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「幸福」への辿り着きかた

 どうも、えんどう(@ryosuke_endo)です。今日は幸福について。

 幸福は「目指す」ものだったり、頑張って頑張って頑張りぬいた末に「なる」ものや「なれる」ものなのではないか、と考えてる人が多いのではないでしょうか。

 そんな人たちは、Books&Apps安達祐哉さんが描いてくれている記事をオススメします。

 タイトルを読んでもらえれば、それだけも気づきがあるので、それでお腹が満たされる人もいるでしょうが、要約すると『足りないものを追い求めているばかりでは幸福を得られず、すでに保有している何かしらの中に見つけられる人は幸福な人である』といったところでしょうか。

 ものすごく単純で、明快な話ではあります。

 無い物ねだりを繰り返す人と、あるものの中でも密かに魅力を見つけて喜ぶ人の場合、どちらが総和としての幸福感が高いでしょう。

 無い物ねだりな上に、常に物足りなさをひけらかしている方々は、常に自分だけでなく他人にまで物足りなさを求めます。

 ぼくがこれまでに出会ってきた物足りなさをひけらかし、無い物ねだりを繰り返す人たちに共通しているのは『上下関係』を慮り、『不機嫌さ』を露呈させながら、『空気を重くする』のが得意なので、その周りにいる人たちは『機嫌』を気にし、自らの言動や行動を縛ります。

 例えば会社組織において、その人のポジションがどうこうは関係なく、従業員の能力が足りない、思考の深さが足りない、と嘆く人たちは確実にいますし、ぼく自身も自分ができるわけでもなんでもないのに、勝手に人に対する基準を引き上げた結果、冷たく接してしまったり、ひどい声のかけ方をしてきた過去がありますが、今となっては非常に悔やまれます。

 向上心を抱く志を否定しているわけではありませんし、組織としてそれを共有しながら『もっともっと!』と互いに高め合える関係を構築できているのであれば、それは申し分ない関係でしょう。

 しかし、それをするためには大切な前提が抜けています。

 目の前にいる人は、そこにいるのが当然の存在ではないのにその場にいてくれる存在だって前提です。別に感傷的に、感情的に物事を考えよう、なんていうつもりはありませんし、そうであるべきだとも思いません。

 ただ、何でもかんでも自分の思うようにことを運べるわけでもなければ、他人が自分の思う通りに話したり、行動をするわけでもないのは当然なのに、それを強く求めていいと考えてしまう人は、たしかに存在します。

 他人に対して強く求める人は、自らが課す幸福の基準に合致する価値自体に相対的なものが多く、他人が得ていないものを得るのが素晴らしいのであり、そのためには努力が必要で、積み重ねていけば得られるのだと考えています。

 つまり、苦労を重ね、辛酸を舐めるのも厭わず、努力を積み重ねていかなければ自らの考える幸福は簡単には手に入らないからこそ、幸福を得るための努力を他人にまで求めては追い詰める。

 彼らからしたら当然に求めるものであり、他人も同じように考えているのだと考えています。できなければ叱咤し、叱責したら奮起を促していけるものだと。

 それは本当にそうでしょうか。

 その価値観からしたら、日常的で、当然で、誰にでも得られる物事に対し、得られるのは当然だとする態度になりますから、非常に豊かな世界の話だと思ってしまいます。

 お金は不安や不満を解消するためには必要だとは思いますし、なければ生活に支障が出るため必要なものだって認識は捨てているつもりはありません。ただ、「どこまでお金を得れば満足できるのか」なんて点で考えてみると、年収800万円を超えると幸福度は上昇しなくなると言われています。

 年収800万を達成するのは決して容易ではありませんし、家計的な支出を考えるとお金があった方がいいに決まっています。上を目指し続ける人たちが目指すのは、お金が潤沢にあり、それを何の不自由も感じずに使える状況を作り出すのも一つでしょう。

 確かにお金があるからこそ、安心して日々の食事などに心配せずに暮らしていけるのは間違いありません。

 ただ、お金を得ることによって、手っ取り早く幸福感を得られるのであれば、それを実践したいのは山々なのですが、同時に、自らの「幸福を見つけられる隙」を作っておかなければならないようにも思うわけです。

 押し付けがましく「何かにつけて感謝をしよう」なんて話ではなく、「嬉しい」と思えるポイントをドンドンと見つけて、見つけられる自分に喜んでいけるような状況を作って行きたいのです。

 朝焼けを見て、"綺麗だなぁ"とか"今日も朝焼けが見れた嬉しいなぁ"なんて具合に、思いきり平易かもしれませんが、小さな幸福をいくつも見つけられる方が大きな幸福を目指し続けるよりも人生に対する満足度は高いのではないでしょうか。

 ご飯を美味しいと感じるのかもしれないし、家族といれる時間に対して子かもしれません。他人から見たらどうでもいいようなものでも、大切にしたいと思える事柄が多く、それを見つけるのが上手な人はステキだなぁ、と思いますし、ぼくもそうでありたいと考えた次第です。

 今日もお読みいただき、ありがとうございます。息子が感染性の胃腸炎だと言われ、家族内で二次感染がないか思い切り不安になっていますが、日々健康に過ごせるのは本当に幸せなのだと実感中です。


ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo) 

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。

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