見出し画像

不器用な包みをほどいて。

7月生まれの私には、毎年包みをほどいて眺めるだけのプレゼントが、1つだけある。

***

私には5歳年下の妹がいる。

子供の頃の妹は、三姉妹の末っ子気質が強くワガママで、父が〝前世はどこかのお姫様だな〟とのたまうくらい女の子らしい女の子だった。欲しいものは欲しいと言って自己主張する。思い通りにならないと泣いたり怒ったり感情を強く前に出して、両親の手を焼かせた。私とはまるで真逆だった。

物分かりの良さを拗らせた私の横で、妹はどんどん〝自分らしく〟なっていく。自分を押し殺して過ごす私とは、何もかもが正反対だった。

それでも羨ましいと妬んだりはしなかった。まるで性質が違う、私は私であるから妹と同じことができないのをちゃんと理解していた。〝あなたはお姉ちゃんなんだから〟そういう類の言葉を私はあまり両親から言われてきていない。家庭内での自分の役割を、私なりにきちんとわきまえていたからだ。


***


両親の仲がいよいよ修復できないほど拗れてしまい、私も家を出て、大学を卒業した妹は会社の寮に入った。女の子らしいまま、容姿の華やかさも相まって沢山の人から好かれる人になった。姉妹に優劣をつけるわけではないけれど、女の子らしい妹を父はよく可愛がっていた。私は〝父から可愛がられる〟ということがいまいちピンと来なくて、いつからか距離を取るようになっていた。

〝これが欲しい〟とはっきり言える妹と、父は食事や買い物によく行く。〝なにも欲しいものは無い〟そういって私は遠ざけるばっかりで、最後にあったのはたぶん4年くらい前だ。


***

数年前の誕生日の日、家に帰るとテーブルの上に包みが置いてあった。華やかでかわいらしい、ピンクのラッピングがしてある有名なブランドの包み。

嫌な予感がして、包みに手を付けられないまま数分それを眺めていた。どう考えても私の誕生日プレゼントなわけだけど、その包みやブランドが明らかに私にはそぐわないもので、開けるのがすごく怖かった。

意を決して包みを開くと、パステルグリーンの綺麗な箱の中にオフホワイト色の長財布が入っていた。ビジューや小ぶりなリボンモチーフのついた、いかにも女の子らしい女子高生や女子大生に似合いそうなお財布。その時の私の年齢で使うにははっきり言って〝イタい〟見た目のものだった。

あの日の記憶は今でも鮮明に思い出せる。気が付くと財布を持ったまま私は号泣していた。嬉しかったからじゃない、哀しかったからだ。


オフホワイト色も、ビジューもリボンもそのブランドでさえ、全部私が好きではない物だったから。父は私のことを一つも知らないのだと、これが似合わない年齢なんだと知りもしないんだと、そう思った。

暗い気持ちのまま、その年の誕生日を過ごしたのをよく覚えている。


***

好みじゃない物をもらうことだって、あげることだっていくらでもある。でもそこに気持ちが籠っていれば、それだけで嬉しいのがプレゼントだと思ってる。じゃあどうしてあんなに苦い気持ちになったのか。

思い返せば父はいつも押しつけがましい人だった。自分がしてあげたことは無条件に相手が喜ぶと思っている節がある。その根底に〝人を喜ばせたい〟という気持ちがあることは分かっているけれど。でも、見当違いの優しさに上手く〝ありがとう〟ということができなかったことで激しく叱責されるたび、自分の中に暗い影が落ちた。未だに人に〝ありがとう〟という時私は緊張してしまう。

色々な経験則が交差して、私は〝独善〟と〝本当の善〟を必要以上に天秤にかけるようになった。


***

〝気に入らないなら捨てちゃえばいいじゃない〟〝売ってしまえば?〟そう言われてもどうしてか、そんなことできない。綺麗なピンクの包みに包んだまま、引き出しの中にずっとしまってる。

あの日から、毎年誕生日の近くになるとその包みをほどいて中をみる。不器用で雑な字で書かれたバースデーカードと、いつまで経ってもずっと似合わないままの綺麗なお財布を交互に眺めて涙が出る。


数年経ってなんとなく思う事。父の中では私も妹もきっと〝女の子〟だった。もしかしたら、幼少の頃からめちゃくちゃだった家庭内に対しての、罪滅ぼしなのかもしれない。自分もきっと、それをどこか感覚的には分かっていたのに、未だに暗い影がなかなか拭えないことが許せなくて、受け入れられなかったのかもしれない。

父はきっと私を喜ばせたかった。ただそれだけだったんだろう。

今年も包みをほどいて、綺麗なお財布とメッセージカードをみつめた。年々不器用で歪な、精一杯の愛情が確かにそこにあったことを思い知るようになって、戸惑いを隠せない。されたことは中々忘れられないけれど、私ももう随分と大人になった。

もしこの先自分が家庭を持つことがあれば、尚更思い知るんだろう。生きることは大変なんだ。でも、心に暗い影を落とすような生き方を、私は選びたくない。

だから選ばない。私は自分の家庭と同じ生き方をしない。影が差しても、傍で光を分けてくれる人たちがいる。自分が幸せでなくちゃ、大切なものはきっと守れない。


***

今年も誕生日が過ぎて、また歳を重ねた。

包みをほどくたび涙が出るけど、生まれてこなければよかったと何度も何度も思ったこともあるけれど、残りの人生の時間、父も母も幸せに過ごしてほしいと、心から思っている。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?