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あの夜に買ったクッキー&クリームを私は甘くて飲めなかった


ぱちん、となにかが弾ける音がした。

気が付くと私は、夜の八時にひとりで散歩に出掛けていた。

いや、気が付いたらだなんてそれは嘘だ。布団のなかでうんうんと唸りながら考えて、衝動を抑えようとして、でもだめだった。いつもなら大丈夫なのに。子育てを始めて十年ほど経ち、家族になにも言わずに家を出たのは始めてのことだった。旦那にはあとから『散歩に行ってくる』とだけメッセージを送った。

11月の半ば、とても寒い。でも、ここから逃げたいという気持ちの表れかのように前に進む足は止まらなかった。

行き先も決めずに歩いていた。近所のコンビニに寄って普段なら飲まないカフェオレを買おうとしたところ、期間限定のクッキー&クリームとやらがあったのでそれにした。私は期間限定という言葉にとても弱いのだ。それだけでも陳列棚の前を行ったり来たりして、本当に飲み物を買うのかどうか悩んでいた。ただでさえ無言で家を出たのに、という罪悪感が私をそうさせた。でも、買った。すると、なんだか少しだけ自由になれたような気がした。


寒いのに冷たい飲み物を買って、外に出た。

ストローを刺して、一口飲む。それは舌が溶けそうなぐらいに甘くて、特別甘いものが好きではない私はこれは失敗したな...と思った。でも、なんだかそれも楽しかった。久しぶりに味わう解放感でそう感じたのかもしれない。クッキー&クリームを片手に、ふわふわとした気持ちのまま、ただひたすらに暗い歩道を歩いていた。


周りが見えなくなってしまうぐらいに余裕が無いときがある。四人の子育てをして発達障害である息子のフォローもあり、少しだけど仕事もして、家事や学校役員、そして子供達の習い事の役員まで。すべて一人でこなせるほど私は器用では無いし体もメンタルも強くは無い。もともと広くないキャパをどうにか両手でぎゅーと伸ばして広げて、わずかに空間が出来たそこにたくさんのタスクを詰め込む。そうするとあれやこれやと一日が終わってしまう。自分の時間などじゅうぶんに持てず、また明日のことを考えなければならない生活だ。こんな毎日でも良いなって思うときもある。でも同じぐらいに、いつまでこの日々が続くんだろうと思うこともある。

母親として当たり前だと言われたらそれまでだけれど、"当たり前だ"という言葉で簡単に済まさないで欲しい。世の中の母親はこれを年中無休、そして無給でやっているのだ。会社でそんなことをすれば労働基準法違反だとなんだと社会は騒ぐくせに、"母親"になると当たり前のように扱われるのは何故だろう。いつも疑問だし、虚しいとさえ思ってしまう。この社会は母親に対して厳しい反面無関心なのに、面倒事は押し付けてくる。それこそ、当たり前のように。

旦那はよく協力してくれる人だ。休日になれば子供達を連れてどこか出掛けてくれるし、平日も必要であれば休みを取ってくれる。文句のつけどころがない人だと思うし、文句など言ったらバチが当たりそうだ。でも、そうじゃない。だって、旦那には安定した仕事があって収入もあって社会的立場もある。ひとりでお風呂にも入れるし、私が子供達の寝かし付けをしているときにはもう自由時間だ。収入があるから自分で好きな物を買えるし、何かを買うときに人から許可が必要なこともない。

羨ましい、と思う。私には持っていないものすべてを持っているように見えて、とても羨ましくそして腹立たしいとさえ感じてしまう。でも、旦那のことが嫌いになったわけではないんだ。勝手なことを言っているようだけれど、この腹立たしさと愛情は私のなかで共存するのだ。不思議なくらいに。


歩いている途中でいつも末っ子を連れて遊びに来る公園に着いた。入口のすぐ近くに木のベンチがあるからそこに座る。さきほどコンビニで買ったクッキー&クリームをまた飲んでみたけれど、やっぱり甘くて飲めなかった。

もう時間は夜九時近くになっていた。持ってきていたイヤホンを耳にかけて、夜空を見上げた。星がとても綺麗に瞬いている。しん、とした冬の冷たい空気が心地よい。こうやって夜空を見上げるのもいつぶりだったろう。

夜空の星を見上げて、たまに私の目の前を通る公園内をランニングしている男性にちらりと視線を移しながらたくさんのことを考えた。

私はどうしたいんだろう。なにがしたいんだろう。

私はもっとしっかり働きたい。旦那に寄りかかってばかりじゃなくて、ちゃんと自立したい。自分で好きなように買い物をしたい。でも、それが出来ないこの現状が苦しかった。

私はひとりの時間が欲しかった。子供のことを気にせず、ただただ自分のためだけに時間を使いたい。でも、それが難しいから、こんなにも息苦しい。


気が済むまで考えて、解決したわけじゃないけど気が付けば少しだけ心が軽くなっていた。こんな時間にひとりで、飲めないクッキー&クリームを持って外にいるなんて子供を産んでから初めてのことだ。ただそれだけのことで心はこんなにも浮ついてしまう。また頑張れる、とさえ思う。ただ夜にコンビニで飲み物を買って散歩をしていただけなのに、それだけで心が満たされてしまうほど私は自由が欲しかったし、いっぱいいっぱいだった。

またしんどくなった日も、今日のことを思い出せばきっと乗り越えられる、とさえ思った。私にとってはそんな特別な夜だった。


この日の私のような夜を過ごしてきた母親たちはきっとたくさんいるだろう。いっぱいいっぱいで、ひとりになりたくて、息苦しくてじたばたともがいている。
家族が嫌いになったわけじゃない。子育てが嫌になったわけじゃない。大切だからこそ苦しいんだってことをもっと知ってもらえたらいいなと思う。
そして、もっとこの社会を変えなければ。社会全体で子育てが出来るように。母親がもっと自分らしく生きられるように。そんな社会はきっと母親だけじゃなくて、誰にでも優しい社会であるんじゃないかなって私は思う。
だから、私はこの文章を書いている。なによりも自分のために。私が書いて伝わるものがあるって信じているのだ。


あのクッキー&クリームは甘くて飲めなかったから結局、家の冷蔵庫に入れた。次の日には無くなっていたから、きっと家族の誰かが飲んだのだろう。

甘くて飲めなかったクッキー&クリーム。でも、あのときの私が選んだ些細だけど、大きな自由であったあの味を私は忘れない。

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