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文学フリマ東京38出品物のご案内② 『三島由紀夫の構造分析』

今年五月の文学フリマ東京38に出店いたします。四作品、全て文芸批評での出品となります。

📍ブース:H-08
🗓5/19(日) 12:00〜開催
🏢東京流通センター第一展示場

出品物の一つ『三島由紀夫の構造分析』をご紹介します。

まず私は、三島の右翼的活動とか、大作家である、ない、などの偏見を極力取り除いて虚心坦懐に全集を読んでみることから始めました。
すると、気付いたのは、三島の奇妙な処女(性)への拘りです。
たとえば『仮面の告白』は、見方を変えれば園子という処女と、妻となり、つまり処女性を失い、すっかり変わってしまった、その姿を描く小説であると言えます。
不思議と、三島の小説では要所要所に処女が現れます。
『潮騒』では、全ての鍵を握っているのは初江であり、彼女が事件を仕組んでいるといえます。そのような見方が別に意地悪でもひねくれている訳でもないのは、たとえば『春の雪』の聰子を見れば分かります。
三島自身が処女にこだわるような人物であったとも思えないのですが、作品中に限っては、読み返すほどに処女が目について仕方ないのです。そして、その系譜は『豊饒の海』の最重要人物である聰子へと受け継がれているのです。
また、もう一つの論点は『仮面の告白』などに顕著に見られる問題の解決を先延ばしにしていこうという傾向です。主人公自身が語る「不安の持続」です。三島にはこのタイプの作品が大変多い。この志向が物語を駆動させ、あるいは停滞させます。
そして最後に。三島作品全体は「愛以外での人と人とのつながり」を論じているものだといえます。『仮面の告白』の「僕」と園子の間に愛はないのですが、二人の関係は欺瞞的であるが故に、むしろ幸福です。嘘でも欺瞞でも良いのです。そこにつながりがあれば。
本論考では、三島作品に繰り返し現れ、言うに言われぬ不条理感を醸し出している、これらの構図を一つ一つピックアップしていきます。また、この構図が『豊饒の海』においてどのような形で結実しているかを見て行きます。
『豊饒の海』自体がそうであったように、この論考の全ての伏線が月修寺のあの庭という一点に向かって行くように構成しています。

なお、キャラクターとストーリーのみを抽出して論じる「構造分析」ですので、個々の作品のジャッジは一切しておりません。

※Kindleのオンデマンドでペーパーバック版を購入していただいた場合、イラストは省かれているのですが、文学フリマ東京当日に購入していただいた方にはプリントしたイラストを添付します。

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