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相模原障碍者施設殺傷事件から考えたこと

相模原障碍者施設殺傷事件は2016年7月26日未明に

神奈川県相模原市の知的障碍者福祉施設「津久井やまゆり園」

にて発生した大量殺人事件です

元施設職員の植松聖(当時26歳)が施設に侵入して

所持していた刃物で入所者19人を刺殺し

入所者、職員計26人に重軽傷を負わせました

植松聖は2020年3月に死刑が確定しました

植松聖は「重度障碍者は殺した方がいい、生きていても仕方がない」

と主張したそうです

今の日本にも結構、このような優生思想があります

私は優生思想には反対です

優生思想の悪い点を述べてみたいと思います

まず、切られた側からしたらとんでもない話です

私は精神障碍者ですが

働いていますし、元プロボクサーなので

切られる側に回ったら

断固として戦います

実は、切られかけているように感じているのですが

次に、未来に備えるなら多様性が必要と言う考え方があります

今の人間が考えている「良い遺伝子や、高い能力」が

未だ来ぬ未来にて

必ずしも大事な能力になるとは限らないからです

そういうわけで私は優生思想を支持しないです

植松聖は死刑が確定しましたが

死刑制度は優生思想からくる制度か

という問いがあります

これは植松聖に関する事件だからそう感じるだけです

植松聖は一人の大量殺人者で

その思想と死刑制度には何の関係もありません

次に、死刑制度の是非について考えてみました

何故死刑が必要か

一つには、犯罪を抑制するためと言われています

死刑のある国や地域と

死刑のない国や地域とで

凶悪犯罪の発生率に差はないそうです

次に、犯人に罰を与えるという考え方です

被害者側が処罰感情を持つのは当然と思います

処罰感情を人の命より優先するかどうか

という問題があります

仮に処罰感情がなかったらどうでしょうか

例えば終身刑にした場合

犯人を皆さんの税金を使って生かすのか

という問題があります

もう一つ

罪は償うことが出来るのだ

と言う考え方があります

そのために刑務所や様々な刑があります

罪を償った人間は

刑期を終えて刑務所から出て来れるのです

罪を償うという観点から考えると

命を持ってしか償えない罪もあるのではないかと思います

そもそも罪を償うという考え方がおかしいというなら話は別です

その場合は法も何もあったものではありません

私は植松聖はその罪を命で償うしかないと思います

読んでいただき有り難うございました




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