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フリースクールが「国の根幹を揺るがすことになる」と述べた首長がいるって聞いた

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

これまで全くメディアを騒がすようなことをしてこなかったのに、一つの発言で急に火事を起こすような人が政治家をやっている人たちの性なんでしょうか。

2023年10月17日、不登校対策について議論する滋賀県の首長会議がありまして、東近江市長の小椋正清氏が以下のように述べたと報道されています。

「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない。よっぽど慎重に考えないといけない」

https://www.asahi.com/articles/ASRBK6DD9RBKPTJB00C.html

文部科学省がフリースクールの存在を認めたことにがくぜんとしている。大半の善良な市民は、嫌がる子どもに無理してでも義務教育を受けさせようとしている」

https://www.asahi.com/articles/ASRBK6DD9RBKPTJB00C.html

報道陣から発言の真意を問われて述べたのが以下。

「不登校は大半は親の責任。財政支援を国が言うべきではない。(フリースクールの)存在を認めるかどうかの論議をもっとすべきだ」

https://www.asahi.com/articles/ASRBK6DD9RBKPTJB00C.html

さすがに昨日の今日ですから議事録は上がってきていませんので、発言の前後関係までは追いきれないものの、切り出されている発言からすると、狙って炎上させようとしている意図もなければ、本気でフリースクールに対する懸念を抱いているのでしょうってことがわかります。

首長ですから、市の財政を鑑みて発言をされるはずでしょうし、行政の長として冷静な判断をしなければなりませんから、他の政策に影響を及ぼす可能性がある話なわけで、その政策の利害関係者にも顔を立てなければならない中で今回の話には兼ねてから不満をお持ちだったのでしょう。

ただ、当事者としてはそうも言ってられないって話なんだってことを冷静に書いていこうってのが今日のお題です。

教育機会確保法によって多様な教育形態が認められている件について

これを書いている現在が2023年ですから7年前の2016年には教育機会確保法が成立しており、2016年以前から議論されてきていたであろうことは目に見えています。

この教育機会確保法の目的は、学校だけでなく学校以外の場所でも学びの機会を児童や生徒に提供できるよう環境を整備することにあります。

なぜ、この法律が必要だったのかといえば、長期欠席の状況が年々増加しているからであり、明治時代に制定された教育基本法をはじめとした各法律や制度が現在の子どもたちや周りの環境を含めて適合しづらい状況になっているからでしょう。

【文部科学省】『令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について(概要版)』_p19
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/132902.htm

教育機会確保法で触れている中身を簡単に記述していくと以下のようなものになります。

多様な学び
学校だけでなく、フリースクールや職業訓練、習い事など、いろんな場所で学ぶことが大切である。

支援の必要性:
国や地方自治体(市や町など)は、多様な学びの場を作るためにお金や人を出すように指示。

学ぶの権利の保全:
この法律によって、学校に行けない、または行きたくない人でも、他の方法で学ぶ権利が守られる。

地域との連携:
学校、家庭、地域が一緒になって、子どもたちがいろいろな方法で学べるように努力することを推奨。

この法律があることで、学校が合わないと感じる人でも学校以外の場所で学ぶことができるようになり、そのための支援ももらいやすくなります。

逆をいえば、この法律がなくなると「学びの場は学校だけじゃない。いろんな方法で学ぶことが大切だから、そのための支援を!」といった大義名分がなくなることになり、学校に居場所を感じられない児童や生徒たちの居場所を奪うことになります。

長期欠席や不登校は学校現場の疲弊と認識の多様化によって起こっている件

きっと、小椋市長のように聡明な方は上記してきたようなことを把握されていることでしょう。だからこそ、首長会議の中でこう述べているわけです。

文部科学省がフリースクールの存在を認めたことにがくぜんとしている。大半の善良な市民は、嫌がる子どもに無理してでも義務教育を受けさせようとしている」

https://www.asahi.com/articles/ASRBK6DD9RBKPTJB00C.html

この言い分を真正面から受け止めると、フリースクールに通わせているような我が家のような世帯、何よりも親としての役割を担うぼくと妻さんは大半の善良な市民ではなく、異端者だと指摘されていることになります。

心外ではありますが、そう主張される方に向けて感情的に反論したところで仕方ありません。

斉藤由美子さんら研究グループは『多様な教育的ニーズに対応できる学校づくりに関する研究』と題し、特別支援教育の領域を中心に障害の有無にかかわらず共に学び共に成長する学校づくりを目指すためる「多層的な支援システム」のモデルの提案しています。

多様な教育的ニーズに対応できる学校づくりに関する研究
https://www.nise.go.jp/nc/wysiwyg/file/download/1/4449

この研究や多層的な支援システムモデルの提案は、特別支援の枠組みからの提起となっている点が重要です。

我が家の長男くんと次男くんも通常級(以下、交流級。)から特別支援級へ転籍をした当事者ですが、どうしたって交流級での授業展開やクラス運営についていけない子どもはいるものですし、実態としては見えないままとなっている児童や生徒もいることでしょう。

(不登校の当事者として意見をまとめているものが以下のマガジンです。興味がある方はお読みください。)

何より、学び方が人によって異なるものであるといった前提を無視してはいけません。

視覚が優位に働いて画像や動画で見た方が理解しやすい人もいれば、聴覚を優位に働かせて耳で聴くことによって学習効率が上がる人もいたり、運動的でとにかく書いたりすることが学びやすい人もいるでしょう。

障害の有無にかかわらず、大勢の中でまみれていたほうが安心感を抱く人もいれば、できるだけ人のいない環境で過ごすことによって安心できる人だっているはずで、大人にはそれがあって子どもにはないだなんて暴論は子どもの人権を無視した認識です。

得手不得手、得意不得意が人の数だけ存在する以上、旧来的な学習システムでは対応しきれないって事案に陥っているからこそ、2016年に教育機会確保法が成立しているわけで、現代の子どもたちを甘やかしているわけではないのです。

おわりに

教育ってのは将来に対する投資ですから、将来を担う子どもたちへの投資として文部科学省が国の予算を投じるのは至極当然のことです。

逆に、そこに予算を投じなかったことにより学びの機会を損なってしまう子どもたちを産んでしまうことは法律どこか憲法違反です。日本国憲法の第二十六条には教育を受ける権利と受けさせる義務が明記されており、文部科学省がフリースクールを認めている根拠はここにあります。

〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとし く教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教 育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

日本国憲法 第 26 条
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

我々、大人は子どもたちに教育を受けさせる義務があるわけで、その義務とは「学びの機会に子どもたちがきちんと接触する環境や状況を整備すること」にあり、それを怠ることが義務教育を蔑ろにする行為です。

つまり、学校って場所に行くことが困難だったり、合わない子どもたちに対して学びの機会を確保しようっていう義務教育の理念に則った正当な態度であるのにもかかわらず、それを否定するってことは子どもたちの学びの機会を奪おうとする態度のようにも見えてしまいます。

おそらく、東近江市には不登校やフリースクールに通わなければならない児童や生徒なんておらず、全ての子どもたちが何の不自由も感じないままに学校へ通うことができているのでしょう。

そうでなければ小椋市長の発言は、ただの主観的な意見でしかありません。

そのような人が市長を務める中で、子どもと生活をするような状況になっていなくて良かったと心底思います。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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