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220DAY -リベラルアーツ「ウパデーシャ・サーハスリー」について-

 久々にリベラルアーツについての記事を書くので、リベラルアーツについて説明しようと思う。V-netが主催するリベラルアーツは、海外の宗教経典的古典を読むことでその思想を理解し、それらを踏まえたグローバルな視点を会得する試みである。古今東西、全世界の書物に書かれた思想に触れ、読み解くことで、現代における価値観は歴史の過程でどうやって成ったのか、その意味や考えは何か、それらを知り、自分自身の中での多角的かつグローバルな結論を生み出す。それがリベラルアーツだ。

 これらを踏まえ、今日はインド史上最大の哲学者と称された、シャンカラ(700〜750)が書いた、「ウパデーシャ・サーハスリー」という教説集を紹介する。

 「ウパデーシャ・サーハスリー」とは、「千(たくさん)の詩節からなる教説」という意味で、その字の如く、たくさんの詩節からなる。この書物を書いたシャンカラは、主にインドで信仰されるヒンドゥー教の歴史上に置いて最高の哲学者と言われており、インド哲学の主流である「ヴェーダーンタ学派」の中の不二一元論派の創始者だ。

 そんなシャンカラの教えは、インド哲学や仏教などの思想と同じく「輪廻転生からの解脱、脱却」が基本であり、その方法は、宇宙における根本原理である「ブラフマン」の知識を得ることであると彼は説く。そもそも「輪廻転生」とは、命あるものは死んでは生まれ変わり、それをいつまでも繰り返すという一種の死生観であり、インドを含め東アジア全体の思想は、大方がこの「輪廻転生」からの脱却が目的である。

 そしてシャンカラが説く輪廻転生からの脱却方法が、「ブラフマン」の知識を得ることであるらしい。もっと詳しく言えば、人間には全てその内に、自己の本体「アートマン」という存在があり、その「アートマン」が宇宙の根本原理「ブラフマン」と同じであるという真理を理解することが脱却の道であるとシャンカラは説く。

 実はシャンカラが説くこれらの教えは、彼自身の独創的な思想ではない。何世紀にも及ぶ数多くのインド哲学者が試作してきたことを彼がまとめただけに過ぎず、彼の思想の元を辿れば、現在より2500年も前の思想にまで遡ることができる。

 そして当然、この「ブラフマン」との同一化を図るというシャンカラ含めインド哲学の教えは、実際に理解しようとしてもなかなか難しいところがある。そもそも「ブラフマン」は、インド哲学において、不死、唯一無二、不老不変、完全無欠な存在である。そんな存在と、いつかは死に、葛藤や興奮などあらゆる感情が詰まっている欠点だらけの人間が、同じでありうることはできるのか。

 そこでシャンカラは生涯を、このインド哲学の長い歴史から生み出された難解かつ広大な思想を、いかにしてわかりやすく後世の人々に教えるかに費やした。ここがシャンカラを偉大たらしめている点であり、現代まで語り継がれている理由である。もしシャンカラがいなければ、この難解なインド哲学は、一般的に誰にも理解されないまま日の光を浴びることはなかった。インド哲学を中心とした諸思想の総合的な体系化。これが彼の業績である。

 例えば上述のように、「ブラフマン」と同一化という考えをなかなか理解できないのは、自分自身、つまり「アートマン」を理解できていないからだ、本来の自分とは何か、「アートマン」とは何か、それを考えさせることで、教えを理解させる。そうしたようにシャンカラは、インド哲学の理解に尽力を尽くしたのである。

 とここまで書いてきたんですが、実際のところこの思想、突拍子すぎますよね。「ブラフマン」とか「アートマン」とか(輪廻転生はまあわかるとして)なんだそれ漫画の名前ですか?自分は最初この書物読んだ時そう思いました。

 ただトマス・アクィナスがキリスト教を体系化したように、あらゆる考えを一般化して体系にするという彼の努力は、逆に考えればいかにこの思想が洗練されたものかを暗示していると思います。もしそこにある文章や教えに純粋に矛盾や間違いがあるのなら、こうして体系化することはできないだろうし、わかりやすくすることなどできない。だからこそ、この一見するとヤバそうな考えも、非常に深い教えであることが理解できると思います。

 「悟る」とは何か。生きることの苦しみとは何か。この「ウパデーシャ・サーハスリー」の概念的な文章を現代と照らし合わせて考えることでその意味が理解できるはずです。

 最後に「ウパデーシャ・サーハスリー」の中の一節を載せる。

 「一切に偏在し、一切万有であり、一切の存在物の心臓のうちに宿り、一切の認識の対象を超越している。この一切を知る純粋精神(アートマン)に敬礼する。」 

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