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あとがきの余韻。

恩田陸さんは特別好きな作家さんの一人ですが、
先日読んだ本のあとがきがたまらなく素敵だったので、まだ時折そのことをふいに考える。

こういうのを「余韻」と呼ぶのだろう。

タイトルは「七月に流れる花」と「八月は冷たい城」。
図書館のティーンズコーナーをうろうろしていて見つけた2冊。
表紙は大好きな酒井駒子さん。

かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド。

講談社から出ているシリーズもので、ミステリーでかつ児童文学を大人もつい手に取りたくなるような素敵な作者が書き下ろしているようだった。

北村薫、小野不由美、森博嗣、はやみねかおる、島田荘司、綾辻行人、田中芳樹などなど。

ああと思わず息をついてしまうような、そんな豪華なラインナップ。

早速2冊を読み進め、児童文学でさすがの恩田陸。ページをどんどんめくりたくなり、あっという間に2冊読んでしまった。

内容についてはあえてここには書かない。
ただ1冊目は少女目線の物語、2冊目は少年目線の物語だったことは触れておく。

少女目線の物語を読み終えたあとがきの始まりの一文はこうだ。

人は誰でも、心の中に女の子の部分と男の子の部分を持っています。

そして、恩田陸の幼少期の読書体験がほんの少し、さらりと書かれてある。

「秘密の花園」や「若草物語」、「赤毛のアン」
の魅力的な女の子たちの出会い。

ふふふ、と思わず私はにやけてしまった。
恩田陸は、アンのことをおしゃべりで鬱陶しかったと書き、私はアンが好きだったから。

まるで共通の小さなころのお友達の話のようだった。

2冊目の男の子目線の物語を読み、あとがきを開く。

予想通り、1文目は同じで、その後にまた恩田陸の読書体験がさらり。

そうもちろん次は男の子の部分の思い出について。

「少年探偵団」や「シャーロック・ホームズ」など。

残念なことに、私はミステリーが好きではなかったから共感は出来なかったけど、幼い頃の恩田陸のわくわくの感覚が伝わってきた。

そんな風に女の子の部分と男の子の部分を考えた時に、私は圧倒的に女の子の部分の方が多かったように思った。
むしろ、私には男の子の部分があったのだろうか?

「赤毛のアン」や「若草物語」を読み、
その後少し成長して
「風と共に去りぬ」「嵐が丘」へ移行していった私。

もちろん、海外文学だけじゃなくて、何よりも私の女の子の部分は「りぼん」「なかよし」で形成されたように思う。
「神風怪盗ジャンヌ」「カードキャプターさくら」などなど。

荻原規子や森絵都が大好きで、その後江國香織や川上未映子、西加奈子へと変わっていった。

少女文学、漫画の甘ったるさと憂鬱さとませた感じとときめきと。
そういう感覚を生き生きと思い出す。

いや、でも私は田舎の子だったから、たくさんお山に秘密基地を作ったし、川でいかだも作ったな。
たけのここっそり掘って怒られたり、友達の庭の木に登って落ちたこともあった。

ああ、あれは私の男の子の部分だったんだな。

女の子の部分と男の子の部分を、子どもはみんな持っている。

でも、成長した私達も変わってないのかもしれない。
女らしく生きる人、女の性に惹かれつつも、どこか遠くにふらっと行きたい私の放浪癖。

ちらっと、見えるその両方の面に私達は惹かれたり、持て余したりしながら生きてるのだな。

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