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ネガティブな時を受け入れた先の話し


ここ最近、

心で感じてるその感覚をもっと
感じたいと
思うようになりました。

例えば、

綺麗だと感じたり
楽しいと感じたり
美しいと感じたり…

でもそのきっかけは

真逆にある絶望や
生きているのも嫌になってしまう程の
重たい感覚でした。

でもそれらネガティブな感覚を避けたいから
ポジティブな感覚を感じたいという動機ではなく

この心は
移ろうものだから

この先もきっと
辛くなる感覚は訪れる

避けられないもの。


だから、今

美しいとか、綺麗とか、可愛いとか
美味しいとか、嬉しいとか
幸せだとか…

そう感じられるなら

そう感じることのできる瞬間に出会えたなら

全力で
感じ取ってみて欲しいのです。

だって、それらを感じられることは
当たり前じゃないから。


些細な感覚に耳を傾けて


ボリュームを上げて


目を閉じて


誰かにその感覚がどんなものか
伝えるつもりで

感じてみて欲しいんです。

そう感じられることは
本当に特別なことだから。


***



心を取り出して
見てみたい。

好きな音楽を聴けば
深く感動し余韻に浸り

綺麗な月を見れば、リラックスし
どこまでも開放的になる


心を取り出して
見てみたい。

仰向けに寝ても
胸の上に何か重しでも乗っているかのような
絶望を感じたり

未知の体験に恐れ、震えたり

誰かの言葉に傷付き、わなわなと怒り震えたりする


どちらも同じ一つが映し出す


この心を取り出して
見てみたい。


お前を見てみたい。

色んな世界を映し出す、お前を。

映し出された世界の方じゃなく
お前の方を。

それは、なんて可能性だろう。

私たちは
素晴らしいものを
持っているのかもしれない。

見るべきは
映し出された世界じゃなく

映してるこの心。

美しいという時

その目で見ている美しい何かばかりを
追いかけてしまう。

例えば、あの夕日や月や花や…

でも、美しいと言う時
美しいってどんな感じだろうと

心が感じてるその感覚を
もっと味わって。

それはどんな感じがするものだろう?

目を閉じて。

私に教えて。


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