武術家と読むガラス玉演戯 (後編)

クネヒトは島耕作ばりの出世街道をひた走り、ガラス玉演戯の最年少名人となります。研究者としてのモラトリアムはなくなり、クネヒトは公人としての職務に忙殺されました。
また、かつての同僚であった若い英才達はクネヒトの早過ぎる昇進をやっかみ、その実力に懐疑的でした。クネヒトは彼らに実力と人格をを示し、統率しなければなりませんでした。純粋にガラス玉演戯を追求してきたクネヒトは、そうした本質と無関係な部分の摩擦で疲弊していきました。

そんなある日、クネヒトの元にひとりの若者がやってきます。彼は、クネヒトの恩師である、あの音楽名人(すでに引退しているので、正確には「前」音楽名人)の従者でした。
若者は、前音楽名人が、しだいに言葉を発することが少なくなったこと。ほとんど食事をとらないこと。ただ、静かさと明るさのみが増していき、生身の人間から離れた存在になりつつあることをクネヒトに告げました。

若者は、生きているうち、まだ前音楽名人がクネヒトがクネヒトだとわかるうちに、ひと目、二人をひき合わせたいと思い、カスターリエンの制度を破り、公式の使者を装って独断でクネヒトを訪ねたのでした。
クネヒトはそれを咎めず知らせてくれたことに礼を言うと、前音楽名人を訪ねに行きました。

クネヒトがやってきたとき、前音楽名人は二本の指で静かに、弱いが正確に16世紀のオルガン曲を弾いていました。そして、あの、クネヒトが少年だったころ、初めて出会った時のような明るい微笑みで迎えてくれました。

クネヒトは前音楽名人を気遣い、あれやこれやと話しかけます。しかし、何を聞いても、報告しても、前音楽名人は返事をせず、微笑みとまなざしを返すのみでした。それに苛立ち、クネヒトはだんだん悲しくなってきます。実りのないように思えた一方的な対話は10分だったのか、1時間だったのか、半日だったのか、あるいは永遠にも感じました。

そのとき、たった一言、前音楽名人は言いました。

「君は疲れたね、ヨーゼフ。」

深く、慈愛に満ちた声でした。それだけ言って、前音楽名人はクネヒトの腕にそっと手をのせ、また微笑みました。

 ――『その瞬間ぼくは負けた。あの方の朗らかな静けさ、忍耐、落ちつきなどの一部がぼくの中に移ってきた。突然ぼくには、ご老人の心が、そして、あの方というものが、人間を離れて静けさへ、ことばを離れて音楽へ、思想を離れて統一へと転回していった心境が、はっとわかった。ここで見る機会を恵まれたところのものが何であるかを、ぼくは理解した。いま初めてその微笑と輝きをも理解した。つまりひとりの聖者、完成された人が、一時間のあいだここでその輝きの中に共にいることを、私に許したのであった。ぼくという無骨者は、そういう人のお相手をし、あれこれと質問をし、会話に誘おうとしたのだ。』

何かを与えるつもりで来たクネヒトは思い違いを恥じました。クネヒトは与えられる側でした。前音楽名人は、最後までクネヒトの師でした。

みなさんには、君は疲れたね、という、このたったひと言、これを言ってくれる人がいるでしょうか。また、誰かに言ってあげられたことがあったでしょうか。
誰もが、これほど渇望している言葉はないかもしれません。私は初めてこの部分を読んだ時、自分がねぎらわれているかのように感じ、「うえっうえっ。そうなんだよぉ。疲れているんだよぉ~っ!」と半泣きになりました。

さて、演戯名人としての職務を行っていたクネヒトは、官庁での会議の席でなつかしい顔を見つけます。それは、英才学校時代に論敵だった、あのプリニオでした。プリニオは代議士になっており、財政監督政府委員として会議に出席していたのでした。

かつて二人は、「カスターリエン」と「世間」という、二つの世界を代表して討論しました。その結果、クネヒトはカスターリエンという人工的な楽園の脆弱さを知り、また、プリニオは精神的生活を忘れた世俗の生活の危険を知りました。
二人は立場を越えた友情を確立し、二つの世界を融和する架け橋となろうと誓いました。

実は、このあと、青年時代にも一度、外部者向けのガラス玉演戯講習を受けにきたプリニオは、クネヒトに会っていたのですが、その再会は残酷なものでした。
二人は互いに最大限のもてなしと社交をかわしていましたが、内心では、クネヒトは相手があまりに粗野で傲慢で平凡な世俗の人間になってしまっていることに驚き、プリニオもまた、かつての友が、完全にカスターリエンによって去勢された高慢な精神だけの人間のように感じていたのでした。

こうした、青春の一時期を同じ道を歩んだ友達と、年を経て会った時、もはや思い出話以外に何も共有するものがないと感じたときの寂寥感はなみなみならぬものがあります。藤子不二雄の怪作、『劇画オバQ』を彷彿とさせます。

しかし、いま壮年となったプリニオの顔からは、傲慢や浅薄さは消えていました、かわりに運命的な苦悩がありました。それがクネヒトを惹き付けました。
クネヒトはプリニオを招き、その心を開かせようと努めます。最初はよそよそしかったプリニオも、やがて全てを吐きだし、思いをクネヒトにぶつけ出しました。

プリニオが最も苦しんでいたのは、カスターリエンの精神と世俗の世界との折り合いの付け方でした。

  ――「ぼくが演説の中で、カスターリエン人の思いあがりと虚飾をどんなに批判したかを、君はおぼえているね。(中略)ところが、俗世の人間は、粗末な作法、乏しい教養、無骨な騒々しいユーモア、実際的な利己的な目的だけを追っているサル知恵を、同様に誇りとしていた。」

カスターリエンの中でプリニオは異物でした。しかし、世間に戻ると、今度はプリニオが持ち帰ったカスターリエン的な精神が、同輩の中で敵意の対象となったのです。プリニオは、動物にも鳥にも迫害された寓話のコウモリのように、二つの世界のどちらにも身の置き場がなくなってしまっていました。さらに家庭の不和やら子供の教育やらもあり、形而下、形而上、入り乱れてのごちゃごちゃした悩みで、プリニオはテンパっていました。

それを受けてのクネヒトの対応は、親愛に満ちた微笑でした。プリニオはそれを馬鹿にされたと思って怒ります。
しかし、クネヒトは、今のプリニオに足りないものこそが、この明朗さなのだと答えます。それはあの前音楽名人が死の間際に辿りついていた境地でした。

クネヒトはプリニオがもう長年、瞑想の訓練から離れていることを見抜き、静かにオルガンを弾きながら、プリニオに夜空を示しました。
そして、一番空の深い部分は、暗くどんよりとした部分にあるように見えるが、それは雲であって、実際に一番深いのは、澄み切った星々の方であること。その天の明朗さこそが、全ての芸術、精神の目指すところであることを囁きました。 プリニオの頬には静かに涙が伝いました。

プリニオの苦悩の源は、いずれも、雲に囚われ、本来の星々の輝きを見失っていたことにありました。まあ、本当はもっと長い問答があって、この話もそんなに簡単ではないのですが要約するとそんな感じになると思います。「悩む」は雲の中をうろうろすることで本人的には大問題を処理しているように感じますがどこにも向かっていない状態です。数学の問題が式を解いていくうちに単純化されて最後には解になるように、明朗さに向かう必要があります。

武術にとっても我執から自由になり精神をこの明朗な状態に置くことが一番大事です。 ああ来たらこうするとか、得意技を使おうとか、そうした戦略の部分は、格下の敵には通用しますが、刹那の判断の必要な場では「迷い」になってしまいます。
理を考えて答えを出すのではなく、理、そのものになること。相手が問うた瞬間には答えを出していなければ命のやり取りには間に合いません。 武術は現世利益があるからやる、というような功利的なものではありませんが、この意識の状態を作れる、もっというと、常にその状態で生活できる、ということが出来れば、何かと生きていくのが楽になるのは確かです。

数々の困難を乗り越え、クネヒトはカスターリエンを象徴するガラス玉演戯者の頂に達しました。
しかし、他の宗団職員のように、この州と聖職制度が完全で永遠的な物のように信じてはいませんでした。いえ、真摯に宗団の精神に忠実であり、それと向き合うほどに、それは危ういものに感じられていました。クネヒトは本部に宛てて長い手紙を書きます。

 ――「私は自分の職務を十全に遂行する能力を疑い始めたのです。それは、私の職務そのものが、自分の保護育成すべきガラス玉演戯が脅かされている、と考えざるをえないからです。」

 ――「ある人が屋根裏のへやで綿密な学者の仕事をしているとき、家の下の方で火事が起ったに違いないと気づいたとします。彼は、それが自分の職務かどうか、目録を整理したほうがよくはないかどうか、などと考えはせず、かけおりて、家を救おうとするでしょう。(中略)私は、カスターリエンという建築の最上階の一つで(中略)どこか下が燃えていることを(中略)煙の出ているところに急ぐべきだ、ということを知ります。」

それは、カスターリエンを危うくする内外の危機に関しての予言であり、警告でした。
内部の危機は、貴族病ともいえる、思いあがり、階級の高慢心。そして国家や世間と断絶しすぎた精神的生活の結果、歴史の中での自分の役割を見失っていることについてでした。
カスターリエンの存在意義は、高い教養を維持することですが、それは、国や世界に還元されなければ意味がありません。唯一、各地に派遣されていく教師たちがその役を担っていますが、カスターリエンの内部では、多くの人が研究の自由に甘えて、自己の享楽だけを目指すだけになり、その特権のための費用が税金で賄われていることに対して義務感が欠落していました。

そしてカスターリエン人は、本来の宗団が、「戦争の世紀」の荒廃の中で、暴力に耐え、精神を屈しなかった人々が作った良心と真理を守る砦だったことを忘れていました。長い平和によって現在のカスターリエン人は、ふたたびそうした荒廃した時代が訪れるということが想像できなくなっていたのです。

 ――「一般のカスターリエン人は、世俗の人や学問のない人を、おそらくけいべつも、ねたみも、憎しみも持たずに、見ているでしょうが、同胞とは見ず、パンを与えてくれる人とも見ておらず、外の俗世で行われていることに共同の責任があるとは、露ほども感じておりません。」

 ――「しかし、われわれにそれを可能にしてやる気が国民になくなったら、あるいは、貧窮、戦争等によって、国にそれができなくなったら、その瞬間にわれわれの生活も研究もおしまいです。国がいつかカスターリエンとわれわれの文化をもはや維持できなくなること、国民がいつかカスターリエンを、もはや許すことのできないぜいたくと見なすこと、いや、そればかりか、国民が、これまでのようにお人好しにわれわれを誇りとするかわりに、いつかわれわれを寄生虫だ、害虫だ、いや、邪説を唱えるものだ、敵だ、と感じるようになること、――それは、われわれを外から脅かす危険です。」

クネヒトは、数学、言語学、天文学など、その他の学問は実用性ゆえにこの先も残るだろうと予見します。しかし、ガラス玉演戯という、あまりに繊細で、抽象的なものは、こうした非難をまっさきに浴びるだろうと考えました。
この辺の経緯は、やはり武術の位置づけに近いものを感じます。 この命題を最も感じたのは311の地震の後です。 
私自身は武術の死生観や考え方は諸々の行動の指針となりえるものだと再確認しましたが、世間からは非常時に何を非生産的なことをやっているのだ、という空気を感じました。

一応、武術は、何度も戦争を乗り越えてなお残っている文化ですが、それを支える基盤となる精神を持つ武術家の数は先細る一方といえます。また、武術を伝統文化の象徴として賛美する声と、野蛮な否定されるべきものだという声の比率も、あきらかに後者寄りに推移していっています。
私が交流会などで連帯を呼びかけるのは、こうした危機に対するささやかな抗議でもあります。
本当は私より強い人も巧い人も凄い人もいっぱいいるのです。しかし、私もまた、この世界のケツに火が付いていると感じたからには、たとえ底に穴の空いたバケツでも消火にいそしみ、誰か一人でもバケツリレーに加わってもらえるように呼びかけるしかありません。
そしてそれは武術だけの話ではなく音楽、文芸、技芸などあらゆる文化が危機感を持っていることでしょう。文化全体が今、インスタントな消費社会によって死に瀕しています。我々は連帯してこれを守らなければなりません。

さて、クネヒトはこうした危機にあたって、自分を州外の各地の学校に送り、教師としての任を与えること。そして、そこに宗団の若い兄弟たちを徐々に招き、世間との架け橋を強固にすることを願い出ました。

しかし、宗団は非常に丁寧にクネヒトの透察と真理への誠実さを賞賛しながらも、実際の政治情勢に対して宗団は干渉はできず、カスターリエンが関与するのは世界史ではなく精神史へのみだということ。たとえ警告にあるような危機が迫っているかもしれないにせよ、それを甘受するしかないこと。また、聖職制度においては、人格、才能、適性などから、その人に見合う席を用意するのであって、いきなり名人が州外の一学校の教師になりたいというような要望を出して、それが通るようなことは、制度の否定でもあり、ありえないことを通達しました。

この返事はなかばクネヒトの予想通りでした。そして、こういう返答が来た場合は、もう、宗団を脱退しよう、とクネヒトは腹に決めていました。
クネヒトはガラス玉演戯名人になってまもないころ、過去の名人の残した小冊子を読んだことがありました。そこには次代以降の後継者に向けた、名人の仕事内容に関するアドバイスが書かれていました。

 ――翌年の公式に行うガラス玉演戯の式典のことを早めに考えるように。もし、そういう気分にならなかったり、着想がわいてこなかったら精神集中をして、そうした気分を作るように。

その冊子にはそう書いてありました。

新進気鋭の最年少名人としてデビューしたてだったクネヒトは、そんな気持ちになること自体、ありえないと思いました。しかし、どうもその警告が気になったクネヒトは、いろいろ考えた結果、こう決意しました。もし、次の祝典演戯を考える時に、喜びのかわりに心配が、誇りのかわりに不安がわくような日がきたら、潔く退職しようと。

ヒュー! かっこいいっ!

自分に置き換えてみるとどうでしょう。もし、武術に携わることが、楽しみや喜びではなく、惰性や義務感になったとしたら? 十年前の私だったらこう言うでしょう。
「そうなったら武術をやめるかって? おいおい、何を言ってるんだい? 武術をやめる、じゃなくて、 命  を  断  つ の間違いだろ」ってね。

ヒュー! かっこいいっ!

で、現在の私が聞かれたらこう答えるでしょう。
「武術は生きること、生活と同じものですから、時にはそれに疲れたり倦んだりすることもあると思いますよ。うん。でも、大事なのはそんなに気負わずに、無理のない範囲で続けていくことなんじゃないかな。にんげんだもの」ってね。

ヒュ…ヒュー! 玉虫色の答弁! 大人ってズルいっ!

まあ、そんな感じで、クネヒトは私と違い、壮年にさしかかっても初心を忘れなかったので、すっぱり名人をやめることを決断するのでした。
もともと、クネヒトが奉仕しようと考えていたのは、真理に対してでした。カスターリエンそのものに対してではありません。
多くのカスターリエン人にとってはカスターリエンの真理=普遍的な真理でしたが、クネヒトは、それが幻想であること。カスターリエンの外にも世界があり、そこでは必ずしもカスターリエンの真理が通用するものではないことを知ってしまいました。
クネヒトがはじめ音楽を志し、そこからガラス玉演戯の道に進んだように、さらにもう一段階、別の領域に踏み込む時期が来たのだと考えたのです。

武術の世界でも、剣の技術の終着点が無刀であったように、どこかで価値の逆転が起こります。身を守るために必要なことが、命に執着しない事であったり、殺傷の極にある技術が活法や融和の技だったりもします。 

私は、かつて付き合っていた女性に「君は武術をやっていなかったら糞以下だからね」と言われたことがあり、それは半ば呪縛のようなものになっていました。
だから、武術家であるということが、私を私たらしめている第一義だと思っていましたが、今では、それもやっぱり表面的な肩書きでしかないと考えています。何にもとらわれないことが武術の本質であるなら、武術自体に執着しすぎるのもやはり間違いなのです。

さて、クネヒトは自分の印章を返し退団すべく本部に行き、宗団の代表者、本部主席のアレクサンダーを訪ねました。アレクサンダーはかつてクネヒトの瞑想の師でもあり、尊敬できる同僚でもありました。こうした人に別れを告げること。裏切り者、逃走者と見られることはつらいことでした。

卑近なたとえを少し使わせてもらいます。

いじめられていた少年が、ケンカに強くなりたいと思ってキックボクシングをはじめたとします。少年はそこで尊敬できる師や、気の合う友人を見つけ、いままでなかった自分の居場所を見つけたと感じます。技術は上達し、やがて試合でも結果が出せるようになってきました。
しかし彼はある時、街でケンカの現場を目撃します。それは髪の毛や服を掴んで相手を引きずり倒し、馬乗りになって殴るような凄惨なものでした。
その夜、布団の中で彼は突然、自分がなぜキックボクシングをはじめたのかの理由を思い出しました。そして昼間のケンカを思い出します。もし、自分がああなったらどうしただろう。今習っているキックの技術はキックの試合の中では有効だろう。しかし、何も制約のない戦いになったらどうなるだろうか?
次の日、彼は、キックボクシングをやめて総合格闘技をやってみたいと、ジムのコーチに打ち明けました。
コーチや仲間はこういいます。お前はキックの世界から逃げるのか? キックの世界で自分の限界が見えたから、安易に別の世界に行こうとしてるんじゃないのか?

こうした局面は、武術にかぎらず、進路や恋愛などでもよくあると思います。このとき、自分のいた世界にとどまること、元々の自分のやりたかったことをやること、どちらが逃げたことになりどちらが立ち向かったことになるのか?というのは非常に判断が難しいです。どちらにもそれらしい立派な理由はつけられるのです。
もちろん、これも今の私であれば、玉虫色の折衷案で、とりあえずどっちもやってみればいいんじゃね? 無理に二択にする必要もないんじゃね? みたいな感じで考えます。
アレクサンダーも、何も退団しなくても、疲れてるのだったら無期限で休養という形にしてはどうかと言ってくれたのですが、クネヒトは中途半端な覚悟で物を言わない人なので、アレクサンダーに対し、もう宗団には戻らない覚悟であることを告げ、実はあの警告の手紙を送る前から身辺整理をし、自分がいなくなっても宗団の職務が滞らないようにしてきたと告げます。
問答は長きに渡りました。二人の討論は、常に礼節を忘れないものでしたが、激しく、火花の出るようなものでした。

 ――「私は、あなたが否認せざるをえないことをしました。しかし、そうせざるをえないから、そうすることは私の任務であるから、それは私の信じている使命、善意をもって引き受けている使命であるから、そうしたのです。あなたがこれも認めることができないとしたら、私の負けで、あなたにお話したのも、むだだったわけです。」

アレクサンダーが答えます。

 ――「問題はどこまで行っても同じことです。私が信じており、代表しなければならない法則を破る権利を、一個人の意思が、場合によって持つべきだ、ということを認めよと言うのです。しかし、われわれの秩序を信じると同時に、この秩序を突破するあなたの私的な権利をも信じるということは、私にはできません。」

最終的に、クネヒトの退団は認められました。しかし、クネヒトの考えは、最後まで肯定されることはありませんでした。
ここの別れのシーンはいつ読んでも胸が苦しくなります。私もまた、多くの尊敬する人を裏切るような形で、こうした自分の意思を優先させてきました。それを後悔したことはありませんが、自分に正直であるということは、他人に残酷であることも確かです。

 ――「お別れに握手してください、とお願いしたかったのですが、今はそれも諦めました。あなたは私にとって終始ことのほか貴い人でした。きょうのことがあってもそれは変りはありません。ごきげんよう、敬愛する人よ。」

クネヒトがそう呼びかけましたが、アレキサンダーは答えられませんでした。

 ――アレクサンダーはじっと立っていた。いくらかあおざめていた。一瞬、彼は手をあげて、別れていく人の方に差しのばそうとするかのように見えた。彼は、目がうるんでいくのを感じた。そこで頭をさげて、クネヒトのお辞儀にこたえ、立ち去らせた。
 出ていく人がドアをしめてからも、主席は身動きもせず立ち止ったまま、遠のいていく足音に耳を澄ました。

……さて、自由になったクネヒトは、甘やかされて育ってわがまま放題になっていたプリニオの息子、ティトーの個人教師を、俗世における最初の仕事とします。しかし、ここから先は書くことはありません。なぜかというと、ティトーと湖で泳ごうとして、あっさりと、え、何これ? 打ち切り? って感じで、心臓麻痺でぽっくり死んでしまうのです。一応、ティトーがその死に責任を感じ、カスターリエン的な精神世界と、自然なあるがままの世界の良い部分を受け継いだ新しい世代の人間になっていくことをほのめかしていますが、まあ、その辺はどうでもよいところです。

この終わり方は唐突で、読んでいるほうは、これからクネヒトがどういう道を選ぶのか、どうなっていくのかという期待を肩透かしされたようですが、クネヒトの視点で考えてみると、まあ悪い死に方ではないと思います。真理という形のないものを追う以上、ゴールはありません。ならば、どこで力尽き倒れても大差はなく、幸福な一生だったんじゃないでしょうか。
目標の明確な人生は、それを達成した瞬間に虚しくなるか、達成できずに絶望するか、というパターンになりやすいですが、クネヒトはいつ死んでも悔いのないように生きていたので、一見理不尽な終わり方もハッピーエンドだったのだと思います。

この物語は全ての登場人物が読者にとって他人事ではなく「あのときの、そしてこれからの自分」であり「今までに出会った誰か」です。
くり返し読むたびに別の人物に自己を投影していたり、別の考え方に共感していたりするでしょう。そして「あー面白かった」で終わって何も残らないという類の話ではなく、読む前と後で決定的に人生が左右されるものです。それはクネヒトの死によってバトンを渡されたのが読者である我々だからです。

おわり

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