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ヒプノセラピー忘備録(序章)

32歳。子どもを望む前に、今一度、自分のもろもろの悩みを整理しておきたくなり。改めてヒプノセラピーを受けることにしました。

改めて、というのは
今までも何度か受けているわけですが
根本的な部分に、向き合う勇気がなく
興味本位的な、前世療法や、インナーチャイルドやハイヤーセルフ療法を、20代後半にかけて何度か受けたという次第で。

もちろん、多少の効果はあったものの。
根本的な部分と向き合えてないので、また同じところに戻ってきてしまうことを繰り返していました。

以前からインターネットで検索し知ってはいたものの
経済的な事情から、受けられずにいたセラピストさんのヒプノセラピーを
とうとう受けてみることにしたのです。

もしかすると、ようやくそのタイミングに至ったのかもしれません。

私の根本的な悩みというのは
実の母と、双子の妹、また、そのふたりを取り巻く実家族との関係性です。

わたしは、11分先に母胎から取り上げられたという理由で、二卵性双生児の姉になり、
「お姉ちゃんなんだから」という呪縛に、少なからず縛られた幼少・思春期を送りました。もしかするとそれは、周りの家族というより、自分自身が自分にかけた呪いだったのかもしれませんが。

実家は決して裕福ではなく、田舎で自営業をいそしむ、3世代同居の大家族でした。
5人兄弟の3・4番目として生まれた私たち双子は、一番お金の掛かる時期に小学校入学を迎え、「祝福の象徴」とも思えた、真っ赤なピカピカのランドセルを買ってもらえず、私たちのもとにやってきたランドセルは、姉と、両親の知人の娘さんのおさがりでした。
身に着けるもの、身の回りのものは大体おさがりで、そんな中で新しく買ってもらう物には、「お金を遣わせてしまった」という罪悪感が、いつも重たく張り付いていました。
この、「ランドセルを買ってもらえなかった。」という出来事が、たぶん、幼少の私には大きなショックで、他の兄弟は、なんだかんだで買ってもらえているのが、余計に大きな衝撃で、
「私は祝福されるに値しない、生まれてきてはいけない人間だったのだ」という、得体の知れない、だけどものすごく大きな不安と孤独を、私の中に繰り返し生んでいたように思います。

そんなこんなで、10代でリストカットやら、ODやら、精神科入院やらを経て、
20代で一人暮らしのアパートの、ユニットバスのドアノブにタオルをひっかけ輪にして、自分の全体重をかけて死のうとする夜を何度か乗り越えて、
泣きながら遺書を書きなぐる夜も、どうにか朝を迎えて、

そんな、心が空っぽになるような、
暮れていく街の景色の中、孤独に喰われそうで逃げ出してしまいたくなる日々を繰り返して、
どうにかこうにか必死に生きて、

私は31歳で結婚し、これから新しい命を望むわけです。

で、このまま、新しい命を迎えたときに
もしかしたら、私は娘や息子に、無意識におんなじことを繰り返してしまうかもしれないと。
生まれ故郷から遠く離れた、雪深い田舎町の中で、子どもを授かる準備が、着々と整う中で、急に怖くなったのです。

わたしは、同じ思いを、生まれてくる我が子に味わってほしくない。
そのためには「私は生まれてきてはいけない命だった」と、
漠然と自分自身を責める思考を根本から変えていかなければ。
自分自身に対しそう思っているのに、
自分自身が生んだ子どもは
絶対にそう思わせない!という
自信を持つことができないから

だから
私は私と向き合うことに決めたのです。

ということで、
忘備録もかねて、ヒプノセラピーの体験を
書き留めておこうと思います。

ちなみに、セラピストさんが特定できるような内容は避けたいので
セラピーの詳細は避けて
ヒプノセラピーを通じて私が見たもの、感じたことだけを
留めていけたらと思います。

ヒプノセラピー体験談以外にも
その合間合間で浮かんでくる感情や情景を
丁寧に言葉にできたらいいなと思っています。

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