家族という欠かし難いものと幸せと
あんたは家族の期待ってやつについて考えることがあったりするかい?
オッサンの立ち位置的には子どもに対する期待ってやつと、自分の親からの期待ってやつとその双方を感じられるわけだけれども、両方を感じた上で初めて自分がガキンチョの頃にかけられていた期待ってものを実感出来るってのがあるよな。
この要素って、結構な作品で表現されている。そう思って考えてみると、実に複雑な形で描かれていたりするんだよな。
今回は宇宙戦艦ヤマトを題材に家族という存在と自分の幸せって状態について考えてみる回だ。
まあ、オッサンのいつもの戯言に付き合ってくれよな。
古代進の家族
家族ってキーワードで見たときに旧作とリメイク版の古代進は結構な違いが見て取れる。
家族をガミラスに奪われたところまでは同じなんだけれども、それに対抗するために行動の結果が真逆なんだよな。
旧作では家族を奪ったガミラスに対して虐殺とも言える殲滅戦を行うことで、ガミラスの「家族」を奪ってしまい、そのことに対する悔悟を語るという流れになっている。
それに対して、リメイク版ではガミラスの「家族」を救う形でイスカンダルへとたどり着いている。
つまりリメイクでは古代進は誰かの家族を奪うということを明確に意識した表現がなされてないんだよな。
もちろん、ヤマトによって倒されたすごい数のガミラス人にも家族はいたはずなので、その意味ではキッチリ家族を奪っているんだけれども、それに対する後悔って表現は含まれていないと思うんだ。
なぜか?
誰かの家族を奪う覚悟を失ってしまったら、それはもはや国を守る軍人であることが出来ないからだよな。
自分たちの家族を守るために誰かの家族を奪う。
それが軍人という悲しい存在なわけだしね。
軍人古代進にとっての家族
ところが、古代進というキャラクターを眺めてみると、その「守るべき家族」がいないんだよな。
物語が進む中で森雪という家族を得るわけだけれども、古代守が冥王星戦で「戦死」したことを聞いてから森雪という守るべき存在を手に入れるまで、古代進には直接の関係性で守りたいヒトってのがいない状態での戦いを続けていたことになる。
何が古代進に軍人であることを続けさせていたんだろう?
おそらくは「家族を奪ったものへの復讐」という実にネガティブな感情が原因だと思うんだ。
遊星爆弾により家族や親戚を含む一族を奪われ、冥王星戦では唯一無二の家族だった兄を奪われ、2202では数え切れないほどの仲間を奪われる。
古代進の人生は略奪され続けている人生だとも言える。
この略奪が因果応報だというのなら、古代進は一体何をしたというのか。
行動を起こさなかった因果
ぶっちゃけ、古代進というキャラクターはガミラス戦役より前にはほぼ「なにもやってない」んだよな。
もちろん子どもだったんだからそれが自然なわけなんだけれども、因果応報という言葉に照らしてみてみると、この「何もしなかった」ことくらいしか古代進が受けた仕打ちを説明できない。
でもさ、これって数多くの物語の主人公たち全員に言えることだし、なんなら現実に暮らしている俺たち自身にも言えることだ。
俺たちが日々、何かしらに苦労しているのも、因果応報だとするならば、俺たちはそんなに悪事に手を染めてきたなんてことはレアだと思うんだ。
そりゃ、多少の悪さはあったかもしれないよ?
それでも、これから先に「何が起こるかわからない不安」にさいなまれるほどの悪事を俺たちはしてきたのかね?
ってか、そもそも俺たちは「何もしてない」状態で生まれるわけだから、それを因果応報だって言われちゃうと、どうすれば良いんじゃいって話になるじゃんか。
それを言ったら「生まれてすみません」って人間失格ルートにハマっちまう。
だとすれば考え方を逆にしたほうが良さそうだ。
つまり「逆境は超える快感を与えてくれる」って感覚だ。
多くのピンチに見舞われる主人公たちと同じ様に、俺たちも数多くのピンチに見舞われている。
そのピンチを「不幸」と捉えるか「ハードル」と捉えるかによって生きる楽しみってのが違ってくるような気がするもんな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの周りにある現実や物語の中にあるピンチは俺たちに最高の娯楽を与えてくれていると思えるかい?
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