【ショートショート】亡者
「ええこと教えたろか。お盆になると、亡者が帰って来るんやで」
「モージャって?」
「死んだ人間のことや」
「死んだ人間がかえってくるの?」
「そうやで。お盆には、あの世とこの世をつなぐ道が開かれるんや。亡者はそこを通って、死んだ場所に帰ってくるんや」
「帰ってきて、どうするの?」
「悪さをするんや」
「悪さって?」
「例えば、生きてる人間を道連れにしようとしたり……」
「道連れ……?」
「そう。道連れや。せやからな、お盆に、海へは絶対に近づいたらあかんのや。もしも近寄ったら、亡者に足引っ張られて、海に引きずり込まれてしまうで……」
小さい頃、近所に変わり者と評判のおじさんがいた。だらしなくぶよぶよに太ったその人はゴミ屋敷に住んでいた。真冬でもTシャツ一枚で外をうろつき、いつも気が触れたような笑みを浮かべていた。
目に付いた子供を捕まえては不気味な話を聞かせて怖がらせたり、突然大声を出して驚かせたり、人の嫌がることをして大喜びする人だった。
親からはその家に近寄るなと言われていた。学校でもその奇行はたびたび問題になった。何度か警察に連れて行かれる場面に出くわしたこともあった。
でも、いつの間にか姿を見かけることはなくなっていた。
刑務所に入れられたんだとか、入院させられたんだとか、はたまた交通事故に遭ったんだとか、色んな噂が流れたが、結局真相はわからないままだった。
いつしかあの家も取り壊され、その記憶も曖昧になってきたと言うのに、僕は海を見るたびあの日聞かされた話を思い出してしまう。それほど子供心に与えた影響は大きかったと言うことだろう。だから知らず知らずのうちに、お盆には海に近づかないようになっていた。
それなのに海に来てしまった。それもお盆の中日に。
みんなが行くと言うからどうしようもなかった。お盆に海へ近づいてはだめだと子供のころに近所の変わり者のおじさんから言われたので嫌だ、なんてことは口が裂けても言えない。
今思えば、それは恐らく昔の大人たちが作った、夏休みの子供たちを水の事故から守るための迷信めいた話だろう。それをあの人が面白おかしく脚色し、僕らに話したにすぎないのだ。頭ではそうとわかっているけれど、幼いころに刷り込まれた話はなぜか気にかかる。
「おーい」
先に行っていた友達の一人が慌てた顔で戻ってきた。
「昨日さ、この近くで海水浴客が行方不明になったんだって」
再びあのおじさんの顔が頭に浮かんだ。
「溺れたのか?」
「その辺に沈んでるんじゃないのか」
「おいおい、足掴まれたりしねえか?」
冗談交じりでみんなは口々に言うが、僕は笑えない。引きずり込まれたんだ。亡者に。あの人の話が頭の中でぐるぐると回る。
そんなことは少しも気にかけない友人たちは、歓声をあげながら駆け出し、一人また一人と海へ飛び込んでいった。
こうなったらしょうがない。僕も行かなければ。付き合いの悪い奴だと思われたくない。ちょっとひと泳ぎしてすぐに浜に戻ろう。今日は肌を焼くことに専念するとか言えばなんとかなるだろう。そんなことを考えながら海にダイブした。ひんやりとした水が肌にまとわりつく。
「なんだよ、ビビらせるなよ」
唐突に誰かの声。どうやら友達の一人が、水中から仲間の足を引っ張ったようだ。僕がされていたらパニックになっているところだ。
ん?
何かが足に触れた。海藻かと思ったその瞬間、むんずと足首を掴まれた。
おいおい。続けてやるなんてバレバレだぞ。そう思いながら水に顔を浸けた。
ぶよぶよとした手が見えた。それが僕の足首をしっかりと握っている。
「忘れたんかー?」
水中にも係わらず、どこからともなく聞き覚えのある声が耳に届いた。
「言うたはずやろ。お盆には、海に近づいたらあかん……て」
見覚えのあるおじさんが、うれしそうな笑みをうかべていた。その人は僕の足を掴んだまま、ぐんぐん深みへと沈んでいった。
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