見出し画像

「自分にとっての子ども」と「子どもにとっての自分」の違い

 最近、この「認識の差異」に苦労していると言えば苦労しているし、別に気にしていないと言えば気にしていない。

 「どっちだよ」なんて声も聞こえてきそうですが、主体者が誰なのかによって見え方や感じ方が変わるってのは、気をつけないと結構な痛手を受けてしまう可能性があるなぁ、と思ったところから。

 ぼくからみた子ども。共に生活をする三兄弟の彼らはもちろん、彼らと過去にクラスが共になったことがある子どもたちや、今一緒のクラスとなって過ごしている子どもたちも思い浮かぶし、街中で見かけて、人生において交わることはそれ以降ないだろうと思う子どもたちのことも考えてしまう。

 これって、ぼくの中に"子ども"として認識している対象が数多くおり、その数だけ表情があり、感情があり、体格があるのだと認識しています。

 もちろん、そこに順位づけをすることはしませんし、する必要もないわけですが、自宅に帰った際に出迎えてくれる子どもたちは、共に生活をしてくれている彼ら以外にいませんし、彼らに対して抱く感情は他の子どもたちに抱くそれとは比になりません。

 比較にならないのですが、それぞれの性格や感情みたいなものは知りたいなぁ、なんて思いますし、彼らの良いところって共に過ごしてみないとわからない部分が多々あります。ただ、それを把握するためにはぼくに対する接し方をみないとわからないわけなのですが、彼らはSNSでぼくと繋がっているわけではないですし、文章を打てるわけでもありません。

 中にはできる子もいるとは思いますが、その子とコンタクトを取ったことがないので、ぼくにはわかりません。

 ただ、長男や次男、そして三男の「父親」だという認識を彼らは持っているわけで、それ以上でもそれ以下でもないのだと思いますが、その見え方が生活を共にする我が家の長男や次男(三男はまだそんなことも思えていないだろうから外しております)のそれとの"違い"はあるのでしょうか。

 大いに異なる。それがぼくの意見です。

  ぼくからみる彼らと、彼らからみるぼくとの間には明らかな溝みたいなものがあって、それは視線の高さの違いでしかないのですが、その視線の高さが溝の深さや大きさに繋がってるんだろうな、と。

  視線の高さって何かって言えば、別に体格の違いで生じるなんて見た目に明らかなのではなく、強いて言えば“経験の差”って表現になるんでしょうかね。

  いや、大人だから経験してる方が多いから上から目線で見ていいってことではないです。ただ、見てきたことや感じてきたことを表現する力みたいなものは、5歳と34歳でいえば“どちらかといえば”34歳の方が上手に伝えられるんじゃないだろうかと。

  もちろん、彼らが表現する言葉だったり、表情だったり、絵だったり、ぼくが想像するよりもすばらしいものはたくさん出てきます。

  だから、子どもだからってバカにできないのはよく理解しているつもりで、するつもりもありません。彼らの感性は底抜けに明るく魅力的なものばかり。

  経験していることが少ないからこそ、雑に考えることなく、純粋に向き合えるだけの高い没頭性を得られるのだとしたら、それは彼らだけの特権なのかもしれません。それを羨ましいとすら。

  ぼくから見た彼らは『可能性の塊』で、いくら学業や身体機能が遺伝で決まってしまうのだとしても、人生が遺伝するわけではありませんから、まだ自分が体験してないことを沢山できる、味わえる可能性がある点に羨ましさを感じているのだと思います。

  逆に彼らからしたら、大きな体格のぼくは羨ましいのだろうと思います。自分では届かない場所に手が届いたり、早く走れたり。身体機能が明らかに自分よりも優れているのだと認めるからこそ『早く大きくなりたい』と願うのかもしれません。過去のぼくもそうだったと記憶してます。

  ここで言ってる“違い”は子ども側から見たものは、いずれ解決しますし、凌駕されうるものですが、大人側からみた“違い”はなかなか解決が難しいと感じるかも知れません。しかし、ただ羨ましさを感じるだけでなく、自分の可能性を広げる行動をしてみればいいんですよね、いっしょに。

  彼らが可能性の塊で、その可能性を拡張するための補助をするのであれば、自分の可能性も彼らと一緒に拡張していけばいいのであって、変に大人ぶって諦めるからこそ、壁見たいものを感じてしまい、諦めていくんだろうと中年になったからこそ、強く感じています。

  もっともっと自分を拡張し続けていけば、自分の可能性をほんの少しずつでも伸ばすことができれば、また違った視点から子どもたちと接することができるかも知れません。

  そんな風に“違い”を埋めるように行動していきたいなぁ、と可能性の塊と生活をしていて思ったのです。

  今日もお読みいただき、ありがとうございます。学ぶことの多い毎日です、ほんとに。

ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!