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受験の半年間。娘が報われない日々から羽ばたくまで。

僕の記事が更新されなくなった〝空白の半年間〟に起こった出来事。

命も危ぶまれた、僕のがん疑惑。
マイナスから始まった、息子の進路問題。

今日は大トリ、娘が抱えていた問題について書いていこうと思います。

まさか、高校受験の本番目前であんな事態になるなんて……。

一体、なにが起こったというのか。

先に書いておきたいのは〝前提〟です。息子と同様、娘もまた母親の死に直面したことで、生活に大きな変化が出ました。

朝になるとお腹が痛み出し、トイレから出られなくなる。学校に行っても、授業を受けられない。次第に出席日数は減っていき、やがて〝不登校〟となりました。4年生のときからです。

中学校で心機一転を図るも、順風満帆とはいきませんでした。

疲れが溜まってくると、腹痛に頭痛……。
あるときは〝失声〟の症状が出たこともありました。

転機となったのは、2年生の夏から秋にかけてです。

一言で言うと、同じクラスに親友ができたんです。その子に会いたいから、学校へ行く。同じ塾にも行く。出席日数は増えていきました。

そんな中で迎えた、最終学年。僕と娘は、悩みました。

志望校をどこにするのか?

成績は中の中、通信簿にはいつも〝3〟が並ぶ平均っ娘。
入学を目指せるラインはどこなのか。
メンタルのことを考えると、校風と通学条件も重要です。
なにより、娘自身が高校に求めるものとは?

中学と塾で面談を重ね、指針を決めたのは夏。しかし、それは〝報われない日々〟のはじまりだったんです。

夏休み。

本気宣言をした娘に対し、塾は思い切った提案してきました。

あえての〝長期・・集中カリキュラム〟!

つまるところ、娘が選んだのはかなりレベルの高い高校だったんです。今まで休んでいて抜け落ちていた基礎をしっかり固める意図がありました。

組まれた授業は三桁超え。来る日も来る日も、朝も夜も塾と家を往復しました。家でも山積みになった課題に追われて……。それは、まさに人生最大の努力といえるものでした。

さあ、そして休み明けのテストですよ。

平均点は上がりました。
美術とはいえ、初めて〝90点〟の大台も超えました。

それなのに、不思議と通信簿の評価が変わらない?

相対評価の不思議。

平均点は上がっても、努力の対価として満足はできなかったようです。さらに追い討ちとなったのが、親友の存在です。

夏期講習に通った時間ははるかに上回っているのに、通信簿の評価は同じくらい。それどころか、最も伸ばしたかった教科では負けてしまった……。

ある夜のことです。

娘が部屋から出てきて、僕の傍に立ってぼろぼろ泣き出したんです。悔し涙です。普段はあまり感情を表に出さない子なので、びっくりしました。

その後のテストでも、遂に得意科目で〝90点〟超えを達成しましたが、通信簿上では初の〝5〟に届きませんでした。

校外で行われる模試も今ひとつ。志望校の判定が上向くこともありませんでした。塾からは「あれだけ頑張ってくれたのに、申し訳ありません」と謝罪されました。

報われない。それでも、また頑張るしかない。

一方、娘にはもうひとつの悩みがありました。

学校での人間関係です。

自分には無関係の噂話が原因でクラス中から無視されてしまったり、親友だった子と物理的にも心理的にも距離ができてしまったり。後から聞かされた話では、勘違いヤローからハラスメントされたこともあったとか。

友達はほしい。積極的な性格ではないけれど、自分なりに頑張ってみる。

しかし、報われない。なんなら悪意にさらされてしまう。

季節は秋から冬へと移っていきました。

冬休み。冬期講習は夏の反省を踏まえて臨みました。

こなすことで精一杯にならないように。
小さな成功体験を積み重ねていけるように。
後悔のない環境をつくっていく。

学校が長期休暇に入ったおかげで、人間関係の悩みは減りました。あとはどれだけ成績が上がっていくか。最終的に受ける高校はふたつ。本命はそのまま難関に挑むことにしました。

そして、冬休みが終わります。

実はここで冒頭にも書いた「あんな事態」が起こるわけです。

なんと、学校は始まったというのに、娘が「登校したくない」と言い出したのです! 欠席は1日、2日、3日と伸びていき、遂には最初の受験日まで出席なし。

一番の理由は「人間関係に振り回されたくない」

僕は娘の望むまま休ませました。先生にも事情を話しました。これまで何度も通ってきた道です。それが、受験直前ってだけと考えました。

さあ、迎えた本番。

現実的なことを考えると、ここで受かっておかないと厳しい。予想される合格率は七割ほどでしたが、重圧がどう影響するか。

テストが終わってから合否発表までの間、娘は不安そうでした。まさか、ここでも報われないなんてことは……。

ドキドキハラハラの合否発表。

高校を訪れると封筒を渡されました。その中には……、

サクラサク🌸 合格通知書が入っていました!

「これで高校生になれるよ!」と喜んだ娘は、最高にかわいかった。素敵なえくぼでした。

その後も、娘は不登校のまま本命の高校も受験。

流石にそちらは不合格となってしまいました。

個人的にはよかったと思っています。僕自身、背伸びして入った学校で大変な目に遭いましたし、受かった高校の方が通学が容易なので。

頑張ってきた半年間、最後は報われたのかなと思えます。

卒業式は感動的でした。

電撃退院できたことで、僕も出席できたのです。学校側の計らいで、トイレに近い席を用意してもらえました。

僕がたのしみにしていたのは、保護者へと配られるという手紙です。

会場につくと、式次第と一緒に渡されました。さて、これをどのタイミングで読むか。

卒業証書授与。

BGMは秋の合唱祭で歌った曲でした。娘は実行委員を務めあげ、一丸となったクラスはみごと金賞を授かりました。娘があんなに前のめりになった行事はあれが最初で最後でした。

証書を受け取った瞬間、涙腺がどっと緩むのを自覚しました。

さらに涙をこらえながら名前を読み上げる、先生の声。

3年間、うちの問題児にこれでもかと寄り添ってくれました。受け持ってくださってありがとうございます。僕たちは戦友です。

手紙を読むなら、ここしかない。

体育館の最後方、僕はこっそり封筒を取り出しました。そこには、たくさんの「ありがとう」が綴られていて、最高の一文で締めくくられていました。

中身は僕たちだけのひみつ。

「泣かすなよ… 問題児のクセに…」と涙したことだけ、お伝えしておきます。これまであったいろんなことが「報われた」と思える、素敵な手紙でした。

春から羽ばたいていく君へ。
おめでとう、がんばったね!
ありがとう、これからもよろしく!

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