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人生に向き合うには具体的に悩むことーミニ読書感想『哲学の先生と人生の話をしよう』(國分功一郎さん)

哲学者・國分功一郎さんがメールマガジンで運営していたお悩み相談を一冊にまとめた『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日文庫、2020年4月30日初版発行)が面白かったです。人斬りのように、鮮血を飛ばしながら悩みを切り裂いていく國分さん。たぶん相談者は傷付いているだろうな、と読んでいて心配になるほど。翻って、読者の中にもある「甘さ」が切り裂かれていく痛快さがあります。


特に気に入ってるのは、「今まで癖のある男性が好きだったのに、今更男前が好きなことに気付いたんですが」という28歳女性からの質問。著者はまずこう切り捨てます。

そうですね、まぁ、お寄せいただいた相談を読みながらまず思ったのは、「この人、自分の話ばっかりしてんなぁ」ってことですね。

『哲学の先生と人生の話をしよう』p236

著者が「自分の話ばかり」と指摘したのは、相談者の話の中から「好きなことに気付いた男前」のリアリティが感じられなかったから。それは、相談者が目の前の男性を見ていないからだと指摘します。そして、同じように目の前の現実ではなく、「イデア」について論じたプラトンを引き合いに出す。

 その現実を見据えている人は、その現実について話ができます。でも、それを見据えていない人は、自分はどう思うかって話しかできなくなる。つまり自分の話ばっかりすることになる。
 でも、どうして目の前にある個物、目の前にある個人そのものを一つの現実として観ることができないんでしょうか?  どうしてその現実を受け入れることができないんでしょうか?
 たぶんその理由は簡単で、その現実がイヤだからだと思うんです。
 プラトンも目の前の現実がイヤだったのだろうと思います。

『哲学の先生と人生の話をしよう』p239

プラトンのイデア論から、「なぜ自分の話ばかりする人は現実を見ないのか」を帰納する。哲学にこんな使い方があるのかと驚きます。

そして「男前が好きでもいいのか」という質問から、「あなたはなぜ現実が見えないのか」という問いに変換を図り、相談者に投げ返すその手業の鮮やかさに舌を巻きます。

この答えは、自分自身にも刺さりました。このブログを読んでくださる方にも思い当たる節はありませんでしょうか?

自分の話をしている時は、現実逃避している時。目の前のイヤな現実を直視したくないから、具体的な悩みにしたくない。抽象的で「ここではないどこか」の話にしたい。

でも著者が指摘するのは、悩みは具体的でない限り、解きようがないということ。別の悩み相談で、端的にこう喝破している。

 どんな悩み(問題)も一般的・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具体的状況の中にあります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるのです。

『哲学の先生と人生の話をしよう』p178

つまり、人生の悩みを解決するには、具体的に悩むしかない。現実を直視し、その現実の話をするしかない。自分の話をするのではなく。

それが分かっているけど、できない時に、人は人生相談してしまうのかもしれません。だからこそ、相談に応じてくれる人は貴重なのでしょう。

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