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告白・超越的体験とクオリアと超弦理論についての持論(展開の前に)

毎度、お断りをしながら持論を展開するというのはなんとも情けないことではあるが、正直私の学問的知識は狭く浅い。体験したことのみが唯一の知識ならば、まだまだ私の51年間の経験では、そのメタ科学的仮説を科学的実証性のある言語にまとめるに至る道は見えない。 現実社会の常識に照らし合わせたら、矛盾したり誤った表現ばかりかもしれない。その点も含めて、最後まで読んでいただける方がいらしたら、これも私の中の一つの体験的真実となり、さらに次の想像の世界を広げていただくことになるので、先に感謝申し上げたい。(ただ、今回は始まりの前のご挨拶となりました)

なぜ、このテーマで突然書こう思い立ったかといえば、現実逃避なのかもしれない。心理学科に入学したが、長く体系的学習から離れていたこともあり、手間取っているところに、ここ1週間ほど、毎日毎日、途切れなく学習で刺激された脳に引き付けられるキーワードがどんどん飛び込んでくるタイミング(ときどき起きる)が重なった。「勉強せねば!」から「ワクワクが始まった!!!」が強くなる脳の悪い癖がでてきてたため、インプットとアウトプットを交互にすることにした。

この3年間で、今の私に影響したトリガーになったキーワードたち

その周りには無数のカギ穴がある

すべて私の不思議体験につながって見える。
「超越体験、クオリア、超弦理論についての持論」として、いつの日かこれを証明してみたいという奇特な科学者や研究者がいたら、他の事例とともに検証したい。

同時に本業の勉強態勢を確固たるものにして計画的に確実に階段を上がることにチャレンジをする。(親の援助のもと大学で学べる人は幸運だとつくづく思う。自分の時間を自分のために使えることを心から堪能していただきたいと切に願う。私自身、家族に迷惑をかけないように、この道を真面目に進み続けることを自分に言い聞かせ、最初の2年を過ごしていきたい)

もともと、このnoteを書き出したのも、自己開示の場として、不思議体験や社会事象、宇宙観、哲学などの持論を書き綴る目的で始めたのだけれど、なかなか毎回言葉に詰まってしまっていくつもの下書きがたまる一方になってしまった。

事の始まりは、3年前のある日、15年ぶりに偶然の一致(シンクロニシティ)の連続が起きはじめたところから、物語を始めたいと思う。 この3年いろいろなことがあった。 まるで20歳の若者のように恋をし恋に破れた。30年前と何も変わらぬ心の弱さと自分の精神障害を知ることになった。

細かい偶然の一致が続いている錯覚の中で、30年前の不思議体験を人に話す機会がある時期続いたが、共感が得れないというモヤモヤが残っただけだった。呼吸で整えることを覚えた(精神科医のアドバイスで瞑想師になったという経緯もあるほど、それまでは心身のずれを理解していなかった。)

その流れから、Covic-19パンデミックで、私の中に変化が起きた。
自分の無力さを知った。何ができるかわからなかった。

そこでも、偶然の力によってユヴァル・ハラリ氏がヴィパッサナー瞑想を生活に取り入れていると聞き、私も学ぶことにした。インド・リシュケシにある学校で指導者資格が取れるというの学んだ結果によって、31年前の体験が大昔から多くの人が体験してきたことを知った。

脳内でカチッと入った「これは潜在的共通知識なのだ」という確信

ただ、それを言葉で伝えることの難しさは過去31年間、何度も経験しているので、苦手意識が先に立つ。しかし私自身、役に立たないと思っていたその体験が、実は私を救ってくれた道だということも知った。

それを「潜在的共通知識」だと伝える方法は自分で工夫するしかない。ヴィパッサナー瞑想指導者といっても今の私はまだ「橋渡し役」の段階だ。 人をもっと理解を深めるために、私は心理学の道を選んだ。そして、一発目に学んだことは、人は聞くことで伝えられるということ。

「大学なんて行く必要ない。自分で研究すればよい」と茂木健一郎さんは言っていた。確かに、私の不思議体験のトリガーにもなった心理学者エリック・エリクソンは正式な心理学の学徒を経験したことがなかったけれど、多くの実績を残し、今の発達心理学に大きく影響している。ただ、私に必要なのは、30年という時間をもう一度生きる無我夢中を体験すること。(計算すれば81歳になってしまうが)

近道だと思った大学が、私を現実から遠ざけるかもしれない。しかし、血肉にしたいものが見えている以上、一歩一歩進みたい。そのためにも、31年間私がどこか受け入れきれなかった不思議体験と改めて向き合い「同一化」を意識してみる。

そのための一歩は、臨床心理カウンセリングでも行わる「聞いてもらう」という手法として、この場を使いたい。トリガーになったキーワード 100分de名著のMomoの解説をする臨床心理士の河合俊雄さんの一説だ。

引用:「ここ で、 話す こと の 意味 について 考え ましょ う。 話 という もの は、 一人 で 持っ て い ても 話 にはなり ませ ん。 必ず 誰 かに 語ら れる 必要 が あり ます。 何 十年 も 経っ てから 犯罪 を 告白 する 人 が いる よう に、 自分 の 中 に ある 話 は 人 に 語ら ない と 自分 にとって の 真実 には なら ない の です。心理療法 でも 同じ こと が いえ ます。 クライエント が 抱え て き た 思い は、 語ら れる こと で 重要 な 意味 を 持ち ます。 自分 さえ わかっ て いれ ば、 人 に いわ なく ても 同じ だ と 思う かも しれ ませ ん。 しかし そう では ない。 誰 かに 語っ て 共有 さ れる こと によって、 初めて それ は 本当 の こと に なる の です。」


先日、Youtubeで悩み相談をしている茂木健一郎校長へ今回お話したい不思議体験(超越体験と書いてみた)をしたことを伝え、この個人的体験を共感できないか、また科学的証明について質問してみたところ、個人だけの体験であり、稀にしか起きない再現性のない脳内の事象はほかの人が共感することはできないし、科学的証明は難しい。多くの研究はされているのでそちらを参照するようにという旨のご回答をいただいた。その中で、「その人にとって真実の体験」というコメントに脳みそが反応した。「そうか。私の真実と他者の真実は違ってよいんだ!その体験は意識に上ってきクオリア。共通知識の解釈が異なるだけで、元は一つなのだ」

なので、私は同一化し、脱同一化することで、私は、この新しく学んだヴィパッサナー瞑想と心理学領域の知識と技術を使って子どもたちの発達に少しでも役に立てる道を垣間見た。そのためには、私が執着し続けた体験に向き合い完結しないことには、心理学の道を歩む人間としては大きな障壁となり、子どもを取り巻く社会とは繫がり合えないと理解できた。

私に必要な能力は、話すことではなく、聞くことなのだ。

そのためには、まず承認欲求とともに、聞いて(ここでは読んでもらう)もらうしかない。 多くの人はすでに歩み始めていた道を私の時間軸でしか進めない自己の発達は自分でしか歩めないのだ。

私の学びのタイミングは今なのだ。そして、私が今までどうしても手放せなかった「不思議な体験」を言葉で形にすることによって、「同一化」からいかに「脱同一化」できるかを模索し、そして「統合」の発達段階を順序だてて踏む自分を想像してみた。(インテグラル心理学・ケン・ウィルバー参照)「聞く私」になるためには、自我とその体験を同一化させなければならない。ここまで31年も放置せざる得なかった。それが、「私の時間」と「星の時間」の関係なのかもしれない。

時間 の 源 を 見 た モモ は、 この こと を 友達 に 話し ても いい かと ホラ に 尋ね ます。 ホラ は「 それ を 話す ため には、 まず おまえ の なか で ことば が 熟さ なく ては いけ ない」 と 語り ます。 そう、 真実 を 友達 と 分かち 合う ため にも、やはり「 星 の 時間」 を 待た なけれ ば いけ ない の です。
日本放送協会; NHK出版. NHK 100分 de 名著 ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年 8月 [雑誌] (NHKテキスト) (Kindle の位置No.835-837). NHK出版. Kindle 版.

私が不思議な体験をしたのは31年前、当時は伝える言葉も見つからず、不思議体験の話をする機会も、10回程度だったのではないかと思う。そして、それが人様の役に立たない「私だけ」の体験であり、他の人には伝わらないし無用なものと思わざるしか得なかった。それが少しずつ理論的に辻褄が合ってきて、過去に起きた事例の文献や話を聞くと合致することが分かり始めた。

昨今のマインドフルネスや、トランスパーソナル心理学、トランセンデンタル体験といった話題も増え、どこかでその体験が人類の「潜在的共通知識」として認識する時代が来たのではないか? まさに次の星座宮が移るように。

この機会に「トランセンデンタル体験研究所」を立ち上げ、世界中から幼胎児体験、臨死体験、前世記憶と思われる体験をされた方のお話を集め、直接お話を伺いたいと考えるまでに至った。連絡先など詳細は、後日コミュニティーを立ち上げたいと思います。自己にまつわる臨死体験、超越体験、胎児記憶など、実体験談をお待ちしています。

前置きはここまでにして、次回は、私の31年前の「不思議体験」を見たまま感じたまま聞いたまま書き始めたいと思います。

ご興味をもっていただければありがたいです。

天野Sagjo

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