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おじいちゃんと太陽の塔(撮った写真の神隠し)

おじいちゃんが他界したのは、どいしゅうが3才の時。

3歳だったんで、おじいちゃんとの思い出は
ほとんど残っていないが、エピソードは2つだけある。

「魔のブランコ振り子事件(思い出1つめ)」

乗っているブランコ背中を押すおじいちゃん。

そこそこのスピードと勢いが出て楽しかったけど、
おじいちゃんはまだまだ押してくる。

ブランコは振り子の法則で動いている遊具。

”長さを一定にすると往復する時間は同じ”
と、16世紀の科学者ガリレオは発見したらしい!

グンッ、グンッ

と後から前に振られたとき、
ふいに手を離してしまい、そのまま転落。

とっさに体を起こしたところ、
前から戻ってきたブランコが顔に直撃。

下唇を切り、出血大サービス。

たいへんなお値打ち、お買い得販売していないけど

孫、転落。

ブランコを止めずに、焦って孫の救助を優先。

結果的に、おじいちゃんは、
母親にすごく謝っていたそう。

「救急車きたよーーー!(思い出2つめ)」

おじいちゃんの体調が悪化して119番。
居ても立っても居られなかったのか
サイレンの音を聞いて 叫んだ 一瞬の記憶。

この後、病院に搬送されて1週間程で
他界してしまったのです。

この思い出以外。憶えていないだけで、
3歳までのどいしゅうを、おじいちゃんは
かわいがってくれたんだろうと思う。

 ♬ いつのことだか、思いだしてごらん
   あんなこと こんなこと あったでしょう ♬

おじいちゃんの最期は56才。

ホント、短い人生。
あまりにも早すぎる他界。

『 だけど、おじいちゃんが決めてきた運命。
  早期他界、そうきたかい! 』

そして、他界だけに「高い」場所に
帰ってしまったのです。(まだダジャレを言うかww)

雲の上に拡がっている場所
「あの世」

と書き進めていたら、

あ!!そういやぁ・・・
おじいちゃんの名前

"高則(タカノリ)” …だ。

「【高】入ってるやん!」

と、これを書きながら気づく。

物心がついた頃から、
いつも空に浮かぶ雲を見ては

「あの雲にいつか乗ってみたいなぁ」

と、夢見る少年。

小学生のどいしゅうの念願が叶い、
雲の上に乗れたのは中2の夏休みだった。

はて、どうやって、雲の上に?!

おじいちゃんが他界したどいしゅう3才。

母のお腹に宿ってくれた兄弟の存在は忘れません。

母のお腹の中でこちらの世界を体験して、
短い期間だったけども、しばらく居たら満足したのか
お空の世界に帰りました。

名前は「ひろみ」。

母が、男の子が生まれても、
女の子が生まれてもいいようにと
考えていた名前でした。

小学生4年生のとき。

人間や動植物、食べ物からも赤や黄、青や緑、
紫、銀、金などのひかりが出ているのが
視えるようになる。

それをきっかけに、どんどん視えないものが
視えるようになり、ひろみ はその2年後に
どいしゅうの目の前に現れたのです。

その体験ストーリー、語りを録画・編集したのが
 映画「ひかりの国のおはなし」です。

〔 作品解説 〕公式ホームページ 
https://hikarinokuni.link/about

「私がどんなところで暮らしているのか観に来てほしいの」

ひろみに誘われてあの世へ行くことに。

狭い筒のような場所を通り、上へ上へと昇って行き
この世とあの世の間の境界を抜ける。

スポッ!

初めにたどり着いた場所が雲の上だったのです。

雲の下では、おじいちゃん、ひろみ、
仲良く同じお寺で眠っています。

納骨堂


2月17日 - 「岡本太郎記念館」でおじいちゃんを思い出す


映画『ひかりの国のおはなし』の荻久保則男監督が、
全国志ビジネスプレゼンテーション大会に
プレゼンターとして登壇
。応援に駆け付けました。

予定の電車に乗れなくて遅れて到着。

開始時間が過ぎているからか、
会場入口のドアは閉まっている。

おそるおそる開けてみると、女性が2人受付に居る!良かったー。

静かに、戸惑いながら入る。
ん?んんん?予想していた雰囲気じゃない。

戸惑いながら入ってくる様子を見て、
やさしく応対してくださる。

「あのー、今日ここでイベントがあると聞いて」

「今日、発表会なんです」

対応してくださった女性。
2人とも小さいお子さんを抱っこしている。

しかし、その瞬間。

かわいい園児の声とピアノの音楽が響きわたる。

「えーと…。大人の発表会のなんですが…」

携帯をよく見ると
今日は17日。プレゼン大会は翌日。

ぬ…おォォォ…。
フライングして1日早く来てしもた(心の声)

「あ、あ、あ。場所が違うかもしれないので、
 事務所で聞いてみますね!ありがとうございます」

と、平静を装い、何事もなかったかのように
会場外へ。スタコラサッサ

あちゃーーー、やってもーた。

まるでコント。

岡本太郎記念館
「入館チケット」

会場は表参道・青山。

せっかく青山に来たからと、
足を運んだのは「岡本太郎記念館」
https://taro-okamoto.or.jp/

東京・青山『岡本太郎記念館』

東京・青山にある岡本太郎さんが
42年に渡って住み、作品を作り続けたアトリエです。

2023年11月29日(水)〜2024年3月10日(日)
企画展『明日の神話と太陽の塔』

15年前に東京・渋谷駅に設置された《明日の神話》と
大阪万博のときに建設した《太陽の塔》は、
同時期に制作されたそうです。

 “最大の絵画”と“最大の彫刻”

出生から完成まで絶えず併走していたという点で
まさに「双子」のなのですね。

記念館に来たの、いつぶりだろ?

岡本太郎さんの絵を見ると、生命力が上がる。
とってもありがたい存在なのだ。

入場料を支払い、入館。

早速アトリエに向かいます。

東京・青山『岡本太郎記念館』
太郎さんのアトリエ
東京・青山『岡本太郎記念館』
太郎さんのアトリエ

いつ来ても、ここに来たら
まだ太郎さんが居るように感じてしまう。

ゾクゾクッと、武者震いのような感覚。

何やってんだしっかり生きろ!
中途半端に生きるな!
そう問われている気がする。

2階の展示スペースへ移動。

1枚の展示パネルを見て、
「あ、おじいちゃんだ!!」と思い出す。

が、しかし、しかし、しかし、しかしー
そして、おかしいー。

そのパネルの写真を撮ったはずなのだが。

この↓パネルの上のパネルを撮った…

東京・青山『岡本太郎記念館』
企画展パネル

『太陽の神話』下書きの絵↓の右横の
白黒写真パネルを、間違いなく撮ったのに…。

東京・青山『岡本太郎記念館』
企画展 明日の神話下書き

撮影後に、ちゃんと保存されていることを
確認しているのに…。

携帯のファイルをくまなく探したのに、

え、ウソでしょ?!

撮影した写真が消えとる!!!!!!!
(千と千尋ではなく、撮った写真の神隠し。)

これは、おじいちゃんの神業だと感ずるww

神社やパワースポットなどで不思議な画像が
撮れたときなど、なぜかどこにも保存されずに
消えることがあるけども。

岡本太郎さんのパネルの写真まで消えるとは。

話が反れましたが、

なぜ、おじいちゃんを思い出しかと言うとですね。

撮ったパネルの写真と、似てるので、

「太陽の塔」オフィシャルサイト
(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)
太陽の塔オフィシャルサイトから借りしました。

その写真がこちら!!!!!

「太陽の塔オフィシャルサイト」岡本太郎についてより


塔の頂部の「黄金の顔」

「クレーンで吊り上げたの
 おじいちゃんなんやで!」

と、父から聞いていたから!!!

おじいちゃんスゴイ!、自慢のとび職やんか。

その父も3年前に他界。

この記事を書く前に母に聞いたら、
万博工事の監督をしていたのは事実のようだが、 まさか太陽の塔の、顔の吊り上げ工事は初耳だとか。

当事者のおじいちゃんにも、
情報源の父もこの世にはいーひんから
真相はわからんけど、そーゆーことにしとこww

大阪万博、1970年開催。
その7年後にどいしゅう誕生。

だから、万博には行けなかったけど。

テレビで万博の映像を見ると、思考レベルでは
行ってみたかったなという気持ちが。
同時に、感覚レベルでは、行ったことがある
そんな感覚の両方が内在する。

もしかしたら、生まれる前に、こっそり
たましい参加していたのかもしれない。

岡本太郎さんとどいしゅうの共通点


幼い時から「赤」が好きでたまらなかった。

トイレのマーク、ランドセルの色など
男性は、青や黒、女性は赤のイメージが
ごく一般的になっています。

昔の服装もお雛さまは赤、お内裏さまは黒の装い。

父が厳しく、出来なかったが、いつか
お笑いの「ロンドンブーツ1号2号」の淳さんや、
「EXIT」の兼近さんのように髪の色を真っ赤に
染めたいと妄想を抱いたことも。

赤い服、赤いズボンを着たかった。

赤い服に金髪がトレードマークの
「メイプル超合金」のカズレーザーさんは
突き抜けていて素晴らしいと思うww

髪は赤く出来ない代わりに、
身の回りに身につけるものや
普段使いのものは全部「赤」「赤」「赤」…!!

キャリーバッグ、ヨガマット、ペンケース、
パスケース、財布、ノートパソコン

ついでに!!

冷蔵庫

冷蔵庫も「赤」。て、赤の冷蔵庫って珍しいでしょ?
意外に販売されていないのです。
家電量販店でようやく見つけた三菱電機製

前の前の自宅のロールスクリーンも、
3年前に引き取ってもらった自転車も「赤」。

購入した書籍「歓喜」に
こんなことが書いているのを発見!

購入した書籍「歓喜」

私は幼い時から「赤」が好きだった。赤といっても派手な明るい、暢気な赤ではなくて、血を思わせる激しい赤だ。後年、私は原色、とりわけ赤をよく使い、その点でも抵抗があったが、幼心にすでに惹かれていたのだ。その時分、赤は女の子の色だとされていた。だから、ひそかに私は疑いも感じてもいた。女の子の色が好きだなんて・・・・・・。だが赤こそ男の色ではないか。激しさを象徴する。自分の全身を赤でそめたいような衝動。この地の色こそ生命の情感であり、私の色だと感じつづけていた。

「歓喜」二玄社 /岡本太郎(作品・文)43ページ

幼少期のどいしゅうと、幼少期の岡本太郎さん、
同じことを感じていたことをこの本を購入して知る!

岡本太郎記念館

どいしゅうが、ひろみに連れて行かれた
あの世の学校の先生からのメッセージ

いま、地球に住んでいる方に伝えてほしいのは

『地球には歓喜が足りない』

そして、

太陽の塔が作られたころは高度成長期の絶頂で、日本中が進歩、GNPに自信満々の時代だった。そこへ万国博。恐らく全体が進歩主義、モダニズム一色になることは目に見えていた。そこで私は逆に時空を超えた、絶対感。馬鹿みたいに、ただどかんと立った『太陽の塔』を作ったのだ。現代への惰性への激しい挑みの象徴として。

ほとんどの施設が撤去され、あたりのざわざわが消えた今。あの平気で挑んだ姿勢と、その裏の、運命を優しくかかえたデリカシーが、一緒に浮かび出てくるようだ。あれは孤独で、太陽に向かい、大地に向かって挑み続けるだろう。私自身、これからもわが運命を、私の“挑み”の意志の実験台にしてやる、と、ますます決意している。確かに危険な道だ。つねに死の予感に戦慄する。だが死に対面した時にこそ、生の歓喜がぞくぞくっとわきあがるのだ。血を流しながら、にっこり笑おう。

「歓喜」二玄社 /岡本太郎(作品・文)116ページ

と書かれている。

たただ前に向かって心身をぶつけて挑む、
瞬間、瞬間があるだけ。


と、さらに太郎さんは言う。

歓喜とは、この瞬間を味わう、
今をどう生きるのか。

自主上映会の後のどいしゅうのおはなしは、
岡本太郎さんの話しにも通じる。

2つしかないおじいちゃんとの思い出だが、
この記事を書くことで、おじいちゃんを感じること
想うことが出来た気がする。

岡本太郎記念館
オブジェ


おじいちゃんが吊り上げた塔の頂部に輝く
「黄金の顔」は、金色に輝く未来を象徴している。

2階から下を覗く太陽の塔。

高いところ(ひとつ高い次元)から
この世を見据えているようだ。

新しい未来に向かって。

地球に住む全人類の未来が
ますます輝くことを祈って。

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