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文学フリマ東京38出品物のご案内④ 『平野啓一郎論』

今年五月の文学フリマ東京38に出店いたします。四作品、全て文芸批評での出品となります。

📍ブース:H-08
🗓5/19(日) 12:00〜開催
🏢東京流通センター第一展示場

出品物の一つ『平野啓一郎論』をご紹介します。こちらで最後になります。

近年「分人主義」を提唱されている平野啓一郎氏ですが、この論考では、その分人主義を使って氏の全長編を読み解いていきます。そうすることで、更に分人主義に対する理解が深まるからです。
そもそも「分人主義」とは、今一つ捉えどころのない概念です。氏の『私とは何か――「個人」から「分人」へ』というエッセイは、大変読み易く、一見易しい本なのですが、読了しても「分人主義」を理解した気にはなれないでしょう。
こうした、一文一文は大変読み易く、すらすら読めるのに、結局、著者が何を言いたいのかさっぱり分からないというタイプの本が一番の困りものなのです。
難解な単語が並んでいる本なら、単語を調べれば良い。
しかし、このエッセイには分かりにくいところは一つもない。なのに、何も伝わらないのです。
何故分人主義が今一つ理解しがたいのか。本論考では、平野氏が書かないでいる、あるポイントに注目します。氏は著作の中で全てを説明してはいないのです。だから、分人主義は、取っつきやすいのに理解不能なのです。
また、平野氏自身は、自作について「存在、時間、死、記憶」が最も切実な主題であると述べています。(「方法を巡って 『高瀬川』)
それら全てが分人主義と深く関わっています。
「存在、時間、死、記憶」という「切実な主題」が作品の中でどのように展開されているかを丁寧に見て行きます。
そして、最後に、中世ヨーロッパの物語からSFまで、一見バラエティに富んだ平野作品が、実はたった一つの物語を繰り返し語るものであることを実証します。
些か自画自賛が過ぎる感じですが、平野啓一郎を論じるには絶対に外せない一冊だと確信しています。

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