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路上のX(桐野夏生著)@傾聴

友人から借りて読んだ。

こんなに叫んでも、私たちの声は届かないの?
幸せな日常を断ち切られ、親に捨てられた女子高校生たち。
ネグレクト、虐待、DV、レイプ、JKビジネス。
かけがえのない魂を傷めながらも、三人の少女は酷薄な大人たちの世界をしなやかに踏み越えていく。
最悪な現実と格闘する女子高生たちの肉声を物語に結実させた著者の新たな代表作。

本の帯に書かれたセリフである。
女子高生の肉声を結実させた小説、とあるからおそらくかなりの取材して書いた小説なんだろう。つまりリアルでこうした女子高生がいる、ということである。
本には、ひどい生育環境で、悲惨な生活実態が映し出される。
誰も生まれてくる家は選べない。という比喩は間違いで、育てる(育てない)親は選べない。
たまたま育てられた家でのDVや虐待(ネグレクト)や義父からのレイプからの家出、街なかでのレイプ、それでも【保護者】のところへは帰りたくない、金がない、食い物も寝るところもない、声をかけられるのは薄汚い人間からばかりで「うり」か「JKビジネス」……。誰も信じられない。特に大人の男は。やっと巡り会えた仲間も同じ境遇だった。
これは酷いな。可哀相だと感じる。
具体的に今すぐ温かい食事と暖かく安全な寝床が必要だ。レイプされたあとの医療と心のケアが必要だ。教育をうける権利もある。
それを未成年と縛られまともにバイトもできず、金も稼ぐことができない女子高生が自分でなんとかしなければならないとしたら、、、、、
帯には、酷薄な大人たちの世界をしなやかに踏み越えていく。とある。
たしかに、危ういながらもなんとか踏み越えている。
徐々に逞しくなっている様にも感じる。
でもけっして「しなやか」ではないだろう。
そんな表現は失礼だろ。
第三者すぎる。
足掻きながらの綱渡りである。
小説だからなんとか生き抜いているが、現実はそうばかりじゃないだろうと想像する。
でも、何かただ悲惨で惨めだけでない何かは感じる。
腐った社会に誤魔化されず。腐った社会を見切る。
腐ったものを腐ったと感じることができる。
不幸ではあるが、力強さを感じる。
社会の腐敗に飲み込まれることのない強さだと信じたい。
確かに不幸ではあるが、不幸といいきれるのか?
幸福とはなんだ?
おそらく社会に順応して、上手くのり、金を手にしてJKを買うサラリーマンは「腐る」が解らないまま腐ってるに違いない。サラリーマンと書いたが医者だろうが弁護士だろうが教師だろうが政治家だろうが役人だろうが経営者だろうが、そんなヤツはゴマンといる(おそらく)。
帯の書かれている本の紹介を追記しよう。

女子高生に声をかけてくるのは、高校生が御しやすく、安い相手だと見くびっている男がほとんどだ。
彼らは女子高生が小遣い欲しさに、男から声をかけられるのを待っている存在だと低く見ているのだ。(「第一章 真由」より) 


さて、そんな少女が「傾聴」へやってきた、としよう。
仕方がない、ずっとそれを想定して読み進めてきたのだから^^;
実際には、家出がバレルことを恐れ、最悪な保護者の元に強制生還される危機を察知して、いやそれよりも根本的に傾聴という発想がないか、知ったとしても信用されずに来ないかもしれないが、仮にやってきたとする。
さてどうする?
少女はポツリ、ポツリ話す。
ボクは、想像を絶する現実に少なからず動揺するだろう。
もちろん乱れることなく冷静に驚き、悲しみを浮かべ柔らかくうなずく。
(もちろん驚きも、悲しみも、柔らかくも、演技ではない)
少女は話すなかで降り掛かっている状況の「具体的」な問題にふれる。
いくつかの「繋ぐべき専門機関」はアタマに浮かぶ。
レイプであればどこ、家出であればどこ、虐待であればどこ、未成年であればどこ、、、
確かに浮かぶ。それはいかにも「大人の思考」ではないか?
果たして具体的問題を解決するために「専門家に繋ぐ」それでいいのか?と思う。少女はあえてそうした「専門機関」を避けてきたのだ。
専門機関はこの社会の専門機関だよな。
この少女からしてみれば、腐った社会の専門機関。
もちろんJKを食い物にする腐った社会人と同一視はしないかもしれないが、少女からすればどう映ることか?
それよりも大切なのは、とにかく傾聴、今は少女の視線で少女の話を聴くことではないか。
帯に一番大きな活字でかかれている。
こんなに叫んでも、私たちの声は届かないの?
傾聴ということは、つまりは、これなんだろう。叫びたいことが叫べない。届く先がない。ひとつひとつの解決は確かに望んでいるとしても、まずは叫ぶことを聴いてほしい、ではないのかな。
小説のなかでは、レイプ犯に復習するために警察へいく。
婦警は確かに事情を聞き同情もするが、あくまでも捜査が絡んでいる。法がからみ、ルールが絡む。
やりとりを聴いて(読んでいると)じれったい。
無条件で何を尋ねることもなく聴けよと感じてしまう。
児童相談所の役人が少女のもとに呼ばれる。
これも決まりに則った聞き方に喋り方。
ポジショントークである。
公的解決そたより専門機関に繋ぐということはこういうことなんだろうね。
ただ、叫びを聴くことではなく、大人(社会)の都合で社会のルールに合わせる。

とはいえ、この少女は間違いなく「大人の男」であるボクの傾聴は拒否するだろうなぁ〜orz
そこをどう乗り越えるか、、、これがボクの最大の課題なんだろうな。


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