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想像力という名の武器

「おに」の語は「おぬ(隠)」が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味する、との一説が古くからある。
Wikipediaより一部抜粋

全ての動物が持つ、生存本能というもの。

人は本能的に、命の危険となり得そうなものを避ける。それか、その対象を攻撃して目の前から消し去ろうとする。それは自分の命を守るための本能だ。
だから人は常に、危険を察知して、それに対して対処しようとする。そうすることで安心を得る。

もし、原因不明の体調不良が続いて、どの病院のどの科にかかっても「原因がわかりません」と言われ続けたらどうだろうか?
それは、とてつもないストレスなのである。原因がわからなければ対処のしようがない。対処できなければ、自分はこのまま死んでしまうかもしれない。
そんな風な耐えがたい大きなストレスを抱え続けたなら、きっとそれが何であれ、病名を宣告されたらホッとするはずだ。

そう、人は「わからない」事象に対してとてつもない不安を抱える。
何がなんでも理由が欲しい。原因が欲しい。そして何かしら対処をして、安心したい。それの対処方法が正しいかどうかの問題ではない。「対処さえすれば」安心が訪れる。


暗闇の中で前も後ろもわからず彷徨うより、どんなにそれが恐ろしい生き物だろうと、目の前に姿形のある「鬼」が現れてくれた方が安心すると言える。
そうすれば、とにかく目の前の「鬼」を退治することだけ考えればいい。
自分が戦うべき対象が何なのか、明確にわかることで人は強くなる(なれたような気がする)から。
それは逆に、自分の戦うべき対象が何なのかわからないと、人は弱くなる、ということ。
「わからない不安」という生存本能を脅かされる強いストレス。
名前の無い敵は最大のストレスなのだ。


だから人は鬼を作った。と、私は思う。


誰の心の中にも鬼は居るのではないか?
目に見えない、確証の持てない不安に無理矢理名前をつけてみたり理由をこじつけてみたり。

そのような触れることのできない、目に見えないもの。
でもそこに確かにあるもの。

そういうものを感じ取るためには想像力が必要だ。

想像ができないとどうなるのだろう。

例えば。男女関係においてあなたが相手を疑う理由は何だろうか?
浮気してるんじゃないか、裏切られているんじゃないか、利用されてるんじゃないか、遊びか?本気か?

不安だから答えが欲しくて相手に問う。
でも「気持ち」なんてものは目には見えない。そもそも確かめようがないのだ。だから鬼を作ってしまう。

鬼を作ることは簡単だから。作ってしまえば後は退治すればいい。
泣き叫んで逃げてもいい。大袈裟に泣き叫べば誰かが助けに来てくれるかもしれない。
「ココに鬼がいる!」と認識して、それを消し去るために対処しようとすることが優先される。
生存本能だから、これらは無意識に行われる。

もちろん理性というものも持ち合わせているので、人は、無意識のうちに脳内で理性と本能がせめぎあいながら行動を起こしているわけで、端的に例えれば、それが相手のスマホを勝手に盗み見る行動になったり、ならなかったりするわけで。

早く姿形の見えない不安を明確化したくて、鬼を探す行動をとる。
男女間の問題で例えてみたが、マクロ的にはこれらの不安が、例えば生活の不安が新興宗教にハマってしまう心理を作り出したり、ネットでの集団リンチ、スケープゴート・魔女狩りの心理を作り出してるのではないかと考える。

このような姿形の見えないものを
「とにかく悪い何か、即ち攻撃対象」
とすることなく、

ありのまま
「これは姿形の見えない、自分の心が作り出した不安である」
と認識できる人間がどれくらいいるのだろうか?

あなたがもし何かを激しく攻撃したくなった時、それはイコール防衛本能であり、イコール生存本能であり、イコールそれがあなたを不安に陥らせている何か、となるのだろう。

じゃあどうしたらいい?

自分の抱えている弱さや不安

実はこれらを認識する想像力を携えた者のみが、本当の意味で「鬼のいない(不安の無い)」理想の世界へ行くことができると考えられるのではないか?

不安を軽くする方法は、不安の対象を攻撃することではない。もちろん見て見ぬ振りをしたり、逃げることでもない。
その不安を、目に見えない不確かな心のモヤモヤを、ただありのまま受け入れることなのだと思う。

鬼は鏡の中に居る。鬼はあなた自身だ。
あなた自身の弱さそのものだ。
「不安」という感情は人間が生物として生き延びるために必要不可欠な要素だが、それに支配されてはいけない。
暗闇を彷徨う時、目を瞑って耳を澄ませて、暗闇そのものを全身を包み込む毛布のように感じてしまえばいい。
暗闇に身を委ねて、寝そべってみればいい。

鬼「=恐怖心や不安」なんてものは、所詮遺伝子に組み込まれた生存本能に過ぎない。
人間には、その本能さえも凌駕できる「想像力」を与えられたのだから。

あなたも、暗闇を一緒に泳ごう。想像力という武器を携えて。
不確かなものを不確かなまま受け入れることができた時、

鏡の中のあなたは、ありのままのあなたでいられる。

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