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他人事ではなく、いつだって当事者なんだよ、ぼくたちは。

 子どもと生活をともにする役割を担っている立場として、先日、大津市で起こった事故だけでなく、この手の事故・事件はあまりにもツラく、胸が締め付けられる思いしか出てきません。

 ただ、いつだって当事者になりうるのだと痛感しましたし、この事故を今回は傍から見ている立場でしたが、いつだって被害者側にも加害者側にだって成り得てしまうことを実感するわけです。そして、何かしらの勢いが余ってしまった場合には、加害者側に回ってしまうのだろうことを痛感しています。

 今回の事故を受けて、保育園側が記者会見で述べる必要なんてなかったのにもかかわらず、なぜ開いたのかという疑問がありますが、それはすでに開いてしまっているのでどうしようもありませんし、ネット上ではひたすらに追い詰める態度をとった記者たちが散々叩かれているため、ぼくがここであーだこーだと書くことは必要ないでしょう。

 まずは、園児たちの気持ちが平穏な状態に戻り、不安を感じながらも、必ず大人が支えになってくれる状態であることを願うばかりですし、それを何を差し置いてでも優先させて取り組みたいと考えているのは、当該保育園の保育士さんたちに他ならないのだとも思ってます。

 Twitterでは、今回の事件事故、ならびに記者会見で記者たちから散々叩かれている(ように見えてしまった)保育士さんたちに対して感謝の気持ちを伝えようと、テキストが溢れるような状況にもなっているため、少しでも多くの保育士さんたちに、この中で書かれている内容が届くのを祈るばかりです。

 ただ、一点、疑問というか不満みたいな感情がありまして、保育園は今回の事故を受けて「散歩を自粛」するそうですが、それは無意味ではないかと思うわけです。そもそも「活動自粛」といった行動を縛る判断に意義のあるものなどあるとは思っていません

 2011年の東日本大震災が起こってからの経済活動の自粛が起こった際にも感じていましたが、まったくもって必要性を感じなかったのが、よくもわからない雰囲気や空気を読んでの「自粛」。

 園児たちが保育園の外に出かけて得るものは四季の移ろいであり、交通規則を根本にした信号に対しての理解や横断歩道の渡り方などを学ぶ貴重な機会のはずで、ただただ、子どもたちの活動時間の確保などと行った安易な理由だけではありません。

 そして、安全配慮義務を怠っていたわけではないにもかかわらず、保育園が園児たちの活動を縛る理由はまったく見当たりません。もちろん、残念ながら、本当に残念ながら亡くなってしまった園児の家族には、その感情に対して寄り添う必要はありますが、他の園児たちに対し、園外活動を縛ることとは別問題のはず。

 なぜ、そんなことを言うのかといえば、そもそも日本は他の先進国と比較して、歩行者の事故死割合が圧倒的に高い国で、それはいくら歩行者側が注意をしたところで道路と歩道がそのように"整備されている"が為に起こるハードの問題であり、歩行者側にとってはどうしようもない問題だからです。

以下は引用文で、歩行中に事故に巻き込まれて亡くなってしまう人の割合が高いのは、その裏付けとも言えるわけです。

日本で歩行中に事故に巻き込まれて亡くなったのは37.3%。これがいかに「異常」なことなのかということは、他の先進国の割合を見ればわかる。スウェーデンは10.8%、ドイツは15.5%、英国でも23.7%なのだ。

 ぼくだって自動車との事故に遭いたくはありません。それは自らの命だけでなく、共に生活をする家族たちに対しても同様で、そんな悲劇が起こってもらいたいと常々思っています。それは絶対的な認識であり、崩したくない態度でもあります。

 ただ、そんなぼくの抱く気持ちとは裏腹に事故は起こるし、巻き込まれる危険性はいつだってあるわけで、それを防ぐには"自分だけでは不可能"なのです。

 ぼくが歩行者だとした場合、自動車に注意をしなければなりませんし、全ての運転手が歩行者に対して気を配らなければならないのです。車は走る凶器で、いくら予防をしたところで、その予防を超える、いわゆる"事故"はいつだって、どこでだって、誰だった起こしてしまうもので、それは慢心なのかもしれないし、油断なのかもしれないし、傲慢なのかもしれませんが、とにかく"人"が起こすものには違いありません。

 自動車に乗り、運転者として自動車を利用する者として、今回の事件や事故だけに限らず、心痛あまりある事故が減るには、人が運転を止めるべきだと考えています。また、それをテクノロジーの力で解決できるのであれば、一刻も早く取り組み、推進する必要があると考えてもいて、上記のように日本では自動車運転中の事故死よりも、巻き込まれてなくなってしまう人の割合が高いという事実としての道路整備状況なのであれば、他の国に足並みを揃えるのではなく、先陣を切ってでも取り組んでいいものだとも思えます。

 法整備や関係業界もあることですが、日本の人口が1億2000万を超えている中で、3,694件という数字がどのように映るのかは見方によって変わるのかもしれませんが、1日に10名の命が絶たれている状況なわけで、決して少ないとは言えないのだと強く感じますし、テクノロジーの力で限りなく0に近づけられるのであれば、取り組むことに大きな価値があるとも思います。

 最後に、本当に残念ながら亡くなってしまった園児のご家族がマスコミ各社に対してコメントを発していました。この文面を読むだけでも、どのような取材が行われており、その"寄り添う気持ちのカケラもない態度"と、たとえ気持ちがあったとしても、それを覆い尽くす社内論理が許せない気持ちも抱いてしまいます。

 ただ、このご家族のように、きちんとしたコメントが当事者だった場合に出せるのか、と問われれば、難しいです。そんなコメントを出す気持ちにもなれないかもしれません。どうでもよくなっているようなきがするのです。

 「それでも、生きている以上は時間が流れ続ける。」なんてことが、あまりにもツラい現実として覆いかぶさってくるでしょうし、それを受け止めきれるだけの強さを、ぼく自身が持っているとも思えません。

 だから、せめて自分が、このようなコメントを出す家族を増やさないように運転しなければならないと思うのです。ぼくたちは常に被害者予備軍であり、加害者予備軍でもあるので。


 今日もお読みいただき、ありがとうございます。書こうか書かまいか迷ったのですが、書いてしまいました。そして、やっぱり書いていてツラかった。

ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!