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「老いさらばえる」の例文

知らない言葉や知っていても使ったことのない言葉に遭遇したときは忘れぬよう書き留めているのだけど、いっこうに身につかない。使わないから覚えないのだ。「老いさらばえる」を使ってみる。

 年齢は膝に出るだの、腰に来るだの、毛髪は逝くだの、うるせえ。と、サワタグロは悪態をつく。心の内ではなく実際に声帯を震わせてしまい、待合室の空気がピキッと張りつめるのを感じた。ギリギリの社会性は持ち合わせているので、場を和ませるべくもう一言付け加える。
「年齢は背中に滲むって話もあるねえ」
 サワタグロは野球のユニフォームを着ていて、背番号は18だ。サワタグロは67歳だ。待合室は静まり返ったままだ。

 病院を出て薬局へ向かう20メートルほどの道の途中、路上駐車の窓に映る老いさらばえた自分の姿を見て、サワタグロは無理やり笑顔をつくってみた。気分はなにも変わらない。行動によって心情を変化させるには限界があることを知った。またひとつ賢くなった。
 そういうことにして自分をなだめて歩き出そうとしたとき、パワーウィンドウが下り、後部座席から金持ちのじじいが顔を出した。じじいはサワタグロに「さようなら」と言うと運転手に車を出すように命じた。サワタグロは悔しくなって、走り去る車のテールランプに向かって「さらば」と叫んだ。想定したよりも声量は小さかった。

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