ポップになれない私へ

去年、双極性障害だと診断された。

大学2年生の時、わたしは部屋で1人泣き続けていた。

コロナ禍の大学生活は、指南も生徒間の共有も繋がりもない手探りの課題地獄だった。一浪していた私は多くの学びを受け取ろうと指定の何倍もの量書き連ねていて成績はかなり良かった。でも、私はそんなに頭も良くなければ、集中力の続くタイプでもないのだ。それが足を踏み外した原因だった。

パソコンを開くと涙が止まらない。それを見た親ははじめ「おいおい」と笑っていたが、異変に気づきパソコンから引き剥がしてくれた。初めて父親に抱きしめられたのを覚えている。期末試験の頃だった。

もともと通っていたソーシャルワーカーの方に相談し、わたしは通院することになった。

はじめに行ったクリニックでは、ほとんど喋っていないのに統合失調症だと言われた。わたしは何も分からずまた泣いてしまった。クリニックが初めてだった私には、お前は何もかも間違っていると言われた気分だった。病院を変えた。

比較的新しいクリニックに行くと、話をきちんと聞いてくれた。パソコンから目を離し、こちらを見てくれた。それだけで、泣かなくて済んだ。

期末試験は泣きながら期限の延長を求めた。単位を落とすと、命が落ちるくらいの気持ちでいた。精神疾患を理由にして、さすがに期限の延長を断る人はほとんど居らずわたしは無事課題を提出した。

それから一年近く通った。

その間にわたしは、命を感じる食べ物をほとんど食べれなくなり、大好きだった本が読めなくなり、電車では数分でも吐き気や震えや冷や汗との戦いになり、太ももを殴るようになり、薬を吐き、足がまともに動かなくなり、テレビが見れなくなり、ニュースが見れなくなり、心が不安定で家族と会話ができない日があり、映画を見ると寝込むようになり、午前は全く動けない日がありトイレにはって行き、怒りをコントロール出来なくなり、すぐ泣くようになり、毎日寝る前などの30分焦燥感と絶望感で悶え、スマホで動画を流さないと全く眠れなくなり、花火を見た日にはパニックになって悪夢を見、深夜にひとりで妄想しながら喋るせいで全く眠れない日が増え、異常な量人と会う約束を取り付け、バイト先に行くと見るからにおかしな不調が現れるようになった。

精神疾患は診断されるまでに時間を要することが多いらしく、わたしは結局なんなのだろうと思いながら三週間に一回通院した。

ある日、双極性障害という焼印を押された。

初めは、なにそれと思った。躁鬱とも言われると聞いて、真っ先に思い出したのはニーディーガールオーバードーズというゲームの超てんちゃんだった。特定の服装などに代表されるスタイルが、躁鬱という病気と強く結びついていた。あれは素敵だけど、私のキャラじゃないよな。そう思ったのだ。

そして、その時にはわたしは自分の手には負えないほど、出費を重ねていた。

気づいたら物を買っていたし、サブスクに加入していたし、人との約束を取りつけていた。双極性障害あるあるを後に知ったが、躁の時にやったことを鬱の時に死ぬほど後悔するらしい。自分で自分の首を絞めるのだ。

でも、双極性障害だとは思わなかった。誤診なんじゃないかとか、わたしは回復傾向にあるのかなとか思った。

今月から、人生は生きているのを後悔し続ける時間になった。

先月から金縛りみたいなものにあうようになって、今月からはほとんど毎日そうだった。身体が命令を無視するようになったのだ。誰かに全身で押さえつけられているかのように動かない。マットに沈むという言葉がこんなに似合う状態はない。わたしは頭の中で乗り込んだロボットが壊れていくドロンボー一味を思い浮かべていた。焦りや不安は似たものがあると思う。勿論あんなにポップではないけれど。ずっと寝れている訳ではなくて、なんどもタワーオブテラーに乗った時のような浮遊感と落下している感覚にあって起きる。わたしは叫ぼうとして喉から空気を絞り出した。

親からは朝起きないからだと言われ家事をやらないことを責められ、友達のInstagramがハリウッドスターのピンナップに見える。殺してくださいと祈りながら、わたしは毎日何度も目を瞑った。スマートフォンだけが、わたしにとって塔にひとつしかない窓だった。

まあ、最近は起きれるようになってきた。というか、寝なくても走り回れる。つまり躁状態ということだ。めちゃくちゃ喋って、喋った後に相手に嫌な思いをさせているかもと気づいて絶望するが止められない。現にnoteだってかなりの頻度更新している。友達にいらんLINEをしてしまうこともあり、絶望の時間である。双極性障害は治っても周りに味方が0人になっていることがあると説明するクリニックもあるということを、最近知った。

今双極性障害ってこういうことだぞと言うのを、身体中で感じさせられている。感情のコントロールが全くできない病気なのだと知った。

超てんちゃんが定期的な配信活動を行えることにとても尊敬の念を抱くようになった。私にはできない。だって鬱状態の時に配信の日が来ちゃったら終わるから。ベッドの上から寝息をきかせるだけになると書いて、多分配信機材の調整も出来ないなと思い直す。

最悪なことに完全に双極性障害と分かって、わたしはいろんなことが許せなくなった。

自分の中で許せない発言をした人の全てを許せないし、わたしの知らないキャラですら性的消費をしているオタクを許せないし、頭を下げない自転車への腹の立方は持続するし、なにより「躁鬱っぽい」という自称がキツい。

元気な時と元気じゃない時があるということへの表現を「躁鬱」と現される時、この苦しみを知らない人に利用される気持ちになってしまうのだ。インフルエンザになってないのに、インフルですって言うのと同じくらい誤用だし。たまに周囲にも精神疾患を自称したり匂わせたりする人がいるけど、病院に行って欲しいしか言うことがない。予約すぐ取れる病院紹介するから。

創作物にしても現実の人間にしても、双極性障害は世界観の構築とかのために使われているのをよく見かける。でも現実にはわたしたちは壊れたロボットの中で逃げ場を失ったドロンボー一味なのだ。周りからはかっこいいとかかわいいとか、そういうことは思われる状態ではない。ただ治さなくてはいけない状態なだけだ。ボヤッキーがじばくスイッチを押す前に。

誰にも頼れない。今自分を解決できるのは自分だけだ。そう思い毎日言語化してはどう解決すればいいのか考える。嘘だ。正確に言えば、考えることが出来たらラッキーだ。言語化は逃げ場であり、救いを求めた祈りであるというのは、右手を骨折して左手しか頼れない時の感覚だ。

妹には毎日なにかしらの進歩を見せないと、親は納得しないと言われた。父親からは双極性障害はもっと大変で、お前はそれほど苦しんでいないから違う病気だと言われた。

なんでこんなことになってしまったんだろう。

毎日薬を7錠飲んでいる。少ないと思う人も多いだろうが、わたしはいつもえづきながら吐き気をこらえながら飲む。喉がぐるぐるとなり、胃に落ちていくのを拒否する。先生からは感覚が過敏になっていると言われた。これだって家族からすれば、大袈裟であり早く飲めばいいのにと思われる。些細なことが出来なくなっていて、努力をしていない!という見下げためで見つめられる。それに、薬でどうにかなるなんて結局は心なんてないのだなと穴の空いたような気分になる。

道で芸能人に会わないかなと思っていた心は、お願いしますお願いだから私にだけ隕石を落としてくださいという祈りに変わってしまった。死にたいと思う時、動けるような身体の状態ではないから。死ぬことばかり考えていた。わたしにとって死だけが決まっている輝かしい未来だから。死んだらみんなに愛されたかのように誤解できると思っているから。

死にたい時はいつも、カフカの死ぬとは他の牢獄に移ることに他ならないという言葉を思い出し諦めていた。今は、多分ここよりその牢獄の方がマシなんじゃないかと思う。

唯一の救いがスマートフォンだ。誰かに認めてもらうことが出来れば、最悪な気分の時でも知らない人に笑わせてもらうことも出来る。ひとりじゃない気分にさせてくれる。SNSは私が唯一健常者のフリができるかもしれない場所。知り合いのいないアカウントなら、何度助けてと言ったって無視して貰えるしうざがられない。ついさっき、昔親に頻繁に殴られていたことを思い出したりしても、今は動画を見てくすくす笑っているなんてことが成立する。投薬によって20キロ太ってしまった私のことを知らなくても、会わなければ人と繋がることが出来る。

依存しているけど、なかったら多分生きていけなかった。

そして、最近気づいたことは、この病気は1人で戦い続けなければならないということだ。

家族から心配されるのは初めの方だけで、飽きられたらずっと怠慢を指摘される。友達には私を背負わせる訳には行かない。先生は薬を出す以外に助けてくれない。私はこの苦しみをひとりで抱え、尚且つそれがアピールに見えないように抑え込むしかないのだと気づいた。みんなそれぞれ毎日大変なんだよ、1人だけ不幸な面して...の「みんな」と同じスケールで戦わなければならない。

本当は春から働くはずだった。内定先は複数あったので、どこだと苦しくなく働けるか必死に考えた。志望動機が素敵だから会議で名前が上がりますよと言われたことが、今となっては忘れてはいけない他人からの唯一の評価になってしまった。祖父母に働くところを説明した時の涙が、今は苦しい。

なんでこんなことになってしまったんだろう。

病気を恨むことしか出来ない自分を、ころしたくなる。己をナイフで何度も突き刺すイメージが頭を走っていく。過疎のSNSで以前「同じ病気ですが、8年通っています」と言われたことを思い出して毎日息を止めている。

私には双極性障害以外にも発達障害があり、性別への悩みがある。昔障害者施設を扱った本で、「ハンディキャップを背負ったやつに神様はさらにハンディキャップを背負わせるんだよ、救ってくれるわけねーだろ」という言葉があったのを思い出す。わたしにとって生まれてきたことは、後悔だった。それ以上でもそれ以下でもない。神様がいるなら、生きることも生まれたことも後悔しますようにと思う。

吐く場所がないから、だらだらと書き連ねてしまった。

noteは書き続けるかもしれないし、書けなくなるかもしれません。見かけたら、まだ死んでいないのだなと思ってください。生きる上でハードルはどんどん増えていき、しかもそのハードルは高くなっていく。わたしはいずれ、そのハードルを越えられなくなるでしょう。

いつかまた本を読めるようになりますように。煙たがられる数が減りますように。

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