僕は 僕だけは 奇跡的で致命的なマイノリティでいい
シュタゲゼロ、体調不良で一気見出来ず、1日1時間程度見てきたけど…
あー!
ラスト近くなると訪れる、驚愕の展開怒涛の伏線回収、蘇る厨二病、何もかもが尊い!
体調悪くて、予定外の病院に行くことになったり、ポイ活忙しいけれど、空いてる時間は見続けてしまった。
劇場版まで駆け抜けるように見て、本当に倒れ込んでしまう。アホだ。
まゆしいがラボで、岡りんが好きだと泣き叫ぶシーン、岡りんがシュタインズ・ゲートを目指してタイムリープを決めるシーン、2036年に行き、ルカ子がイケメンになって、そうして、3000回のタイムリープを決めるシーン、再び戻ってきて、ゼロで初めて鳳凰院凶真になるシーン!
アマデウスとの最後の会話、多分北と一緒なら泣いたな…
やはり、甘えられる相手がいないと、泣けないな。
北は、無印のトゥルーエンドが好きで、ゼロの暗さが苦手みたいだが、私は好きだ。
ゼロのラスト、語りすぎない、答えの有って無いようなあの終わり方、いいな。
肩透かしをくったような感じだが、この物語には、よく似合う。
24話のバレンタイン回も、何気ない日常パート見せて、あちこちに散りばめられた、悲しい、切ないエピソード。
ああ、こんなのを若い時、もっと感性が柔らかい時に見たら、どうなっていたのかな。
無茶苦茶、感情移入して、数年単位で落ち込んだりハマったり、名前を聞くだけで震えたりしたのかな。
14歳から22歳までの頃には、そんな作品はゴロゴロあったのだ。
それは、昔は優れた作品が多かった、今の作品は量産型、というわけではない。
私の経験が浅く、全てが新鮮で極めて残酷に感情を射抜き、生々しい傷跡を後から後から作り続けてくれたから。
本を、これまでの生涯ならきっと何万冊と読み、人としての経験を積み、ネットの雑多な情報に溺れてそれにさえ慣れ、私の感受性は萎縮していくばかりだ。
そんな、退屈だが、穏やかな人生の折り返し地点(もう後半でもいいのだがね)、こうして、まれに、私の根源に到達するような作品に出会えるのは、なんて素敵なんだろう。
もっと傷つきたい、もっと深まりたい、もっと笑いたい、もっと、もっと、もっと…!
媒体が、マンガだからアニメだからゲームだから下だ、なんてのは、どうだっていい、余計なお世話なのだ。
文学は飢えた子供を救えないが、優れた物語は、一時といえど、子供から飢えを忘れさせる事が出来ると中島梓は言ったけれど、まさに、そんな物語だった。
小説、エンターテイメント性の高い作品を読んで読書家を名乗るなとも言うが、そんな馬鹿げた定義を持ち出すのなら、そんな名前などいらない。
情報過多なこのご時世、自分にあった作品に出会えたことが奇跡だ。
さあ、次はなにを見る?なにを読む?
命短しエンタメ楽しめ、だな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?