嫌われて好かれる 摂食障害への克服3

人と関わるということが本当に分からなかったのだと思う。
もちろん仲良くしてくれた子もいた。
だけどなんだろう、自分を一生懸命よく見せようとしたり、弱さを見せれなかったり、かっこつけたり
本当に本音でいたらてことなんて、あったのだろうか。

過食嘔吐症でも外に出ていた。
だけどいつも一人で。何もすることがない時は
遊ぶ相手もいなくて。食べるか、ひとりえっちしてるか、悶々と何かを考えてばかりいた。
たとえどこかに行ったとしても、誰かといても本当に楽しかったのだろうか?そんな毎日が何年も続いた。


人が怖かったんだと思う。
旅に出ても、何度か嫌われたことがあった。その度にショックで、何日もひきづって、また同じことが起こるのではないかと人と関わることが怖かった。
嘔吐の症状はほとんどしなくなっていたけど、こんなことがあると誰に気持ちを聞いてもらっていいのか、いや、気持ちを出せる相手がいるとも思わなかったし、一人でグルグルしているだけだった。
そんな時は嘔吐の欲求が来る。


その一方で、一緒に時間を楽しく共有できる仲間との出会いを経験しはじめる。やはり最初は怖いのだが、受け入れてくれる人がたくさんいる事に気づいていく。
私が辛い時、そうなった自分を心配し叱ってきたりする友達もいた。正直何も知らないでそんなこと言わないでよ、とも思った時もあった。
そういう時やはり、人なんて誰も私のことを分かってくれない!だけどそれでも相変わらず友達でいてくれる。
その時だけの人たちもいたけど、それでも私と時間を共有してくれ、否定的な言葉など一切かけてこない。

愛や人生に彩りを与えてくれる仲間と過ごしながらも、やはりいつもどこか自分を出すことは怖かったかもしれない。
怖々でも、気の合う人たちからゆっくり近づいて、ゆっくりと自分を語り、ダメだと思っていた自分を受け入れてもらうことを繰り返しながら、本当の自分を知っていった。

摂食障害の一番の原因は何だろう
いろんな要因が人それぞれあるけど

私は自己否定だと思った。
ありのままの自分を安心して受け入れられてこなかった。
だから父が望むような「私」としていたと思う。

だから不登校になった私を父は受け入れられなかった。
家にばかりこもっている私を父は受け入れられなかった。
そんなイライラを当たられてとてもキツかったのは今でも覚えている。

安心感がないとやはり人間の心理はきついのだ。
ストレス社会と言われている今、本当に何が一番の幸せというのだろう。
私はシンプルさだと思っている。
あれこれ考えないで、素でいられる、それを受け入れてくれる人間関係を育めることなのかな。


今の自分の自己肯定感がどうかと言ったら、ある。出来たというよりは、人の思念を受け取り過ぎてしまい、自分がわからなかった、そんな感じだろうか。
どんな自分でいてもOK出せたら、周りの反応も気にならなくなる。
私はどんな時でも、自分でいていいのだから。

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