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千人伝(二百五十六人目~二百六十人目)

二百五十六人目 トースター

トースターは毎日焼いたパンを食べ続けた末に、トースターを名乗り始めた。周囲には唐揚げやらフライパンやら名乗る奴らもいた。トースターは電気代を節約するために、自らの熱で食パンを焼くことを覚えた。かなりの高熱を発することで、キツネ色に食パンを焦がすことができるようになっていた。

しかしその熱量は日常生活には不便をもたらした。手を繋ぐことができなくなったので恋人には逃げられた。書類はすぐに焼けた。キーボードのアルファベット表示が焼けて見えなくなってしまったため、タッチタイピングのできないトースターは仕事を失った。

仕事を失うとさらに食パンを食べる量が増えた。食パンは最も安上がりで腹が膨れる食べ物であったからだ。自らの熱で焼いた食パンだけを食べ続けたものだから、当然彼は倒れた。偶然トースターの元を訪ねてきた祖母が、人肌で炊いてくれた米の飯を食べてトースターは涙を流した。以来炭水化物を一切摂らなくなった彼は、その熱量を持て余した。


二百五十七人目 食パン

食パンは元は食パンであったが人となり、食パンと名乗った。トースターという男に偏愛され、その後捨てられ、トースターの部屋に山積みになった食パンは、腐る前に人となった。

食パンはたびたび女の部屋に転がり込んで命を繋いだ。女性好みのする顔かたちらしかった。女たちは彼にむさぼりつき、彼はむさぼり食われるがままになっていたので、次第に痩せていった。女たちの食欲と性欲があまりに強すぎると食パンは逃げ出した。しかし金も職もない食パンはやがてふらふらになり道端に倒れ、また別の女の人に拾われるのだった。

何十人目かに拾われた際、食パンはむさぼり食われなかった。食パンを拾ったのは、白米派であった。かつて食パンを捨てたトースターの祖母であった。腹を空かせた食パンに毎日少しずつおかゆを与えた。回復するに従い、食パンの身体を構成するのは次第に食パンから白米へと移り変わっていった。全身が白米となり、食パンは食パンであることを捨てた。その瞬間、老婆は彼をむさぼり食った。


二百五十八人目 蚊

蚊は蚊に噛まれすぎて蚊になってしまったのだが、人のサイズとしての蚊はあまりに目立ちすぎ、人々に追い回されるのが嫌で、再び人となった、元人・元蚊・現人、である。しかし蚊となった習性はすぐには抜けず、隙あらば人の血を吸おうとしてしまった。子どもが欲しくなると人の血が欲しくなるのだった。

蚊は血の味を忘れようと、酒、薬物、男に手を出し続けた。だがどれも血の味には劣るので執着しなかった。半分飲んで半分捨てた酒に蟻がたかるのを見ていた。半分身体に取り込んで半分捨てた薬物に中毒者たちが群がっていた。性行為の最中に捨てられた男たちは蚊に暴力を振るおうとしたが、蚊はたやすく飛んで避けた。

蚊柱を見ると蚊は子どもが欲しくなるのだった。しかし蚊とも人ともうまく交わることができなくなっていたため、いつまでも満たされぬ想いに苦しめられていた。そこらを歩く男に抱き着き、血を吸い、すぐに血も男も捨てた。蚊は蚊柱に囲まれて天に消えた、と伝えられている。


二百五十九人目 ヒバカリ

ヒバカリという名の蛇がいる。咬まれたら命はその日ばかりとなる、というのが名前の由来である。しかしヒバカリには毒はなく、咬まれて命を落としたという記録もない。

しかし誤った伝承を信じてしまったがゆえに、ヒバカリに咬まれた瞬間から、もうその日しか生きられない、と思い込んでしまった男がいた。その瞬間から男はヒバカリと名乗った。その一日しか生きられぬと覚悟して、日の落ちるまで、知り合いの家々を訪ねて別れの挨拶をした。訪ねられた者たちに「あれは迷信だ」と説かれても「いえいえ気休めなどおっしゃらずに」と聞く耳を持たなかった。

ヒバカリはその一日を延々と繰り返し生き続けている。その日ばかりを生きている。彼が訪ねた家々が朽ちて誰もいなくなっても、その場所をヒバカリは訪ね続けている。彼だけは昔と変わらぬ姿で。

※ヒバカリについてはこちらにも。


二百六十人目 縄跳び

縄跳びは縄跳び好きの子どもが公園に置き忘れていった縄跳びが集まって人となったものである。跳ばれなくなった縄跳びは自ら跳ぶしかなくなり、公園内のあちこちを跳ねた。カラスや蛇と戦ううちに公園から逃げ出し、人間社会に紛れ込んだ。

縄跳びは自分の間に人を入れることを好んだ。長い手足で人を包み込むので、包まれた相手は縄跳びと一緒に歩いたり走ったり飛んだり暮らしたりしたくなってしまうのだった。その手管で縄跳びは紐のように縄のように人々に垂れ下がりながら暮らした。

だが歳を取り、縄跳びもあまり跳べなくなった。かつて縄跳びが垂れ下がった人々からも見捨てられるようになってしまった。そんな縄跳びをある子どもが拾い上げた。いつの間にか人の形を保てなくなり、無数の縄跳びへと戻ってしまっていた。時は流れ、縄跳びという物は過去の遺物となってしまっていた。子どもたちは縄の使い方をわからないままそれを振り回し、いつの間にか縄跳びを始めていた。


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