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論語を言語化する①「射」

皆さん、論語はご存知ですよね?
「論語と算盤」は3年前は大河ドラマになりましたね?
はい、世間に反目する私は「論語と算盤」読んでませんし、大河ドラマも見てません。
というか、基本的に「成功者」の話って嫌いでした。
成功した人なら何でも語れるわと。
最近はそんなひねくれ度も多少下がってきました。

この度素直に論語を学ぼうと思いましたので、その成果を紹介したいと思います。
ちなみに一度、安岡正篤先生の論語解説本で勉強したのですが、イマイチ入ってこなかったです。
改めて安田先生の入門書から入りました。

安田先生は能の先生でありますが、古典の知識が幅広く話も上手でとてもおもしろい先生です。
文才も優れており、私のような一度論語挫折者もわかりやすかったです。

六教

論語は色々な項目があります。
数字+○という形が基本です。
その中で今日は六教の中の「射」を言語化したいと思います。
「教」は必須教養です。つまり六教とは必須教養六部といったところ。

「礼」と「楽」

安田先生は六教を一貫して異世界や神、鬼、先祖といった「人智を超越するもの」との対話する技術だとおっしゃいます。

その中でも「礼」や「楽」は帝王学として必須教養だったようです。
「礼」は少ないパワーで大きなものを得るということです。
神に捧げ物をすることで戦に勝たせてもらったり、国を栄えさせたり、、、神々のパワーを借りる術としては必須なものでした。

「楽」はその名の通り音楽です。
神々を楽しませる役割ですね。今で言うお祭りも含まれるでしょう。

また、こちらは人間にも効果がありますね。一度に大量の人のパワーを増すことができます。音楽のパワーが現在では考えられないほどに強力だったようです。
現に秦の始皇帝により「六教」から消されてしまい今日は残っていません。(五経となった。俗に言う四書五経)

「御」と「射」

六教の3番目と4番目はセットです。
「御」とは厳密には馬の制御です。
馬という人からしたら異物をコントロールする術を学ぶことで「超越するもの」に繋がる力を養うということです。

そしてセットになるのが「射」です。
こちらは弓道です。下記で詳しく述べます。

「書」と「数」

六教最後は「書」と「数」です。
こちらはぱっと見だと読み書き計算と現在の国語算数にように思いますがそういうわけではありません。
この「数」はおそらくカバラ数秘術に近いものだと安田先生も述べています。
「書」も名書と呼ばれるものを臨書することでパワーをもらうもののようです。臨書は先に書いた人がいるので「過去」とのつながりを意識する項目でもあります。

「射」

肉体との対話

ここからは本日のメインテーマの「射」です。
弓道において、的は襲ってきません。つまり時間はいくらでも掛けられます。
その中で呼吸を感じ身体の緊張や強ばりなどの力みを感じます。

それが「射」です。
これのどこが「超越するもの」と繋がるのか?ということです。

精神と肉体

私が思うに、人の精神からすると「肉体」は「超越するもの」であるということだと思います。
よく人が亡くなった際も「魂」と「肉体」は別で考え、肉体は死んだけど魂は生きていると考えるのと同じ感覚だと思います。

では、肉体を俯瞰で見てコントロールできるようになれば「射」は終わりなのか?と思ったらそういうわけでもないのです。

ここは私の体験です。

父の墓参りに行った際のことでした。
そもそも六教を学ぼうと思ったきっかけが亡き父と会話がしたかったからです。
「射」は肉体との対話だけではなかったのです。
「自身」との対話も含まれてました。

「射」=感謝だったのです。

謝は「言」と「射」でできています。「射」は矢を放つことであり、その結果、弓の緊張が解けることを意味するのですね。言葉に出すことにより、心の緊張が解けること。ということは、「感謝」とは、物事に接して、深く心が動いたことに対して、言葉を射る=発するということです。

田巻華月HPより引用

感とは心を動かすことだそうです。よくフィーリングとか五感を研ぎ澄ますとか言いますね。あれも心が動いているようです。
そして射は上述の通りです。

現代人は多忙で感謝を忘れています。
多忙だと忙(心が亡くなる)⇨五感が働かない⇨心が動かない⇨感動しない⇨感謝しないという「不感症スパイラル」に陥ります。

元来、自身の身体との対話でもある「射」はメンタル面置いても非常に重要です。

「空間」「未来」との対話

私はまだ弓道をしたことがありません。
その中で自転車を使ったりしながら、肉体との対話を突き詰めました。その結果、肉体だけではなく精神とも対話することで「超越するもの」に繋がるという体験をしました。
一種の答えに辿りついたわけです。
孔子すげぇ〜、肉体との対話とか言いながら「感謝」を隠すなんて〜と思ってました。

しかし、孔子の本領発揮はここからです。
弓道には自身と的があります。そして自身と的は離れています。
つまり「空間」のギャップが存在するわけです。
かつ弓を発射してから届くまでの「時間」のギャップも存在します。

そうです。「空間」と「時間」のコントロールも「射」の構成要素だったのです。
孔子恐るべし。

今風に言えば、「結果から逆算する」とか「未来から見る」と行ったところでしょうか。
この辺りはビジネスにも通じるところがあります。

自らを俯瞰しつつ、精神状態と肉体の確認、そして空間と時間のコントロール

今、私たちが一番やりやすいであろう「射」でもこの凄さです!
孔子すごい!
まずは身体の感覚を研ぎ澄ませることからだけでもやってみませんか?
精神にいい影響でますよ。

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