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『THE FIRST SLAM DUNK』でミニバスの5点を思い出した

 オープニング、線画に色を灯しながら歩く姿に「今から始まるのはあの絶対的名作漫画を作者自身の監督で映像化したアニメーションだぜ覚悟しろよ」という開会宣言を感じてそのかっこ良さに鼻息荒く興奮してから100分後(くらい)、一転して「ここからは漫画の時間だ」と言わんばかりに色を置き去りにして走り出す姿の鮮やかさに呼吸を忘れました。

 正直に言うと、ここまで心ふるえるなんて思いもしませんでした。連載当時小学生だった直撃世代で名場面や名ゼリフはもはや一般教養として知っているものの原作漫画もアニメも飛び飛びでしか触れて来なかったし、何より部活動に心血を注いだ経験なんてないからです。

 バスケにまつわる思い出なんて、どうしようもないものばかり。

 たとえば小学6年生のとき。昼休みに同級生たちと遊んでたらゴール下で足首グネってめちゃくちゃ痛かったけど保健室へは行かずに午後の授業も受けてそのまま歩いて帰宅した頃にはパンパンに腫れ上がっちゃって看護師をしていた母親に呆れられました。すぐに病院へ連れて行かれ靭帯損傷との診断を受け、その二年前に鉄棒から落ちて左腕を骨折して以来のギプスをはめて人生初となる松葉杖生活に突入したのでした(スラムダンクにも忍耐強さのエピソードとして授業中に盲腸かなんかを我慢して気を失って救急車で運ばれた、みたいなのがあった気がする。たぶん湘北じゃない別の高校の選手)。

 バスケにまつわるどうしようもない思い出はまだあります。

 さかのぼって小学4年生のとき。週に一度だったか月に一度だったか4・5・6年生が合同で取り組むクラブ活動の時間というのがあって、文化系だと囲碁将棋クラブや模型クラブ、運動系だとドッジボールクラブやインディアカクラブなど数ある中からなぜかミニバスクラブを選んだ結果、運動は嫌いじゃないけどお世辞にも得意とは言えない私には全然パスが回って来ず、たまにルーズボールを拾うもすぐに奪われほとんど試合に参加することなく時間が過ぎるのでした。毎回活動日誌を書いて提出する決まりになっていて、「今日は3回ボールにさわれた。前よりも1回多かった。次はもっといっぱいさわりたい。」などと悲しい事実と低すぎる目標を報告していると、ある日教師が5・6年生に向けて言いました。

「もっと下級生にもパスを回すように。何回ボールに触れたか数えてるやつがいるぞ。かわいそうだろ」

 そんな苦言に加えて4年生がシュートを決めたら5点という特別ルールまで制定されると、その日からパスが回ってくるようになり極稀にシュートを決めたりしてチームに貢献できるようになったのですが、どこか落ち着かない思いを抱えたまま一年間を過ごしました。あの気持ちの正体が、今は分かります。「余計なお世話だ」です。
 憐れみのパスを受けて5点を期待されて放ったシュートが外れることがどれほど屈辱的か、あの教師には考えが及ばなかったのでしょう。なかなか触れることが叶わないボールを追いかけてコートを走り回るだけで楽しかったのに。たまに転がってきたボールを掴んだ瞬間は嬉しかったのに。

 翌年からはマンガクラブに入りました。

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