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貧乏神と福神

貧乏神は、金運を下げたり、家に不幸を招く厄介な神様として嫌われていますが、なぜこのような神様が存在しているのでしょうか。

最近、ある探究者がだしてきた面白いエッセンス<霊的借金>と、前回の記事【古事記と映画【 DESTINY 鎌倉ものがたり】】とを絡めてスピリチュアル的に考えると面白いことが見えてきました。

霊的借金とは劫と業であるカルマや先祖代々の悪業
・個人の前世の悪業
・現世の悪業とこれらに相応する霊障の憑依のことです

ハイル禅師語録

しかも

現世の内で必ず「清算」が必要な借金です

ハイル禅師語録

見えないところで借金があるとは驚きの話しですが、人間は神様ではないので、いつどこで悪業をしているかわかりません。

 しかも、自らの行いは、自らに返ってくると言います。

だから清算しなければならないのは当たり前なのです。

この霊的借金の清算のときに出てくるのが貧乏神という存在です。

貧乏神が取り憑くということは、お金が失くなっていくとか厄(わざわい)などで苦労や嫌な想いをするという未来が想像できます。

そんな想いをしたくないと思ったり、感じたりするのは当たり前だと思います。

わたしもイヤですからね(笑

でもそれが霊的借金を返済していると考えるとどうでしょう。

貧乏神が取り憑くということは、霊的借金が返済できるというありがたいことに変わるのではないでしょうか。

映画【DESTINY 鎌倉ものがたり】のなかでは、貧乏神に取り憑かれた人は殺されてしまいます。

ということは、その人が持っていた霊的借金の額を返済するには、その人の命までが必要だったということと思います。

借金返済して死んでしまうことを考えると、それでいいのか?

となりますが、来世への霊的借金の持ち越しを少なくしてくれると考えればありがたい話しです、

我々は、ただ単に人間として生きているだけの存在ではありません。

本当は霊的な存在であり、魂の乗り物として肉体を持ち、日常の経験のなかで自らを成長させています。

今世は、男として生まれていても、前世では女だったかもしれません。

今世は、神父として働いているかもしれませんが、前世は何かしらの犯罪を犯しているのかもしれません。

前世の償いとして今世は神父を選んでいるのかもしれません。

なので生まれながらにして霊的借金を背負っていてもおかしくありません。

この霊的借金を何世代にも渡って放置しておくとどうなるでしょうか。

いずれ破綻するのは火を見るより明らかです。

しかも、借りたものは返す。

当たり前のことなのに、それを放置するのは法則に則ってません。

則ってませんから、法則に則るようにさせられることになります。

これも法則です。

それでも抗って借金を放置し続けたときの行き先は地獄以外ありません。

地獄でしんどい目をして借金を返済することになるのです。

貧乏神とは、その人のできる範囲で借金を返済させ、地獄行きを阻止している神様なのではないでしょうか。

霊的借金を返済するように促してくれる貧乏神は貧乏神ではなく、福神なのだと思えてきます。

その上で忘れてはならないのは、貧乏神であろうと福神であろうと神様は神様なのです。

貧乏神も神様だということを忘れてはいけません。

神を敬い、神の成そうとすることに追随するのが幸せの第一歩

例えそれが貧乏神だとしてもです。

福神なんですけどね(笑

だから抵抗するほどしんどいのです。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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