見出し画像

【解説】F・W・ベインの印度物語 ~日輪の堕落~

註(「日輪の堕落」序章)

こちらのnote記事では、次のリンクで和訳を発表した「日輪の堕落」の序章の註を掲載しています。

※〔〕内の註は、和訳者による追加注釈。

(1)ガネーシャの鼻が通例、朱色で塗りたくられているため。もう一方の神は、言わずもがなシヴァのことである。〔英訳者を自称するベインは、こうした「神への祈り」の文について、「サンスクリットの語り手は皆、このような祝福の前書きを必須のものと見なしている」とA Digit of the Moon(拙訳『月輪の指』)で解説している。〕

(2)「蓮を愛する者」の意。つまり、日輪のこと。ミトラは日輪の有する複数の名の一つでもある。(Kamの箇所はdrumと韻を踏むように発音せよ。)

(3)要するにシヴァのこと。ウマー〔パールヴァティー〕はシヴァの妻神である。 

(4)これはヒンドゥーの民がする一種の言い方である。この山を陳腐なものと表現することは禁じられている。

(5)〔サンスクリット語で〕ニーラ(nila)と言う。この色はこの物語の基調であるため、ニーラの色がヒンドゥーの文学において月輪の紋章をまとった神〔シヴァのこと〕、孔雀、蓮と基本的に関係を持つ、黒色寄りの紺碧の青だということが理解されるべきである。

(6)『マハーバーラタ』の登場人物。

(7)〔サンスクリット語で〕ディガンバラ(digambara)と言う〔ジャイナ教の宗派名だが、「空を着た」という意味で、意訳で「空衣」とも言われる〕。

(8)「献身的な妻」の意。しかし、この語には別に専門的な哲学における重要性がある。前世における罪の意識に駆られて魂にしがみつき、別の肉体での贖罪の必要性を生じさせる悪を暗示している。

(9)〔サンスクリット語で〕クワラヤマヤムジャガト(Kuwalayamayamjagat)と言う。バルトリハリ〔五世紀ごろに活躍したインドの詩人〕は、「私が若かった頃、全世界が女性ナーリマヤム(nárimayam)で成り立っているようだった」と詠んでいる。

(10)死をつかさどる神のこと。パーシャ(pásha)が象徴である。

(11) 愛をつかさどる神。弓を武器としている。

(12)ここには「ボガ(bhoga)」という訳せない言葉のしゃれがある。この語には、蛇のとぐろという意もあれば、喜びという意もある。

(13)シヴァの恋情をあおろうと躍起になっていた、愛をつかさどる神〔カウダルパのこと。カーマデーヴァの名称が有名〕がシヴァの第三の目から発された一瞥の炎によって殺されたという言い伝えを暗示している。愛をつかさどる神の聖なる炎が自らの力を超える強大な存在に遭遇したのは、この際だけだった。

(14)聖大アントニオス〔古代エジプトに生まれたキリスト教の聖人。修道士生活を初めて遂げた人物とされる〕の伝説はまさに、こうした精霊(ニンフ)の物語を西洋が模倣したものだ。この精霊たちは、積み重ねてきた苦行が巨大かつ危険になりつつある賢者の徳を台無しにすべく、嫉妬に駆られた神々に利用される。サタンのように、またサタンがそのような行いに出るよりずいぶん前に、神々は釣り針に美麗な女性という餌をつけた。

(15)『ラーマーヤナ』第一巻を参照。

(16)「罪を滅ぼす者」という意。

(17)人間の頭を斬られて、代わりに羊の頭を付けられた神。

(18)天文学に関連した比喩表現。星宿ナクシャトラの九番目、また十番目の宮。

(19)彼らは人間ではなく半神であった。それでも、人間であるという点を除いて、化身の考えを示すことはできない。

(20)「沈黙の者」という意。それは、カーリダーサとバルトリハリが語るところによれば、愚者にとっても、賢者にとっても根本的な倫理である。

(21)〔サンスクリット語で〕シュシュカマーシェーシャー(Suskamásheshá)と言う。夜明けの新月の細い筋模様を言い表す言葉で、その美しさを除いた、その新月の全てが消え失せたことを意味する。要するに、美以外に何も無いのである〔この註の締めくくりに、ベインはラテン語のvenustas, et prœterea nihil!というフレーズを用いている〕。

(22)前世のことは忘れ去られるのが常であるため。この物語の続きを参照せよ。

(23)神々と高位にある苦行者のこの力は頻繁に暗示されるように、ヨーガ次第である。つまり、熱心な精神集中次第である。これが、パタンジャリ〔ヨーガの重要文献である『ヨーガ・スートラ』を編纂したとされる人物〕の極意である。結局、そのなかに、真理の核心が存在するのである。

(24)シヴァには、時間という別名がある。

(25)『マヌ法典』(1.80.)によると、創造されたあらゆる存在はこの神の娯楽である〔この項目の内容は、「世界の創造および破壊であるマヌヴァンタラは数え切れないほど成し遂げられた。いわば娯楽であり、宇宙の根理であるブラフマンがこれを何度も繰り返している」というものである〕。



「日輪の堕落」は、イギリスに生まれてインドで大学教授になったF・W・ベインによってインド神話の「翻訳」と称されて発表された複数の中編小説の一つです。細かく言うと、全13作から成る「F・W・ベインの印度物語」シリーズのうち、2作目にあたるのがこのたび序章だけ翻訳した「日輪の堕落」になります。

「翻訳者」を自称したミステリアスな人物のF・W・ベインについては、以下の記事でまとめております。よろしければ、こちらもご覧くださいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?