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元ひきこもりが思う正しいひきこもりのススメ


ひきこもり状態を脱してから、8年経ちました。

途中1年以上無職になりながらも、4つの仕事を経験し、これまでに保育士と社会福祉士の資格を取得してきました。

しかし、現状としては一人暮らしできるほどの収入を得られず、30代半ばにして実家暮らしの状態です。

そこで、改めて自分のこれまでの生き方を振り返ってみました。

今回は、そんな中で気づいたことがあったので、それを書いていこうと思います。



そもそも、タイトルの“正しいひきこもりのススメ”とはなんぞや?と思われた方もいるかもしれません。

このタイトルをつけた理由は、ひきこもり状態から脱して8年経って国家資格も取ったのに未だに自立できていないのは、

正しくひきこもれなかったことが原因である


という結論に至ったからです。

ようするに、

ちゃんと・・・・ひきこもれなかったから、自分は今もどこかでひきこもりを引きずっている状態である

ということに、最近になって気づきました。



“ちゃんとひきこもる”という言葉には、2つの意味があります。

それは、

自分ときちんと向き合うということと、

親と自分の課題の分離を行うということです。

ちょっと長くなりますが、それぞれ説明していきます。




私はひきこもっていた当時、姪っ子たちと同居していました。

ひきこもり2年目にシングルマザーだった姉が亡くなり、母が姉の子どもたちを引き取ったからです。

そんな中で、ひきこもりなのに公園に連れて行ったり、自転車の後ろに乗せて習い事に連れて行ったりしていました。

子どもたちの世話は主に母がしていましたが、叔母という立場でのかかわりが当時の生活の中心になっていました。

つまりどういうことかというと、ちゃんとひきこもれなかったのです。

運動会の応援に行ったり、子どもたちを遊びに連れて行ったとき、私のアイデンティティは“ひきこもり”ではなく完全に“保護者”になっていました。

そこで何が起きるかと言うと、“自分は普通である”というプライドを捨てきれなくなる、ということです。

自分はおかしくない。
自分はダメじゃない。
だって、子どもの世話してるし。

と、自分の中でプライドが捨てきれない状態に陥っていました。

その結果、私は自分と向き合う機会を逃してしまっていました。


ひきこもっている状態というのは、もう一人の自分からのサインとも言えます。

もうムリ!
もう限界!

と感じたからこそ、人はひきこもります。

その、“ムリ!限界!”というできない状況ときちんと向き合い、ある種“自分は普通には生きられないのだ”という絶望に達したとき、

そのできない状況は、ただの出来事になります。

良いも悪いもない、ただの現象になるのです。

それが、“自分だって普通に生きられる”という中途半端なプライドを背負ったままだと、

いつまでたっても本当の自分・・・・・にたどり着くことができません。

そして、本当の自分にたどり着けないと、現実が“ただの現象”ではなく“障害”や“恥ずべきもの”となってしまいます。

当時の私は、自分と向き合うことで、

人が怖い、うまく話せない、社会の中に居場所を見出せない

といった生きづらさを、ただの現象とする機会を逃してしまっていました。

つまり、中途半端なプライドにすがっていたために、できないものはできない!と開き直ることができなかったのです。

人が怖い、うまく話せない、社会の中に居場所を見出せない

それでいいんです。

むしろ、開き直っていいんです。

人が怖いんですけど、何か?

うまく生きられないから働きたくないんですけど、何か?

と、居直っていいんです。

人が怖い状態も、うまく話せない状態も、社会の中に居場所を見出せない状態も、それはただの現象でしかありません。

そして、その状態をあるがままとして認めていいんです。

それを認めたときにはじめて、

人を信じてみたい
人とつながることでぬくもりや安心感を得たい
社会の中に自分らしくいられる居場所を見つけたい

という心からの欲求が生まれます。

そして、少しずつではありますが、その実現に向けて、自分にできることを自分なりの方法で模索し始めます。

しかし、中途半端なプライドにすがっている状態だと、いつまでたっても目の前の現実や自分を否定することしかできません。

たとえ社会復帰できたとしても、捨てきれないプライドからきた“普通に働かないといけない”という思考から、

結局は仕事が続かなかったり、ひきこもりの状態に戻ってしまうのです。



ひきこもりになる人は真面目で優しく、家族の課題を自分ごととして抱えてしまっていることがあります。

私自身、無意識に家族を幸せにしようと、必要以上に背負い込んでいたところがありました。

しかしここで重要なのは、家族が抱える問題と自分の問題を切り分けて考える必要がある、ということです。


自分自身や児童福祉職の経験を振り返り思うことは、

子どもが生きづらさを抱えている場合、たいてい親が問題を抱えている

ということです。

もちろんひきこもりの原因は個人差があり家庭の事情によってもさまざまなため、問題が100%親にあるとは言えませんが、

ひきこもりを含め子どもの生きづらさは、少なからず親の影響が背景にあります。

例えば、親が過干渉や過保護になる原因をつきつめると、親の中にある自分は愛されないという“不安感”があります。

そして、その“不安感”を子どもがそっくりそのまま受け継いでしまうと、当然ながら生きづらさを抱えた状態になってしまいます。

しかし、その生きづらさの由来は、親自身の“不安感”から来たものです。

親自身の幼少期のトラウマなのか、夫婦間でのすれ違いから来るものなのか、原因はいろいろとありますが、

大事なのは、親の不安や孤独は親のものであり、親が抱えている問題は親が責任を持つべきものなのだから、自分には関係ないと切り離して考えるということです。

手放していいのです。切り捨てていいのです。

親の課題は親が引き受けていくのだから、自分は関係ないと思うこと。

いい子を演じることで母親を幸せにしようとするのは間違いで、親の不幸は親自身が責任を持つということ。

誰かの問題を引き受けている状態は、一見責任感のある大人な行為のようで実は真逆なものです。

人は自分のためにしか生きれません。自分のために生きることができて初めて、他人のために生きることができます。

親自身が解決すべき問題を子どもが一緒になって抱えてしまうことは、実際は無責任な行為なのです。

そもそも、子どもは生まれてきた時点で親孝行を果たしているので、親の問題に干渉する必要はありません。

子どもは、本来は好きに自由に生きていいのです。




ひきこもりになると、プライドがズタボロに傷つきます。

自分は人間失格だ
なんてダメな人間なんだろう

と、無力な自分に対して強烈な羞恥心と罪悪感を抱えながらも、

自分はそんなんじゃない
自分だってやればできる

と、その傷を覆い隠すように、一生懸命自分の自尊心を保とうとします。

しかし人は、ダメ人間になりきると、ダメ人間ではなくなります

ダメな自分をとことんつきつめると、それはダメなのではなくただの現象であることに行きつきます。

人はとことんダメになることで、自分はダメ人間でも人間失格でもないことに気づきます。

それが、プライドで羞恥心を覆い隠そうとすると、自分や現状を否定してしまうことになり、かえっていつまでたってもダメ人間を卒業できません。

いつまでも治らない風邪にかかったように、負のループから抜け出せないのです。




今、なかなか外に出られないという方は、まずはとりあえずちゃんと・・・・ひきこもってみてください。

徹底的にダメ人間になって、できないものはできなーい!と堂々と宣言してみてください。

イヤなものはイヤでいいんです。

できないものはできなくていいんです。

つらいものはつらいままで構いません。

そのうちに、そんな自分のことが違った角度から見えてきて、自分だけが輝ける場所への道筋が見えてきます。

まずはとことんひきこもってください。

何も悪くないのに、自分や現実を否定しないでください。

自分自身のために、とことんダメ・・になってあげてください。




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