼意次への過剰な悪評は、どのように作られたのか。
本書は現在使用される資料の偏りに注目する。

田沼意次批判に頻繁に使われる資料は「続三王外記」や「甲子夜話」などが代表的だ。

しかし、これらの資料は、田沼意次の政敵である人物が書いたものとされる。例えば、「甲子夜話」を書いた松浦静山は、田沼意次へ強い敵意を持っていた松平定信の盟友、本多忠籌や松平信明と親戚関係にあった。

田沼の政敵であった人物の親戚として、田沼のことは自然と厳しく書かれがちだ。

本書は、田沼批判の資料を精査し、その偏りについて指摘する。

2. 実際には何をしたのか?

それでは、田沼意次が側用人、老中として政権の中心にいた時代、どのような政策が施行されたのだろうか?

本書では、以下の4点に絞って評価を行なっている。
 ① 流通税の導入
 ② 通貨の一元化政策
 ③ 蝦夷地の調査とその開発計画
 ④ 印旛沼の干拓とその挫折
以下では、その概要について簡潔にまとめてみた。

① 流通税の導入

田沼意次の政策の中でも、最も有名で最も悪名高い政策だ。

江戸幕府は農民から直接徴収する「年貢」が主要な収入源となっていた。しかし、農民からの「年貢」の徴収率は、時代を経るごとに徐々に低下し、幕府の収入が減少し続ける問題に直面していた。

そこで、導入されたのが、主に商人が扱う商品流通に課税する間接税の導入である。

これは、取り扱い商品ごと、流通段階ごとに仲間組合を組ませて、「冥加金」という形で幕府に納めさせた。

現在の消費税とも考え方が似ている政策であるが、この間接税の導入は「営業権の独占をもたらし、物価高騰をもたらした。」として天保12年(1841年)に廃止される。

② 通貨の一元化政策

江戸時代は東日本と西日本で通貨制度の違いがあった。「東の金遣い、西の銀遣い」と言われるように、東日本は金貨を中心とする貨幣制度、西日本は銀貨を中心とする貨幣制度で成り立っていた。(ここに銭貨の通貨制度も合わせられる。)

この両者の交換比率は、当時の景気状況などによって変動しており、その交換には両替商などの商人が参入していた。

田沼意次はこの金と銀の交換比率を安定させるために、「明和五匁銀」や「南鐐二朱銀」を発行する。

これは東と西で異なる通貨制度を統合するための政策であった。
しかし、2つの通貨制度の狭間で利益を得ていた両替商から猛烈な反対を呼び起こし、田沼意次の失脚に伴って廃止された。

なお、この政策は時代の要求とも合致する政策だったため、松平定信が老中を解任された後、再会された。

③ 蝦夷地の調査とその開発計画

田沼意次の時代は、蝦夷地(今の北海道)にロシア人がちらほらと現れ始めた時期だ。(ラクスマン来航は松平定信が老中の頃だが、それ以前からロシア人の船が現れ始めていた)

この蝦夷地の事情を調査するために、田沼意次は、当時の勘定奉行松平秀持を中心に蝦夷地探検をおこなっている。この蝦夷地探検は東は国後島、北は樺太まで到達し、将来的な蝦夷地開発を目指した。

最終的には田沼意次の失脚により、実現されることはなく、蝦夷地の開発は明治時代に再開されている。

④ 印旛沼の干拓とその挫折

江戸時代は多くの湖が干拓され、農地へと転換した時代だ。
田沼意次の政権もこの流れを引き継ぎ、現在の千葉県にある印旛沼の干拓に取り組んでいる。

しかし、この干拓事業は、工事期間中の大規模な洪水と田沼意次の失脚によって、中止に追い込まれた。

3. 対照的な生き方をした大田南畝

上記で記したように、田沼意次は積極的に政策を行った。しかし、その政策は当時の人々から強烈な非難を浴び、10代将軍 徳川家治の死去に伴い失脚する。

田沼意次以降、政権の中心に座ったのは、松平定信だ。
定信の元、所謂、「寛政の改革」と呼ばれる政策が実行される。

田沼の時代と定信の時代、この二つの時代を生きて、対照的な人生を送ったとして本書で取り上げられているのが、狂歌師として有名な大田南畝だ。

田沼意次の時代、大田南畝は、狂詩集『寝惚先生文集』で江戸文学界のスターとして活躍していた。この頃は、町人文化が花開き、山東京伝蔦屋重三郎などの文人が活躍した時代だった。

しかし、松平定信の時代になるとこの雰囲気は一変する。江戸文学界は重い規制を受けて停滞。大田南畝も出版ができず、一介の小役人としてその生涯を終える。

4. 本書の感想

一般的には「賄賂政治の権化」として非常に悪いイメージがある田沼意次。その田沼意次の政治について、本書は資料の信憑性から精査している。

1つ1つの政策を改めて俯瞰すると、政策のポジティブな面もネガティブな面も浮かび上がって面白かった。個人的には、田沼意次が非常に真摯に政策に向き合った人物にみえて仕方がない。

徳川綱吉の時代もそうだけど、どうしてここまで「悪評」が定着したのか?そのメカニズムに興味が沸く書籍だった。



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