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日本の会社員の働き方を、真面目に批判したい

かねてより、きちんと書きたいと思ってきたことを、ようやく書く気になりました。
4月といえば日本では入社の季節ですが、新入社員よりも、中堅クラス以上の会社員にお伝えしたいことです。

結局のところ、企業風土の問題に行き着く

出社する必要ってあるの?
と最初に疑問をもったのは、2000年のことだった。
当時 28歳の私は、UAE のドバイで現地法人の管理業務全般を行っていた。
ある日、オフィスに泥棒が入り、金庫などが荒らされたことがあった。警察による現場検証のため、しばらくオフィスが使えなくなった。
そのとき、在宅勤務で普通に仕事が回ることを知った。
しかし、オフィスが回復すると、すぐにまた出社モードに戻った。このときは、出社することの必要性に疑問を感じながらも、社会の慣習におとなしく従った。

次に転機となったのは、2011年の東日本大震災だ。
このとき私は東京の本社に勤務していた。
都内の交通機関が麻痺したことで、私は在宅勤務に切り替え、部下たちにもそうするように伝えた。やはり仕事は普通に回っていた。
ところが、本社から「出社せよ」との通達が下った。
このときは、その会社の愚かさをはっきりと悟った。

その翌年、私は 15年勤めた会社を辞め、スイスの会社に転職した。

最後の転機は 2020年にきた。コロナである。
地球規模のパンデミックが起こってようやく、リモートワークが定着した。出社の必要性に疑問をもってから、20年かかったことになる。

このご時世になっても出社が求められるパターンは、主に 3つある。
1) 職種
会社に行かないと仕事ができない職種がある。例えば、製造や R&D系の社員は、検査機器等がないと仕事にならない。
2) 戦略
競争に勝つための戦略として出社を求めている会社もある。イノベーションや創造性を重視するアップル、テスラ、Google など。
3) 企業風土
職種上も戦略上も出社する必要など全くないのに、社員に出社を求める会社がいる。そういう「企業風土」だから。

企業風土。コーポレート・カルチャー。社風。
自分に合った会社かどうかの判断にはこれが決定的に重要となる。
就活においてこれを最も重視した人も多いだろう。その方針は正しい。
しかし、残念ながら、日本の会社の多くはこの企業風土に問題があるのだ。

軍隊。学校。部活。会社。

この 4つが日本では同心円上に並んでいるのである。
そのどれもがブラック体質だ。
軍隊は言うまでもなくブラックの塊。理不尽な軍規と軍法。ありとあらゆるハラスメント。そもそも、活動の目的からしてブラックである。
学校にはブラックな校則があり、意味不明の儀式や行事があり、生徒を殴る蹴るなどアタマのイカれた教員もいる。
部活、殊に運動部にはムチャなシゴキや練習中に水を飲んではいけないなど不条理な不文律があり、やっぱり平気で暴力を振るう顧問や先輩がいる。

これらの延長線上に日本の会社はある。

ブラック度の高そうな業界を思いつくまま挙げてみよう。
金融、商社、広告、マスコミ、出版、教育、建設、SIer、小売、外食・・・書いててつらくなってきた。ほとんど全業種になってしまいそうだ。
皮肉にも、アナリストの評価が高い企業(財務データ、経営手腕、株価)と、コンシューマの評価が高い企業(便利、安い、高品質)というやつは、そこで働く者たちの犠牲(過酷な労働)の上に成り立っている。

ブラック企業の端的な特徴は、まず異常な労働時間であろう。
経済力が日本と近いドイツの平均労働時間は、年間 1600~1800時間と言われている。日本の会社の労働時間は 2400時間を軽く超え、3000時間に迫る業界もあるという。さらに、通勤時間などの出社にかかる時間を加えると、総拘束時間は 4000時間を超える。これはどんな状態かというと、会社に拘束される時間のほかには、食事・排泄・入浴・睡眠しかしていない生活のことだ。

二つ目に、非合理的な慣習の数々。
転勤、単身赴任、自衛隊研修。朝礼、飲み会、ゴルフコンペ、社員旅行。
昭和の遺物感があるが、いまだにやっている会社もあるらしい。

三つ目は、社員の異常行動である。
ハラスメントという言葉がなかった時代、会社というところはほぼ無法地帯であった。毎朝嘔吐するくらい追い詰められる。大の男が大泣きに泣いた。死んだ者も多かった。

軍隊。学校。部活。会社。そこにある風土は同じなのだ。

同質性という無限地獄

現在はだいぶマシになったのも事実だろう。
しかし、かつて全く変わらない時代があったのもまた事実。
悪習・悪癖が改められないのは、組織の成員が同質だからだ。
日本人ばかり。男ばかり。新卒入社組ばかり。これでは変わりようがない。

男社会がマズい理由は、軍隊や運動部のような理不尽に耐えてしまうから。
新卒組がマズい理由は、社会人未経験のほぼ無色の状態で無抵抗に企業風土に染められてしまうからだ。
結局、日本の会社を正常化してきたのは外国人社員、女性社員、中途採用組だったのだ。今後もそれらの人たちが日本の会社を変える原動力となる。

「多様性」というワードに飽き飽きしている方も多いと思うが、いまいちどその真の重要性を噛みしめてみてもいいと私は思う。
同質性の中では、終わりなき地獄が続き、人が死ぬのだ。

苦しいも楽しいも人間関係がほぼすべて

つい残業してしまうのも、バカげた風習やハラスメントに抗えないのも、そこにある人間関係を壊したくない、と考えるからだろう。
その気持ちはよーくわかる。職場を苦しい場所にするのも楽しい場所にするのも、人間関係次第だと言っていいくらいだ。

ここでちょっと考えてみてほしい。
目の前に鬼軍曹のような上役がいるケースを除けば、自分は会社の何を怖がっているのだろうか?
人事考課か。噂や評判か。あるいは、目に見えない仕組みか。
そんなものはじつはない、と私は言いたい。
若いうちは見えないものを恐れる。そして、見えないものは存在しないものだった、と気づくときにはすでに歳をとりすぎている。

恐怖だけでなく、「期待」についても同じことが言える。
昭和・平成の時代には、尽くせば上司や先輩が引き上げてくれる、みたいな暗黙の期待で頑張れた。すでにお気づきだと思うが、そんな仕組みはもうない。
目に見えない評価を気にしてしまう癖は、学校時代の「内申書」の呪縛かもしれない。

コロナの影響もあって、職場の人間関係がドライになってきている。
賛否両論あるだろうが、私はこの傾向を歓迎する。苦しいのは当然嫌だし、楽しすぎる職場も危険だと思うからだ。

必要なのは改革ではない。革命である

「働き方改革」
近年これほど虚しく響くワードもないのではないか。
最初聞いたときは、お!と思った。
しかし、それはただの労働時間規制だった。
「そこじゃない!」と 1億人ほどがツッコんだだろう。
つくづく、日本政府の痴呆ぶりとわかってなさは、世界遺産級である。

改革と革命の違いは何か?

歴史をみればわかる。
改革は上から降ってくるもの。革命は下から起こすもの。
働き方に真の革命を起こすためのマインドチェンジをいくつか例示したい。

✅責任は、責任を有する者の手へ
トップダウンとボトムアップを都合よく使い分けるのは、日本の会社の悪い癖である。
リストラなど無能施策はトップダウンで降ってくるが、事業戦略などの重要施策は平場で議論して案を出せ、と臆面もなく言うのが日本の経営層だ。
これに対して、いやそれあんたらの役目だろ、と突き返すのはたしかに骨が折れるかもしれない。しかし、ささやかな抵抗を示すことはできる。
真剣に考えない。これである。
経営層は決してバカではない。施策の良し悪しを判断するくらいの能力はあるのだ。明らかな手抜き案が上がってきたら、さすがに目を覚ますだろう。自分で考えなきゃダメだ、と。

✅ガバナンスなど笑い飛ばせばいい
前項と矛盾するように聞こえるかもしれないが、決裁権限規程のようなものは無視するにかぎる。
日本の経営層は、重要施策の立案を下に丸投げしておきながら、支出の承認のようなバカでも決裁できる案件については権限を留保しようとする。
社員にやたらガバナンスを叫ぶ経営層がいるが、とんだお笑い草である。
日本でガバナンスが問われ始めたきっかけが経営幹部らの不祥事だったことをお忘れか。
元監査人として断言しよう。重大な不正を働くのはいつもトップ層なのだ。
"パーパス" などという言葉遊びにかまけて、ドヤ顔で悦に入っている社長や CEOは、社員のパーパスなど考えたこともないだろう。
一方、中堅社員は、上の承認を得るプロセス自体を重要な仕事と考えて頑張ることがある。勘違いしてはいけない。それは仕事ではない。

✅給料以上に働く必要はない
日本の会社員の労働生産性を向上させるのは簡単である。
価値を生み出さない “仕事もどき” をやめればいい。価値を生まない活動とは、朝礼やQCサークルのみならず、進捗報告という名の忙しいアピール会、上を説得するための資料作り、戦略会議という名の政治ショー等を含む。
これらをやめるだけで、労働生産性は 2倍に跳ね上がる。給料が上がらないことを嘆くなら、過剰なブルシットジョブを削ぎ落とす方向にシフトするのが次善の策だ。
よかれと信じて捧げている献身が、本来淘汰されるべき産業、会社、経営者を不当に延命させている可能性もある。

日本という国家の閉塞感は、政治家のせいではない。国民が無能な政治家に任せてぶーたれていることが問題なのだ。
同様に、日本企業のそれは経営者のせいではない。一人ひとり有能なはずの社員が、旧態依然として保身にしか関心のない経営層を甘やかしていることが問題なのだ。

最後に

日本の会社員に謹んで申し上げたい。
 
あなたがたは、常識、思考、計算、といった基本的な能力が優れています。
変わるべきは、マインドと行動様式です。
悲しいことに、多くの日本人は軍隊式の学校教育や部活動で植えつけられた服従体質が染みついてしまっています。
会社や社会という実体のない虚構にビビらないでほしいのです。自分の考えと感覚に自信をもってください。自分を大切にしてください。
おかしいことはおかしい、と堂々と言っていいのです。勇気をもって大胆に行動してください。それで怒られたっていいじゃないですか。嫌われたっていいじゃないですか。そんなあなたに私は力一杯の拍手を贈るでしょう。
そのとき、あなたの仲間たちも、一人、また一人、声を上げるでしょう。
“I am Spartacus!” と。