見出し画像

【ダイヤモンドに本当の価値はない】

今日は『ダイヤモンドに本当の価値はない』
についてお伝えしていきます。

「ダイヤモンド」は
煌びやかで美しいと
認識している方にとっては
腹立たしい事かもしれません。

「ダイヤモンド」は
炭素だけからなる
最も硬い鉱物で
天然と合成から成ります。

※現在地球上で最も硬い物質は
 「ウルツァイト窒化ホウ素」で
 火山性の残留物から得られる物質です。

「モース硬度10」という
硬さを誇っています。

「モース硬度」とは物質を擦り合わせた時に
傷がつくかどうかを10段階で
評価した尺度のことです。


ダイヤモンドの意味は
大切な物を守り、厄災や困難を退ける。
身に着けた者は、不屈の精神を得られる。

石言葉は「永遠の絆・純粋無垢・純潔」です。

これらの事から男女が永遠の愛を誓い合って
夫婦になる証として身に着ける結婚指輪に
相応しい石だとされています。


しきたりが大好きな日本では
村八分社会的な風習もあり
冠婚葬祭をしなかったら
白い目で見られる雰囲気です。

中でも
「婚約指輪は給料の3カ月分」が
当然のごとく認識されています。

画像1


そもそも
「婚約指輪は給料の3カ月分」は
「デビアス社」の
マーケティング戦略です。

1970年代にデビアス社が
日本の婚約指輪市場をこじ開けて
広告メッセージとして
展開し始めました。


日本人の特性として
「儀式好き」

「贈り物好き」

「本物好き」

があり

ここに婚約指輪の
ビジネスチャンスがあると
踏んで参入しました。


企業のスローガンである
「A diamond is forever」

「ダイヤモンドは永遠の輝き」
という日本語のスローガンに
訳しました。


またダイヤモンドを
「愛の象徴」と位置づけ

「ダイヤモンドは愛の証」
というスローガンの
婚約キャンペーンを開始しました。


ところが
「婚約指輪はいくらのものを買ったら良いの分からない」
という素朴な質問が宝石店に寄せられ

デビアス社と代理店は
消費者に勧める価格の
ガイドラインを設定しました。

着目した背景が
当時新郎から新婦に渡される結納金の
全国平均が25歳男性の給料の
2~3カ月分だった事です。


そして最終的な決定打は
郷ひろみ氏の発言です。

婚約指輪の値段を聞かれた際
「給料の3カ月分です」
と答えたそうです。

芸能人のひょんなひと言から
おかしな常識として定着し
今日にまで至っています。


個人的には本物の価値を
見失った瞬間に
思えてならないです。

結婚に対する一般常識として
認識されている事自体
異様な光景です。


背景として
「周囲に対して見栄や体裁を保ちたい」

「結婚とはそのように決まっているから」

etc


真相は分からないですが
いずれにしても
「常識」と「他者との比較」を
気にしているに過ぎません。

ある意味
「常識病」

「常識中毒」

に見えます。


「常識」が大好きなのでしょう。

自分の中で勝手に決めつけた
固定観念であって、強引に
振りかざして強要する事に
疑問は抱かないのでしょうか。


「常識の無い人とはお付き合い出来ません」

「そんな非常識な考え方はおかしいです」

「何を言ってるのですか、常識に決まってますよ」

etc

これらのフレーズを見聞きする度に
怒りよりも虚しさを感じます。


武闘派時代の自分だったら
「常識、常識と唱えるあんたらこそ、頭おかしいぞ!」

「非常識上等!常識をぶっ壊してやるぞ!」

と啖呵切って暴れていたかもしれません。


炭素を磨きに磨いて硬くし
キラキラ輝かせる技術は
素晴らしい事です。

入手困難な素材ゆえに
希少性もあるのでしょう。


しかし、冷静に客観視すると
価値の無かったところに
価値をあれこれと付加して
感じているだけです。

「ダイヤモンド」が
悪いのではありません。


「お金」も全く同じです。

極論を言えば
紙切れにインクを付けて
印刷しているモノです。

価値を交換する際に
使われる手段の1つです。


最初は「物々交換」であり
紙幣の大元は貝殻です。

便宜上手間を省く上で
導入されたのであって
「お金」自体に価値は
全くありません。

人はインクの付いた紙切れに
妄信し興奮しています。


「高級外車」も同じです。

国内で移動手段として
使うのであれば
スポーツカーは
必要ないでしょう。

欧米の輸入車の構造は
日本の風土や気候状態と
合致していない事は
明らかです。


資産運用するという
カッコつけた
名目はありますが

実際の本音は
女性を乗せてモテたいか
周囲に自慢したいかの
どちらかです。


「セックス」⇒女性にモテてロマンティックに誘う

「ステータス」⇒他人に自分が優秀だと思わせたい

を顕示したいだけです。


もちろん人によって
価値の感じ方は
それぞれ異なります。

画像2

「お金」

「ダイヤモンド」

「高級外車」

「高級腕時計」

「高級ブランド品」

etc

好きになって
価値を感じるのは
個々の自由なので
構わないと思います。


問題は価値を
「常識」の一環として
「普遍化」して
押し付け合う事です。

「常識」を錦の御旗にして
自分の正義を強要する事が
昨今行われている状況です。


この世のあらゆるモノ・コトは
全て地球上の資源を
借りているだけです。

”人生とは地球からレンタルしている“
とも言えるでしょう。


いつの間にか
自分のモノ・コトだと捉え
勝手に価値を付けて
正当化しています。

人間の驕りかもしれません。


風の時代のキーワードとして
「知識」「情報」等が
挙げられていますが
これらも地球の一部です。

であれば地球上で生かされ
自由自在にモノ・コトを
使わさせてもらっている状況に
感謝と敬意を表すのが責務です。

本当の価値とは何かを
じっくりと見直す時期に
差し掛かっています。


偽りの価値に翻弄されず
自分の胸に手を当てて
誠実性を合致させて
精進して参ります。

今日も読んでくださって
ありがとうございます。


追伸
あなたが
認識している「価値」を
教えてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?